2015年01月23日
ホア少尉の写真
※2022年12月2日更新
これまでも何度か氏の来歴をご紹介しましたが、今回は氏のブログに掲載されている写真をいくつかご紹介します。
(つまり勝手に転載してる形だけど、あの人も僕の写真やイラストを転載してるので、まぁいいかな~と)
ホア氏は1953年、ベトナム国(当時)ビントゥアン省ファンティエット生まれ
1967年 14歳の頃のホア氏(左端)とファム一家
1972年 ファンティエット市のファン・ボイ・チャウ高校を卒業
※ファン・ボイ・チャウ(Phan Bội Châu)は20世紀初頭に活動したベトナムの民族主義運動家で、日本の明治維新に倣ってベトナムを革命すべく日本へ留学生を送る活動をしたり、中国国内で同志を募り武力によるフランス打倒を画策したが、最終的にフランスに拘束され、軟禁下で没した。
1972年 ベトナム共和国軍入隊。ニャチャンのドンデー下士官学校・予備士官課程(教育期間9ヶ月)入学
※ドンデーは元々下士官学校だったが、士官不足を補うため1968年末より予備士官課程が設置された。
1972年 予備士官課程72年10期B卒業。陸軍少尉に任官
1972~1975年 総参謀部直属の特殊作戦機関NKT内のコマンド部隊『黒龍(Hắc Long)』に所属
第72作戦グループ・チーム723(Toán 723 / Đoàn 72 CT)指揮官を務める
1975年 敗戦によりベトナムから脱出、アメリカに政治亡命
カリフォルニア州南部キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地に設置されたインドシナ難民キャンプに収容
1975年 キャンプ・ペンドルトンで生活するホア氏と黒龍の戦友たち
1975年 キャンプ・ペンドルトンの62名の難民と共にカリフォルニア州オークランドに転居
その後カリフォルニア州内の航空機部品メーカーに就職
以後ホア氏は長年、アメリカ各地に散った軍民のベトナム難民コミュニティ(アソシエーション)形成を熱心に続けられました。
そして今日では全米のベトナム系アメリカ市民アソシエーションのパイプ役、イベントプロデューサーとなり、毎日アメリカ中を飛び回っておられます。
SBTN(サイゴン・ブロードキャスティング・テレビジョン・ネットワーク)への出演
※カリフォルニアのベトナム移民系地方テレビ局
フィン・コン・ウト(ニック・ウト)氏と
※ナパーム弾による爆撃から逃れる少女の写真『戦争の恐怖(The Terror of War)』を撮影したAP通信のベトナム人カメラマン
※アメリカ軍初のベトナム系将官。2018年より在日米陸軍(USARJ)司令官を務め、少将で退役。
またホア氏は戦時中、MACV-SOGと合同で任務を行った特殊作戦機関NKTに所属していた事から、アメリカ軍特殊部隊系アソシエーションとは深い繋がりがあり、現在も米軍関係のイベントに頻繁に参加しています。
ホア氏の所属する米軍人系アソシエーションの会員証
・JFK特殊戦学校特殊部隊ミュージアムアソシエーション終身会員
・UDT-SEALアソシエーション会員
・SOA(特殊作戦=SOGアソシエーション)終身会員
・SFA(特殊部隊=グリーンベレー・アソシエーション)勤続10年超・終身会員
・ベトナムベテランアソシエーション終身会員
フォート・ブラッグ基地でのSOA集会
※最前列中央付近に写っているのは日本でも有名なミズホ・ボブロスキー(三島瑞穂)曹長。
2010年 ビル・クリントン元大統領と
※ホア少尉ら元NKTメンバーが着ているベレーとジャケットは、SFA勤続10年超・終身会員のみに授与されるSFAの名誉制服
2013年 SOA集会にてジョン・サドラー退役大佐(SOG司令1970-1972)、ジョン・シングラウブ退役少将(SOG司令1966-1968)と
この記事へのコメント
12枚目の「フォート・ブラッグ基地でのSFA集会」の写真に三島曹長がシレッと写ってますね、前列中央右から7番目
Posted by クワン大尉 at 2015年05月23日 20:21
>クワン大尉
うわっ確かに居ますね!じゃあ結構前の写真だったんですね。もしかしたらホア少尉と顔見知りだったかも知れませんね。今度聞いてみます。
あと、記事にはSFAと書いてしまいましたが、黒いジャンパー着てるので正しくはSOAの集会のようです。
うわっ確かに居ますね!じゃあ結構前の写真だったんですね。もしかしたらホア少尉と顔見知りだったかも知れませんね。今度聞いてみます。
あと、記事にはSFAと書いてしまいましたが、黒いジャンパー着てるので正しくはSOAの集会のようです。
Posted by タイガ at 2015年05月26日 11:42
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