2022年04月06日
サイゴンの残光
※2022年4月15日更新
前回に続き、今回足を運んだサイゴン市内に残る史跡の紹介です。
ベンニャーゾン(龍の家埠頭)

サイゴン川沿いにあるベンニャーゾン(Bến Nhà Rồng)は、仏領インドシナ期の1864年に完成した、フランスの海運会社『Messageries maritimes』の本社跡です。
インドシナ銀行サイゴン支店/ベトナム国立銀行

ベンニャーゾンのすぐ近くにあるのが、かつてのインドシナ銀行サイゴン支店です。
インドシナ銀行自体は19世紀末からこの場所にありましたが、現在の建物は1930年代後半に完成したものです。
第一インドシナ戦争終結に伴い、この建物はフランスからベトナム共和国政府に引き継がれ、ベトナム国立銀行本店となりました。

ベトナム共和国時代の50ドンや500ドン札には、このベトナム国立銀行ビルが描かれています。
この埠頭周辺はサイゴン川と南シナ海を結ぶコーチシナの玄関口であり、今も残る仏領時代の遺構を見ると、この場所がかつてフランスが莫大な投資を行い作り上げたインドシナ植民地経済の中心地だった事を思い起こさせます。
これらの場所と直接の関係はないですが、20世紀前半のベトナムの歴史や雰囲気は、映画『インドシナ』を連想させるものでした。
アンズンヴン(安陽王)像

アンズンヴン(An Dương Vương)は紀元前3世紀、古代ベトナム北部を統一し甌雒(オーラック)国を建国した英雄で、この記念碑はベトナム共和国時代の1966年に建設されたものです。
実はアンズンヴンはもともとベトナム人ではなく、始皇帝率いる秦に滅ぼされた古蜀の王子で、秦から逃れ南下した末に、現在のベトナム北部で挙兵し諸国を統一、甌雒を建国したそうです。
ベトナム共和国軍総参謀部

15年に及ぶベトナム戦争を戦い抜いたベトナム共和国軍の総司令部跡。
正門は過去記事『グレイタイガーの4月30日』で紹介したファム・チャウ・タイ少佐が最後の防御陣地とした場所でもあります。
戦後はベトナム人民軍に接収され、人民軍第7軍管区司令部となっていますが、正門は現在でもほぼ当時のまま残っています。
なお軍の施設なので車の中からこっそり撮影したため画質悪いです。
水上レストラン ミーカイン跡地

チャンフンダオ像のすぐ近くにあるバックダン埠頭には、今も昔も水上レストランがあります。
ベトナム共和国時代、この場所にあったレストラン『ミーカイン(My Canh)』は、1965年6月25日、解放民族戦線による夕食時を狙った爆弾テロに合い、死者31-32名、重軽傷者42名を出す大惨事の現場となりました。
▲ミーカン爆破事件を伝える米国のニュースフィルム
このテロ事件が国際世論に与えた影響は大きく、米国以外の西側諸国も共産主義拡大の危険性に目を向け、ベトナムへの派兵や軍事・経済支援を強化するきっかけとなりました。
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