2025年04月30日
サイゴン陥落から50年
【過去の4月30日関連の記事】
2020年: 4月30日に際して
2023年: サイゴン陥落から48年
2024年: いつか本気で笑おうや
50年前の今日4月30日、ベトナム南部がソ連・中共の手先としてベトナム人民への殺戮を繰り返したテロリストの手に堕ち、ベトナム全土で恐怖政治が始まりました。
以後、このテロリストが支配するベトナム社会主義共和国という国は、隣国と戦争を繰り返し、弾圧・飢餓により100万人の難民を出しつつも、国民を恐怖政治と洗脳教育で統制することで今日に至るまで存続しています。
ベトナム戦争終結後20年間続いたあの地獄の時代を知っている世代では、弾圧を恐れて政府を批判する事は出来ないものの、ベトナム共産党のおぞましい実態を知っている人は少なくありません。
しかしあの致命的な経済破綻の後、90年代から開始されたドイモイ政策により経済が再建されていく中で生まれ育った若い世代は、この復興がまるで「政府のお陰で」経済が発展しているかのような錯覚に陥っており、そこに幼少期から刷り込まれた愛国=共産党崇拝教育が合わさり、空虚な自尊心と盲目的愛国心を爆発させております。
同時に彼らサルども、もとい若い愛国的ベトナム人たちは、学校でホー・チ・ミンと共産党を賛美する事しか習わなかったので、その他の物事を考える能力が著しく欠如しており、日本における外国人犯罪検挙数ナンバー1がベトナム人という結果を生んでいます。
1960年代末から70年代初頭にかけて、ベトナム共和国は戦争を抱えながらも、同時に経済発展と民主化を推し進める東南アジア有数の新興国でした。もし第一次インドシナ戦争が無ければ、その発展はさらに10年は早かったでしょう。
またベトナム共和国は同時期の北ベトナムや韓国、台湾、インドネシアのように政府が自国民を大量虐殺するような事件も起こしていません。これらの国に比べると、ベトナム共和国政府ははるかにまともな体制でした。
このようにベトナム人は元々、まともな国家・社会・道徳心を持っていた人々なのです。それをホー・チ・ミンという悪魔に率いられたベトナム共産党がすべて破壊してしまいました。
後に残った物は、過去のテロを『聖戦』として賛美し、それ以外の一切を否定するカルト国家。
まるでホー・チ・ミン以前にベトナムは存在しなかったのように、ドン紙幣は全てホー・チ・ミンの肖像一色。
共産党に非協力的な仏教僧は弾圧され殺されるか国外脱出したため、ベトナム国内に残った僧侶はホー・チ・ミンを仏陀と同格の現人神として崇める始末。
日本では北朝鮮の異常性はよく報道されますが、同じくらいカルト社会化しているベトナムの実態は全く知られていません。
だから2018年には、岡山県の美作市が、市営の美術館にベトナム大使館から寄贈された巨大なホー・チ・ミン像を展示するという、日本の名誉に関わる恥知らずな事件を起こしました。
この時は世界中のベトナム難民団体から美作市に抗議が殺到し、私も日本在住ベトナム人協会ならびにドイツ、オーストラリア在住ベトナム難民代表団に同行して美作市役所と美術館での抗議活動に参加しました。

2018年美作市作東美術館にて。横断幕の文字は「美作市の銅像展示に抗議します。ホー・チ・ミン=大量殺人者」の意
なんか、世の中ではミリタリーマニアは歴史に対して公平中立であるべきって言われてるらしいですが、私はそんなの知ったこっちゃありません。
私にとってベトナム戦争とそれが生んだ結果は、『どっちもどっちだよね』と知ったかぶりして公平ぶる事は到底できないのです。
元より日本国内のミリタリーマニアとは関係が希薄な私ですから、マニアの世界でどう思われようが、そんなのは最初からどうでも良い事です。
私の心は常に、50年前に祖国を失った人々、そして今もなお恐怖政治の下で我慢を強いられている思慮深い友人たちと共にあります。
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