2023年04月30日
サイゴン陥落から48年
48年前の今日、ベトナム共産党は約30年に及ぶ共産主義革命戦争の末にサイゴンを陥落させ、ベトナム全土を支配下に置きました。
以後、ベトナム共産党は旧ベトナム共和国政府に属した軍人・公務員を数年から十数年投獄しただけでなく、「解放」したはずの南部の市民を山岳地帯に強制移住させて農地開拓に充てる、その上経済政策の失敗により農業国のくせに全国的な飢餓を発生させるなど、暴政の限りを尽くしてきました。
20世紀後半最悪の戦争であるベトナム戦争の最中には難民がほとんど発生しなかったのにも関わらず、ベトナム共産党によるベトナム統一が成された途端、数十万人の国民が難民として海外に脱出した事実が、ベトナム共産党による統治の全てを物語っています。
さて、私は過去2回、このベトナム共産党からベトナム国民を守るため戦い、そして命を落とした旧ベトナム国・ベトナム共和国政府の軍人・公務員の墓地であるビエンホア国軍墓地 (Nghĩa Trang Quân Đội Biên Hòa)を参拝してきました。
1回目は2016年で、その時は墓地の周囲を私服警官が囲んでいたので、人目に付かない霊廟のみ参拝しました。→『ビエンホア国軍墓地』
2回目は2022年で、ベトナムで2週間ほど動画撮影ロケをした際に、ついに前回入れなかった墓地の内部に入ることが出来ました。通常、この墓地は戦死者の遺族しか入る事ができず、入り口の守衛所で全員身分証を提示する必要があります。無論、外国人などもっての外。
しかし、そこは良くも悪くもベトナム。警備員に金を渡して、私を含む撮影班は中に入る事ができらました。それでも私が外国人だとバレると危ないので、事前に私は一切言葉を話さないよう、仲間から厳命されました。こういう時、自分の顔が東南アジア風で良かったと思います(笑)
墓地の中にいる間は、警備員のおっちゃんがずっとスクーターで私達の後を付いて回り、常時監視されていました。

中に入り、まず墓地のシンボルである義勇塔に花を供えて焼香。
この義勇塔は戦後破壊され、高さが元の1/2程度になっています。

その後、友人たちと手分けして、できるだけ多くの墓石に線香をお供えしました。
手持ちの線香に限りがあるので、一つの墓石につき一本しか供えられませんでしたが、それでも100個くらいの墓石に焼香できたと思います。

しかし、この墓石への焼香は辛いものがあります。と言うのも、戦後、共産主義者は義勇塔だけでなく、個人の墓石まで破壊していたからです。
ベトナムでは墓石に故人の顔写真を刻印する習慣があり、この軍人墓地にも多くの顔写真付きの墓石があります。しかしそれらの多くは、共産主義者によって顔の部分が無残に破壊されていました。これを見た遺族がどんな気持ちになった事か・・・。
死者にまでこんな仕打ちを平然と行う国家。それがホー・チ・ミンが1000万人の人命を犠牲にして作った現在のベトナム社会主義共和国です。











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