2014年04月08日
スプリングフィールドに於けるAR-10のテスト記録
『スプリングフィールド造兵廠(Springfield Armory)』と言えば、1777年の創設以来幾多の名銃と流血惨事の歴史を生み出した、銃器大国アメリカを象徴する国営造兵廠として有名だと思います。
しかし時代は移り変わり、アメリカ政府はコルトなど民間企業に軍制式銃の生産を委託するようになったことから、スプリングフィールド造兵廠は1968年にその役目を終えました。
スプリングフィールド造兵廠は閉鎖後、国立公園局が管理する『スプリングフィールド造兵廠国定史跡(Springfield Armory National Historic Site)』に指定され、現在もスプリングフィールド博物館などアメリカの銃器の歴史に関する資料が大量に保管されています。
まさにここは、独立戦争から開拓時代、南北戦争、そして20世紀に起きた2度の世界大戦まで、アメリカという国の歴史を物語る史跡といえます。
ガンマニアとしては、一生に一度は行ってみたい銃器の聖地ですね。

でも、マサチューセッツまで博物館を見学しに行くお金は無い。飛行機代だけでいくらするか・・・。
しか~し、やっぱりそこはIT発祥の国アメリカの政府機関。
お家に居ながら、スプリングフィールド造兵廠国定史跡の公式サイトで、収蔵資料の検索、一部閲覧が出来ちゃうんです!
検索していくと、スプリングフィールド造兵廠"調査・技術部門(the Research and Engineering Division)"が記録した資料が大量に見つかりました。
想像もしていなかった素晴らしい内容で、もう体中の穴からヨダレやら何やらがダラダラ。
それらの中から、僕の好きなAR-15シリーズの元祖であるアーマライトAR-10に関する資料をご紹介します。
アーマライトAR-10 (AR-10Bプロトタイプ) (1956-1957年)
ご存知ユージン・ストーナーが設計したAR-15系統の始祖。みんな大好きM4カービンのご先祖様です。






AR-10はそもそも1953年に当時の米軍の制式ライフル弾.30-06口径として開発がスタートします。
後に米軍が新型30口径カートリッジT65(7.62mm×51)を使う方向になったのに合わせ、T65弾に対応した『AR-10Aプロトタイプ』が1955年に完成。
このAR-10Aは米軍での採用に向けて、同年よりフォート・ベニング陸軍歩兵学校で各種試験が開始されます。
そして翌年の1956年には、改良型の『AR-10Bプロトタイプ』に対する本格的な技術試験がスプリングフィールド造兵廠にて実施されました。
以下は、その1956年12月から1957年1月にかけて行われたアーマライトAR-10(AR-10B)に対する試験を記録した貴重な写真です。
1956年12月4日
この日は最初に外観と部品構成を記録したようです。






これらのスプリングフィールドによる一連のテストにおいて、当初AR-10は概ね好評だったようですが、1月15日のバレル破裂は大きな痛手となりました。
アーマライト側もヤバいと思ったらしく、2週間後にはスチール製のバレルを持ち込んで汚名返上を図ろうとした様子が見て取れますね。
しかし何よりも安全性・信頼性が重視される軍用銃トライアルでこのようなトラブルは非常に悪印象を与えてしまい、その奇抜なスタイルとも相まってAR-10はトライアルから脱落。
結局、T65弾を使う米軍の新型制式ライフルは、従来のM1ライフルをフルオート化しただけの非常に保守的なスタイルを持つT44(M14ライフル)に落ち着きました。
後のAR-15の時と違って、この1956年の試験では軍からの妨害があったという話も聞きませんし、トラブルの原因は単純にアーマライト側のアルミニウム合金に対する過信にあったようです。
こうしてAR-10は米軍に採用されることはありませんでしたが、このテストの際に施された改良はAR-10の信頼性を大きく向上させ、後に
オランダのアーティラリエ・インリッチンゲン社で委託生産されたAR-10はポルトガルやアフリカ、中南米諸国で使用され、高い評価を得ています。
そして開発から60年近く経った今日でもその末裔が第一線で活躍している事を考えると、AR-10の登場がアサルトライフルというジャンルに与えた影響は計り知れないですね。
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