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2017年01月06日

ジャンクションシティー作戦におけるベトナム共和国軍部隊

新年あけましておめでとうございます。今年も年明けから平常運転で行きます。
来る4月8日・9日開催のベトベトマニアのテーマはズバリ、『ジャンクションシティー作戦』だそうです。
ベトベトマニアVol.3 -Operation JUNCTION CITY -
 ―エピローグ―
1967年2月、南ベトナム軍と米軍はタイニン省とサイゴン北西のカンボジア国境周辺の共産主義拠点を破壊する為に『ジャンクションシティー作戦』を発令、 第1歩兵部隊と第25歩兵部隊、 第 27歩兵連隊、第196軽歩兵旅団 、第173空挺旅団の空挺部隊、 第11装甲騎兵連隊の大型装甲部隊による大規模な戦闘を行うも全体的な成果を果たせなかった。カンボジア国境に隣接するベトベト地区には解放戦線第9師団が侵攻を開始し駐留する南ベトナム、米軍の混成師団は包囲される形となってしまった。弾薬、食糧は残り少なくこれを救出すべく第173空挺旅団が効果作戦を実施する。果たしてベトベト地区に残された混成師団の運命やいかに!
リエナクターを目指す以上、イベントが指定したシチュエーションに沿わない部隊を演じる訳にはいかないので、さっそくベトナム共和国軍部隊として堂々とジャンクションシティー作戦に参加する為の根拠集めを開始。以下はアメリカ陸軍指揮幕僚大学の戦史教本"Operation JUNCTION CITY, VIETNAM 1967" (1983)からの抜粋です。


 ジャンクションシティー作戦(Operation JUNCTION CITY)はアメリカ陸軍およびベトナム陸軍によって、C戦区(War Zone C)として知られるサイゴン北西のタイニン省周辺のにおいて実施された三段階の軍事作戦であり、1967年2月から5月にかけてベトナム共産ゲリラ(解放民族戦線)および北ベトナム軍(ベトナム人民軍)との戦闘が行われた。またアメリカ空軍もこの作戦の支援に加わった。
 作戦は在ベトナム・アメリカ陸軍第2野戦軍が実施し、本部をロンビンに、戦術司令部をダウティエンに置いた。作戦の指揮は3月24日までがジョナサン・O・シーマン(Jonathan 0. Seaman)中将、残りの期間をブルース・パーマー(Bruce Palmer)中将が執った。作戦部隊はジョン・ヘイ(John Hay)少将指揮の第1歩兵師団およびジョン・ティルソンIII世(John Tillson III)少将指揮の第25歩兵師団で構成された。ジャンクションシティー作戦に当たって、第1歩兵師団および第25歩兵師団の指揮下には、他の師団からも複数の有機旅団(Organic brigade: 編成に捕らわれず有機的に展開する旅団)が加わり、合計で22個の機動大隊および14個の砲兵大隊、加えてベトナム共和国軍3個大隊を指揮下に持ち、兵力はおよそ25,000名に上った。 

在ベトナム・アメリカ陸軍 第2野戦軍
ジャンクションシティー作戦 - フェーズI 作戦部隊の編成

第1歩兵師団

第1歩兵師団第1旅団
・第2歩兵連隊第1大隊
・第26歩兵連隊第1大隊
・第28歩兵連隊第1大隊
・タスクフォース・ウォーレス (ベトナム陸軍第3軍団『ウォーレス』戦闘団)
 ├ 第35レンジャー大隊 
  第1騎兵大隊第3中隊

第1歩兵師団第3旅団
・第16歩兵連隊第1大隊
・第2歩兵連隊第2機械化大隊
・第4騎兵連隊第1大隊
・第28歩兵連隊第2大隊

第173空挺旅団
・第503歩兵連隊第1大隊
・第503歩兵連隊第4大隊

第9歩兵師団第1旅団
・第39歩兵連隊第4大隊
・第47歩兵連隊第2(機械化)大隊
・第5騎兵連隊第3大隊


第25歩兵師団

第25歩兵師団第2旅団
・第27歩兵連隊第1大隊
・第27歩兵連隊第2大隊
・第5歩兵連隊第1機械化大隊

第4歩兵師団第3旅団
・第12歩兵連隊第2大隊
・第22歩兵連隊第2機械化大隊
・第22歩兵連隊第3大隊
・第14歩兵連隊第2大隊

第196軽歩兵旅団
・第1歩兵連隊第2大隊
・第21歩兵連隊第3大隊
・第31歩兵連隊第4大隊

・第11装甲騎兵連隊第1大隊
・第11装甲騎兵連隊第3大隊
・第23歩兵連隊第4機械化大隊

タスクフォース・アルファ (ベトナム海兵旅団A戦闘団)
・第1海兵大隊『怪鳥』
・第5海兵大隊『黒龍』


対して共産軍側の主力は南部中央委員会(COSVN)司令部を含む解放戦線第9師団であり、兵力はおよそ7,000名であった。

南部中央委員会
・第70親衛連隊

解放戦線第9師団
・第271連隊
・第272連隊
・第273連隊

ベトナム人民軍 第325師団
・第101歩兵連隊


アメリカ陸軍第25歩兵師団とベトナム海兵隊TFアルファ

 ジャンクションシティー作戦に参加したベトナム共和国軍3個大隊のうち、2個の海兵大隊からなるベトナム海兵旅団A戦闘団(Chiến Đoàn A TQLC)は、アメリカ陸軍第25歩兵師団の作戦指揮下でタスクフォース・アルファ(Task Force Alpha)としてベトナム・カンボジア国境沿いのタイニン省チャンスップに展開した。TFアルファの指揮官はホアン・ティック・トゥン(Hoàng Tích Thông)少佐、主任参謀をチャン・チュン・アイ(Trần Trung Ái)大尉が務めた。この米越合同作戦に際し、アメリカ陸軍第25歩兵師団のティルソン少将TFアルファの戦力向上のため二つのベトナム海兵大隊に新型のXM16E1ライフルを供与し、従来のM1ガランドとの置き換えが進められた。
 サイゴンに駐屯していたベトナム海兵隊TFアルファはジャンクションシティー作戦二日目の1967年2月23日にC戦区『蹄鉄(horseshoe)』エリアに投入され、『蹄鉄』エリアの西側を担当するアメリカ第25歩兵師団と合流した。部隊はこの日、地域の保安任務と中隊レベルでのサーチ&デストロイ作戦を実施した。
 翌2月24日、『蹄鉄』エリア北西のTFアルファはカンボジア国境に近い作戦エリア『クーガー』(AO Cougar)にヘリボーン降下し、南に向けて進撃した。この時点で敵の抵抗は軽微であった。
 2月25日から28日にかけて第25歩兵師団第2旅団および第11装甲騎兵連隊は敵の抵抗を受けながらも『蹄鉄』エリアの掃討に成功した。
 以後、第25歩兵師団はサーチ&デストロイの対象地域を広範囲に拡大したが、敵の攻撃は激化した。3月1日から9日にかけて第1歩兵師団指揮下の部隊には多数の死傷者が発生し、第25歩兵師団指揮下の第11装甲騎兵連隊付き第23歩兵連隊第4機械化大隊にも41名の死傷者が出た。しかし第11装甲騎兵連隊は引き続きカンボジア国境に沿って敵部隊の掃討を続け、3月11日には敵部隊の一部を川の東岸に追い詰め、撃破する事に成功した。
 こうしてジャンクションシティー作戦フェーズIが一定の成果を上げた事で、第2野戦軍はフェーズIIに向けて主要部隊の配置換えを開始した。この中でTFアルファは3月11日にジャンクションシティー作戦への参加を終了してサイゴンへと帰還した。


※2017年1月7日追記

アメリカ陸軍第1歩兵師団とベトナム陸軍TFウォーレス

 一方、蹄鉄』エリアの北部を担当するアメリカ陸軍第1歩兵師団第1旅団内には、ジャンクションシティー作戦に伴いベトナム陸軍第35レンジャー大隊および第1騎兵大隊第3中隊からなるウォーレス戦闘団(Task Force Wallace)が設置され、同旅団はビンズォン省ミンタンで出撃に備え編成が進められた。
 2月22日、ジャンクションシティー作戦フェーズI発動と同時に第1歩兵師団第1旅団は蹄鉄』エリア北部に3個大隊規模のヘリボーン強襲を実施し、その地でサーチ&デストロイ任務を遂行した。
 翌23日、同旅団はシャワー施設まで完備した大隊規模の敵軍ベースキャンプを発見した。この時点で戦闘は軽微であり、遭遇する敵は分隊規模かそれ以下であった。
 3月1日以降、旅団は断続的な戦闘を経た後、カツム北東に南部中央委員会(COSVN)宣伝センターを発見した。これを叩くため3月6日には、第1歩兵師団麾下の第173空挺旅団がカツムの南東Bo Tucの南に位置するLZに3個大隊規模のエアボーン強襲を実施した。一方、第1歩兵師団第1旅団は3月4日、フェーズIIに備えてビンロン省クァンロイに移動した。

ジャンクションシティー作戦におけるベトナム共和国軍部隊

 1967年3月15日17時24分、司令部はジャンクションシティー作戦フェーズIの終了を宣言した。アメリカ軍が『蹄鉄』エリアの掃討に成功した事で共産軍側の損害は少なくとも戦死者835名に上り、アメリカ軍は捕虜15名、小火器および重火器264個、その他莫大な量の物資と機材を接収した。
 その後もジャンクションシティー作戦は継続され、3月18日にフェーズIIが開始された。さらに4月15日にはフェーズIIIが開始され、5月14日の作戦終了まで戦闘は続いた。




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