2025年05月20日
二つのタムキック

先日、友人からこの『Thám Kích(タムキック=探撃)』とい文字の入ったパッチの正体について相談され、互いに資料やベテランの証言を出し合いながら議論したところ、新たな知見が得られました。
①1960年代のThám Kích:プロジェクト・デルタ『ロードランナー』
ベテランの証言では、1960年代においてThám Kíchは以下のような部隊だったそうです。
・グリーンベレーが組織したプロジェクト・デルタ内の部隊
・Thám Sát(偵察チーム)とは異なり、常に共産軍へ変装して潜入・破壊工作を行っていた
・1970年にグリーンベレーがベトナムから撤退すると、Thám Kíchも解散した
これらを総合すると、Thám Kíchは英語名『ロードランナー(Roadrunner)』で知られる、主にCIDG兵で構成されたコマンドチームを指していると考えられます。
なお兵員はCIDGとは言え、プロジェクト・デルタはLLĐB内の組織なので、グリーンベレーと共に本部でロードランナーを指揮するのはLLĐB所属のベトナム軍人です。


▲ロードランナー隊員の例
偵察チームでもAKを所持するなど作戦によっては多少敵兵に変装する事はありますが、ロードランナーは敵地後方での攪乱を主目的とする潜入専門部隊なので、身に着けるものは常に敵兵と同一の完全変装を行います。
②1970年代のThám Kíc:第81空挺コマンド群『威力偵察小隊』
先述のようにプロジェクト・デルタはグリーンベレーの撤退に伴い1970年に終了し、同時にロードランナーも解散します。
しかし1970年代になっても、Thám Kíchという部隊名が見られます。それは第81空挺コマンド群内の『威力偵察小隊(Trung Đội Thám Kích)』です。
第81空挺コマンド群は最終的に7個の部隊(Biệt Đội=事実上の中隊)で構成され、それぞれの部隊は3個強襲(歩兵)小隊、1個威力偵察小隊、1個重火器小隊で構成されていました。
第81空挺コマンド群はプロジェクト・デルタを実行していたLLĐB第81空挺コマンド大隊から発展したデルタ直系の部隊ではありますが、ここで言うThám Kích=威力偵察小隊は、かつてのプロジェクト・デルタ時代のThám Kích=ロードランナーとは関係無い別の部隊です。
第81空挺コマンド群で用いられた特殊なパッチ
最初の話に戻り、問題のパッチについて。
第81空挺コマンド群は1970年にLLĐB第81空挺コマンド大隊から発展した部隊であり、また同時に解散したLLĐB全体の後継組織と位置付けられています。
そのためLLĐBのベレー帽を継承したのはもちろん、LLĐB時代から所属していた将兵には、第81空挺コマンド群の部隊章に加えて、LLĐB時代の所属を示す特別なパッチの着用が許可されました。

旧LLĐB部隊章
軍服の右袖に着用する事で、第81空挺コマンド群発足以前からLLĐBに所属していた事を示します。(1970年以降に第81空挺コマンド群に配属された者は着用できない。)
以下は部隊章ではなく、第81空挺コマンド群に所属する将兵が、LLĐB時代にどの部隊に所属していたかというキャリアを示すパッチです。
(その部隊が存在した1960年代には、これらのパッチは存在していない)

コマンド雷雨(Biệt Kích Lôi Vũ)
1961年にCIAが主導したラオス・北ベトナムへの潜入作戦『雷雨(サンダーストーム)作戦』の実行部隊として組織された、ベトナム軍最初期のコマンド部隊の一つ。
結成当時は地理開拓局第77群に所属し、その後LLĐB第91/81空挺コマンド大隊所属となる。

デルタ偵察チーム(Toán Thám Sát DELTA)
言わずと知れたプロジェクト・デルタの中核を成す偵察チーム。
デルタ偵察チームは1968年に第91空挺コマンド大隊と合併し、以後第81空挺コマンド大隊内の偵察チームとなる。

ロードランナーチーム(Toán Thám Kích)
このThám Kíchは、このパッチが使われた時期に存在した第81空挺コマンド群内のThám Kích=威力偵察小隊ではなく、かつてのプロジェクト・デルタ時代のThám Kích=ロードランナーを意味すると思われます。ややこしいですね。
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