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2013年10月28日

デガ(モンタニヤード)の人名

今回はベトナム中部高原(タイグエン地方)に住むデガの人名について、分かる範囲でまとめてみました。
ベトナム戦ヒストリカルイベント等で、CIDGのデガ兵士を演じる際に役名の参考になれば幸いです。



 デガの言語の多くはチャンパ王国を興したチャム族の言語"チャム語"から分派したものなので、文字も元々はサンスクリット文字の派生を使用していました。しかし、19世紀にインドシナ半島がフランスに征服されたことで、デガの言語もローマ字で表記されるようになりました。その辺は漢字を使っていたベトナム語がクオック・グーに代わったのと同様の流れですが、もともとチャム語派とベトナム語は全然違う言語なので、同じローマ字を使っていても共通性はほとんどありません。
 なので、今回紹介する人名は、スペルは分かっているんですが、発音が分からない物ばかりになってます。さすがのGoogle翻訳もジャライ語やラーデ語には対応していないんで。発音が分かっているものについては、カタカナで表記してあります。

 なお、1975年以降はベトナム共産党による少数民族への弾圧と同化政策によって少数言語は危機的状態にあり、現在では中央政府の支配が及ばない地方の山間部でのみ、かろうじて使われているそうです。また、学校で少数言語の教育が禁止されているため、少数言語を理解できるのは、昔教育を受けた老人のみだそうです。若者は自分たちの民族の文字を理解することができず、彼らの文化は消滅の危機に立たされています。


デガ(モンタニヤード)の人名
▲今回紹介する民族の住んでいた地域(1970年の史料より)


ジャライ族

デガ(モンタニヤード)の人名

デガ最大の民族で、マラヤ・ポリネシア(オーストロネシア)語族系。
ジャライ族の人名は多くの場合、(姓)+(名)で成り立っている。

例) Ksor Kok(クソール・コック)

ジャライ族 姓の例
Niê (Nai, Nay) ネイ
Buôn Yă
B.Yă (Kpă) クパ
Mlô (R’ô)
Êban (Rhlan, Rbăm)
K’sơr (Ksor) クソール
Êčăm (Rčăm, Rčom)
Kbuôr (Puih, Kpuih, Kbor)
Adrong (Ajrong)
Nur
Drouin ドロウイン
Huong
Kpuih
Sui
Siu
Rmah


ジャライ族 男性名の例
Kok コック
Rong ロン
タン
Doh ド
Mul ムル
Luet ルェット
Sip
Yoh
Thuing
Puih
Amin
Loih
Hiuanh
Loi
Djaih
Hoih

1880年代にタイグエン地方がフランスの支配下となると、同地にイエズス会の宣教師が訪れ、多数のカトリック教会が建設された。
これに教化されキリスト教(カトリック)に改宗したジャライ族は、教会から洗礼名が与えられ、名の代わりに洗礼名を名乗った。
またキリスト教徒でなくても、フランスへの帰属意識の高まりからフランス人風の名を持つ者も多かった。
それらの場合は、西洋風に名が先に来る。

(洗礼名)+(姓)
(名)+(姓)

例) Paul Nur

デガ(モンタニヤード)の人名
▲中部高原のカトリック教会
教会は、デガとベトナム人を分け隔てなく扱うフランス植民地政策の象徴でもあった



ラーデ(エデ)族
デガ(モンタニヤード)の人名

デガ第二の民族で、ジャライと同じマラヤ・ポリネシア(オーストロネシア)語族系。
古代、ラーデ族の人名は、"(性別)+(名)"という構成であり、

男性(Dam)であれば
Dam Sam
Dam Điêt
Dam Yi

女性(HơBia)なら
HơBia Blao
HơBia Ju
HơBia Jrah Janなどがあった。


人口が増えるにつれ、ラーデ族には氏族(姓)が生まれた。
当初は"Niê"と"Mlô"の二つが中心であったが、同じタイグエン地方に住むジャライ族は互いに会話が可能なほど言葉が近しく、長年に渡って親交してゆく中で両民族が交わり、ジャライ族の姓を名乗る家系も生まれた。

ラーデ族 姓の例
Niê ネイ
Mlô
Buondap
その他ジャライ族と共通

また、性別は一文字に略され(男性はY、女性はH)、名と合体した表記となった。

(性別+名)+(姓)

例) 
男性:Y-Dhon Adrong(イードン・アドロン)
女性:H’Či Êban
フルネームで呼ぶ必要がある場合を除き、相手に呼びかける際は身分に関わらず姓ではなく"性別+名"を使う。

ラーデ族 男性名の例
Y-Dhon イードン
Y-Long イーロン
Y-Bham イーバム
Y-Duen
Y-Guk
Luin ※かなり珍しいが、名に性別"Y"または"H"が付かない者や、姓の無い家系も少数存在する。


18世紀、チャンパ王国がベトナム人(キン族)に敗れたことでタイグエン地方はキン族の支配下となった。
それ以降、ラーデ族はキン族から中国文化の影響も受け、中華風に人名に"仮名(通称)"と"実名(諱)"をつける家系も生まれた。

(性別+仮名)+(実名)+(姓)

例) Y-Dam San Mlô
この場合も呼びかけは"性別+仮名"。特に親や君主以外の人間が実名を口にすることは極めて無礼とされる。


さらにフランス領時代には、ラーデ族は積極的にフランス文化を吸収し、多くの者がキリスト教(カトリック)に改宗した。
改宗した者は教会から洗礼名が与えられ、名の代わりに洗礼名を名乗った。

(性別+洗礼名)+(姓)

例) 
男性:Y-Arol Êčăm
女性:H’Maryam Niê

ラーデ族 男性洗礼名
Y-Abba
Y-Abel
Y-Abraham
Y-Abram
Y-Adam
Y-Arat
Y-Aminadap
Y-Arol
Y-Atah
Y-Banabas
Y-Bel
Y-Ben
Y-Brahim
Y-Buni
Y-Daniel
Y-Dăwit
Y-Ênok
Y-Jeremi
Y-Luk
Y-Maraki
Y-Marakos
Y-Mathiơ
Y-Micĕk
Y-Moih
Y-Nab
Y-Nehemi
Y-Petros
Y-Phierơ
Y-Sačê
Y-Samuel
Y-Tesolinika
Y-Tid
Y-Yohan
Y-Yôsep
Y-Yôsuê

ラーデ族 女性洗礼名
H’Mari
H’Rut
H’Ðêbora
H’Madalen
H’Maryam
H’Rêbeka
H’Ê-Wa
H’An-na

デガ(モンタニヤード)の人名
▲中部高原に建設された修道院
最初の修道院は1880年に建設され、28名のデガの入信者と、31名の聖職候補者を養成した。
1935年には合計371名のデガの修道女が教会に在籍した。


また、ラーデ族の民話・昔話の登場人物から名をもらった者も一部にいる。

男性(古代に男性を示した"Dam"が固有名詞の一部として"Y"と共に使われている)
Y-Damsan
Y-Dam Yi
Y-Dam

女性("H’"は古代の女性名"HơBia"略した物なのであまり変わらない)
H’Bia
H’Ñĭ
H’Bhĭ



モン・クメール語族

モン・クメール語族は、人種的には多数派のマラヤ・ポリネシア語族とは異なるが、同じ中部高原に住み、似たような文化・風習を持つことから、ジャライ族やラーデ族と同じデガに含まれる。

デガ(モンタニヤード)の人名

ムノン族 姓の例
Bunur

ムノン族 男性名
Mpung

バナール族 男性名
Nhu

バナール族 女性名
Thai

セダン族 男性名
Mal
Aiem

デガ(モンタニヤード)の人名
▲コントゥムの教会を指導したパウル・サイツ神父(1953年)
右の男性はバナール族。カトリックに入っていれば洗礼名を持ったと推測される

僕が調べた限り、バナール族およびセダン族の人名に姓は確認できてません。
みんな名だけのようです。
現状ではサンプルが少なすぎるので、今後の課題にしたいと思います。



おまけ:ラーデ語講座・入門編

【 Lesson 1 】

子供のちんちん(包茎) Klăt pliê

大人のちんちん(非包茎) Knôc pliê

Open Libraryより電子書籍としてダウンロード可能です!

デガ(モンタニヤード)の人名



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この記事へのコメント
ベオガムカッケ~!!!

CIDGは日本人はリアルですよねw

最後のオチ~www
Posted by OscarOscar at 2013年11月03日 14:35
>Oscarさん
カッコイイですよね~w
いつか初期のCIDGごっこやりたいんです。

>CIDGは日本人
三島軍曹が他のアメリカ兵からヤードと間違われるくらいですからねw
しかし南べもそうですが、彼らは背が低くても体がスリムで手足長いので、日本人より等身高く見えるからズルいですw

最後の写真はジャライ族の村に置いてある子宝祈願の木彫ですw
Posted by タイガタイガ at 2013年11月03日 16:29
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