2017年09月26日
撮影会②空挺旅団 1963年サイゴン
撮影会後半は、これまた念願の空挺旅団。翌年よりベトナムの新たな国慶節として記念された、1963年11月1日の出来事のワンシーンを再現。
革命軍のご飯タイム
赤帽の天使たち
ベトナム戦争だけで13回、第一次インドシナ戦争期を含めると50回以上の空挺降下作戦を行った20世紀を代表する空挺部隊の一つであるベトナム陸軍空挺科部隊ですが、その部隊章は1954年の空挺群創設から1975年の敗戦までに二度の変更がありました。
まず空挺科としての部隊章が最初に制定されたのは、それまでフランス軍の指揮下にあったベトナム国軍空挺大隊で構成されたフランス連合軍部隊『GAP3』が、フランスの撤退に伴い正式にベトナム国軍の指揮系統に統合され、『空挺群(Liên Đoàn Nhẩy Dù)』として再編された1954年5月1日でした。この時制定された空挺群の部隊章は、『赤地にペガサス』というデザインです。
その後、空挺群は規模拡大と陸軍の大規模再編に伴い、1959年10月26日に『空挺旅団(Lữ Đoàn Nhẩy Dù)』へと昇格します。この際、一度目の部隊章の変更が行われ、『白いパラーシュートに青緑色の鷲』がデザインされたものが空挺旅団の部隊章として採用されました。
※2枚目の写真はモノクロ写真に後から着色されたものなのでパッチの配色は正しくない
このように、一度目の変更は空挺科部隊が群(Liên Đoàn)から旅団(Lữ Đoàn)へと昇格した際に行われたのでタイミングとしては分かり易いのですが、次の二度目の変更は少し不可解なのです。
旅団昇格から6年後の1965年12月31日、空挺旅団はついに『空挺師団(Sư Đoàn Nhẩy Dù)』へと昇格します。この空挺師団では『青いパラシュートに白頭鷲』という新しいデザインの部隊章が1975年の終戦まで使われていきました。空挺科ベテラン公式サイトでも、この三代目の部隊章は空挺師団のものとして紹介されています。
しかし当時の写真をよく見てみると、実際には新デザインの部隊章は師団に昇格する1年以上前から空挺旅団の部隊章として使われている事が分かります。まだ正確な時期は把握していませんが、遅くとも1964年11月までには、新しいデザインに変更されていたのです。また同時に、空挺科の兵科章『天使の翼章』(※後述)をデザインした胸章も採用され、以後左袖の部隊章と左胸の胸章はセットで服に縫い付けられるようになります。
この1964年中に行われた二度目の変更については、一度目の時のように部隊の編成が大幅に変わったという事もなく、どのような理由で部隊章の変更と胸章の採用が行われたかについては、未だ把握できていません。
▲写真二枚: 1964年11月30日サイゴンで発生した反政府デモを鎮圧する空挺旅団兵士
新デザインの部隊章と胸章が確認できます。
※2018年7月12日追記
部隊章の採用時期について新たな知見が寄せられました。
新記事参照 『ベトナム陸軍空挺部隊の部隊章』
【天使の翼について】
剣を握る大天使ミカエルをモチーフにした天使の翼は、元々1946年にフランス軍空挺部隊のベレー章として採用されたデザインで、フランス植民地軍から発展したベトナム陸軍空挺部隊も1955年までフランス軍と同じベレー帽およびベレー章を使用していました。またベトナムがフランス連合から脱退した後も、ベトナム陸軍空挺科はフランス連合時代の伝統と栄光を受け継いで天使の翼のデザインを空挺科の兵科章『天使の翼章(Huy hiệu Cánh Thiên Thần)』として採用します。
なお、天使の翼章は、英語では"Parachutist Jump Status Indicator (降下資格章)"と呼ばれますが、実際には落下傘降下資格を示す徽章は軍服の右胸ポケット上に佩用する他の金属または布製バッジ(Bằng nhảy dù)であり、また天使の翼は(兵科章なので当然)空挺科以外の部隊では一切使用されないため、Jump Statusという英語名は不適切だと思います。
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