2021年12月02日
第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍 その1
※2021年12月3日更新
※2021年12月4日更新
※2022年2月6日更新
とりあえずメモがてら、他の資料とも照らし合わせながら第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍戦闘兵科の部隊構成を表にまとめてるので、そちらを公開します。
なお、僕のベトナム語能力では完全に内容を理解できているとは言い難いので、もしかしたら内容は今後訂正されるかもしれません。訂正が多いので常に更新しています。
I. 1949-1952: ベトナム国家衛兵隊
(Vệ binh Quốc gia Việt Nam / Garde Nationale Vietnamienne)
1948年、フランスはベトナムをフランスの勢力下に留めつつ、ベトミンを筆頭とする反仏・独立闘争を鎮静化するため、それまで分割されていたトンキン、アンナン、コーチシナの三地域を統合し、フランス連合の枠内での独立国『ベトナム国(Quốc gia Việt Nam)』へと昇格させた。また1949年7月8日、フランス・ベトナム国政府間で締結されたエリゼ条約により、フランス植民地軍内のベトナム人部隊は1949年以降順次、ベトナム国の国軍たる『ベトナム国家衛兵隊』、またの名を『ベトナム兵団(Việt Binh Đoàn)』へと移管された。しかしその後、フランスの意向によってベトナム国家衛兵隊の拡充は棚上げとされ、実質的な規模拡大が始まるのは1951年後半からであった。
▲ベトナム国家衛兵隊のパレード (サイゴン, 1951年)
ベトナム国家衛兵隊の主な歩兵部隊の構成(1949~1952年)
※団/大隊の部隊名は衛兵団→歩兵大隊→衛兵大隊へと移り変わっている。
II. 1952-1955: ベトナム国軍
(Quân đội Quốc gia Việt Nam / Forces Armées Vietnamiennes)
1950年以降、冷戦を背景にソ連・中国によるベトミンへの軍事支援が本格化した事で、インドシナの戦火は拡大の一途をたどっていた。1951年7月、ベトナム国政府は総動員令を発令し、ベトナム国家衛兵隊は急速にその規模を拡大した。そして翌1952年、ベトナム国家衛兵隊は『ベトナム国軍』へと改称された。
以後、ベトナム国軍の兵力はピーク時の1954年1月には20万人に達し、第一次インドシナ戦争における所謂『フランス軍』=フランス連合軍の約50%をベトナム国軍が占めるまでに至り、ベトミン掃討を目指すフランス連合の主力として大きな役割を担った。
▲ベトナム国軍の式典 (ハノイ, 1954年)
ベトナム国軍陸軍の主な戦闘兵科の構成(1954年頃)
それぞれの部隊の解説は次回『第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍 その2: ベトナム師団』に続く
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