2014年02月04日
リトルサイゴン☆テトパレード
お伝えしているように日本でもベトナム系住民によってテトの祭が開催されましたが、国外ベトナム人コミュニティの本場である米国カリフォルニア州ウェストミンスターのベトナム人街『リトルサイゴン』でも毎年、地域住民やアメリカ各地のベトナム系市民が集まり、盛大なパレードが行われています。ウェストミンスターはベトナム戦争後、共産政権による弾圧から逃れるため国外脱出した南ベトナム難民が多く移り住んだ街で、今日ではアメリカにおける南ベトナム系移民文化の中心地として賑わっています。そして今年もテトパレードが2月1日に開催されました。
開催日:2014年2月1日
主催:南カリフォルニア ベトナム系アメリカ市民連合会(The Vietnamese American Federation of Southern California)
イベント趣旨:「代々受け継がれてきた民族の伝統と価値観を共有し、ベトナム系アメリカ市民コミュニティの結束を示す」パレード実行委員長ニール・グエン
この様子は元南ベトナム軍NKTファン・ホア少尉(名付けてNKTおじさん)のチャンネルで公開されているのでご紹介します。
動画の冒頭はホア少尉が所属したNKT(英略STD)という組織の紹介です。残念な事に日本では無名ですが、南ベトナム軍NKTは米軍MACV-SOGと同時に発足した(と言うかNKT発足にあわせてSOGが編成された)、ベトナム戦争における対外特殊作戦の中心機関でした。1964年から72年まで、NKTとSOGは表裏一体、二つで一つの組織として数々の秘密作戦を実行しました。(過去記事参照:NKT・SOG 対外特殊作戦)
▲NKT(STD)およびSOGの組織図。アメリカ国防総省MORI DocID:570361 "Draft MACSOG Documentation Study (U) STRATEGIC TECHNICAL DIRECTORATE(STD)"(1970年7月10日)より
SOGとはNKT各部署に対応して編成された、NKT専任のアドバイザー機関と言えます。
1973年に外国同盟軍が撤退した後も、NKTを始めとする南ベトナム軍は祖国を、郷里を、家族を守るため単独で北越の侵略軍と戦いました。しかし、奮闘も空しく1975年にサイゴンは陥落。この時共産政権による報復・虐殺を恐れ、大量の南ベトナム市民や軍人が国外脱出を図った事は有名だと思います。
こうして難民となった旧南ベトナム市民に対し、アメリカやオーストラリアなどかつての同盟国は受け入れを表明し、彼らは世界中に散っていきました。アメリカの軍艦に救助された人々の多くはその後グアムやアメリカ本土に移送され、特にカリフォルニア州南部に位置するキャンプ・ペンドルトン海兵隊基地には、ラオス・カンボジアからの難民も合わさって5万人規模の難民キャンプが設置されました。ここで彼らは英語を学び、職業訓練を受け、アメリカ市民権を取得して第二の人生を歩みだします。
あの敗戦から今年で39年。かつての南ベトナム難民も今や戦争を知らない在米2世・3世の若者が中心となり、ベトナミーズ・アメリカンとしてアメリカ社会に溶け込んでいます。一方で、アフリカ系やヒスパニック系に比べればはるかにマイノリティである彼らベトナム系にとって、民族的なアイデンティティ、すなわち戦争によって追われた祖国を意識するテトという日は、ベトナム本土に住むの人々以上に重要なものなのかも知れません。
余談ですが、今年のテトパレードでニュースになったのがベトナム系LGBT(同性愛等の性的少数者)グループのパレード参加でした。→abc7ニュース"Tet parade in Westminster lifts ban on LGBT group"
多くの国がそうであるように、ベトナムの伝統的な文化では、同性愛は社会的には認められないものでした。さらにアメリカに住むベトナム系住民には熱心なキリスト教徒も多いため、LGBTグループは去年まで、同胞からもテトパレードへの参加を認めてもらえませんでした。それが今年ようやく許可されたということで、ベトナム人社会でもLGBTへの理解が進むのではと期待されています。(ベトナム本土では既にゲイパレードが行われているのにアメリカでそれが出来ないという事は、自由主義を標榜し現ベトナムの社会主義体制を批判している旧南ベトナム系団体として面子が立たないと思ったからかも)
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