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2015年04月17日

プノンペン陥落から40年

 今から40年前の1975年4月17日、クメール共和国(カンボジア)の首都プノンペンはカンボジア共産党軍クメール・ルージュによって占領され、1970年以来続いていたカンボジア内戦は一時終息しました。当時日本の一部メディアやベトナム反戦運動に熱心だった勢力は、ベトナムに先立って『アメリカ帝国主義者の傀儡政権が倒れ、カンボジア人民の真の解放が成された』と大いに賞賛したそうです。解放されたはずのカンボジア国民がその後、どれだけ凄惨な体験をするかなど知る由も無く・・・。

映画『キリング・フィールド』に描かれた陥落直後のプノンペン市内

※映画なんかで歴史を学んだ気になってはいけないけど、この作品は当時その場に居たシドニー・シャンバーグの体験に基づく物であり、ある程度信憑性のある再現VTRとして見る事もできます

 終戦後、新たに樹立された民主カンプチア(ポル・ポト政権)は全ての外国人を追放し実質的な鎖国を行ったため、国際社会はその後数年間、カンボジアの実情を知る事はありませんでした。正確には、虐殺から逃げのびた難民たちがタイ国境に次々と押し寄せ、虐殺の事実を周辺国の政府やメディアに訴えましたが、一国の政府がこれといった理由もなく自国民を大量虐殺しているなどという狂気じみた話を信じる者はほとんど居ませんでした。米国CIAですら、この状況を把握できいなかったそうです。
 そしてこの異常事態が明るみとなるのは、1978年に隣国ベトナムがカンボジアに侵攻し、ポル・ポト政権を崩壊させてからでした(※1)。この3年足らずのポル・ポト政権下で死亡したカンボジア人は推定100万~300万人(※2)と言われており、これはそれまでの5年間の内戦の全犠牲者の数倍に上る人数です。

※1: カンボジアを占領したベトナムは親越政権カンプチア人民共和国(ヘン・サムリン政権)を擁立したが、これに反発する反ベトナム勢力三派(ポル・ポト派、シハヌーク派、ソン・サン派)との間で再び内戦が激化した。その後もベトナムはカンボジアへの介入を続け、1989年にベトナム人民軍が撤退するまでカンボジア内戦は続いた
※2: カンボジアの人口統計はクメール王国時代から調査が行われておらず、正確な犠牲者数の算出は難しい模様






 高校時代、ある年配の教師と話していて、流れでベトナム戦争の話になった事がありました。彼は「今の若い子はベトナム戦争なんて知らないでしょ?昔はベ平連ってのがあってね~」と、嬉しそうに青春時代の思い出を語ってくれました。彼は自分が大量虐殺と民族浄化を行った勢力(=ベトナム共産党とその配下のラオス共産党、カンボジア共産党)を支援していた事について、何の自覚も後悔も無いようです。彼(および現在も多数残るベトナム反戦派)にとって、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)とは、『人民の抵抗によってアメリカのアジア侵略は失敗し、インドシナの人々は解放されました、めでたしめでたし』で終わっているんでしょう。
 たしかに当時は、どの国のメディアも『独立を求めえるアジア人vs欧米資本主義』という報道的にオイシイ構図(それ自体が共産圏のプロパガンダに過ぎないけど)にこぞって飛びついたし、将来起こる惨劇を知る術など誰にも無い訳で、反戦運動そのものを非難する事はしません。僕だって、あの時代に生まれていればそう考えたでしょう。
 しかしあれから数十年が経ち、1975年以降のインドシナ半島で何が起こっていたかは、とっくに白日の下に晒されています。それでも頑なに共産勢力が行った『解放戦争』を肯定するのであれば、はたしてその目的は本当に『反戦』なのでしょうか?本当にアジア同胞の事を想った上での『反米』なのでしょうか?疑わざるを得ません。

“カンボジア爆撃と侵攻を決定した政府要人たちは考え悩んだだろう。東西対立、ドミノ理論、(中略) 。さらに個人的な利害もあっただろうが―――彼らはカンボジア人のことは考えなかった。国民の事も、社会の事も、国の事も。政略に利用しただけだ。” 【映画『キリング・フィールド』より】
 この言葉はアメリカ政府を批判したシドニー・シャンバーグの台詞(※)であり、実際その通りでしょう。過去も現在も、人道的な配慮のある戦争など存在し得ないですから。(※映画内の台詞なので、実際にこう言ったかは不明) しかし一方で、アメリカを批判したいがために軽々しく共産勢力のプロパガンダに乗っかってしまった人々にも同じ事が言えると思います。こうして反共・反米といったイデオロギーに支配され、ただ主義主張の道具として他人の不幸を利用し、『無視されながらただ代償だけ払わされた人々』を生んでしまったあの時代を、僕は心から憎みます。
 
最後に、理想の世界への希望を歌ったジョン・レノンの『イマジン』。ジョン本人も共産主義的な部分があると認めるこの歌が、共産主義の犠牲者を描いたこの映画のエンディングとピッタリマッチしている所に、悲しい皮肉を感じてならないです。

 ベトナム戦争の時代、人々はいつか来る理想の世界を目指してそれぞれの立場で戦っていた。しかしその結果は、何百万人もの人間の命を犠牲にしてもなお、理想と現実には絶望的なまでの乖離があるという単純な事実をはっきりとさせただけだった。やるせない。どうしようもない。しかし、それでも諦めたくないという気持ちは、この私も同じなのです。



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