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2025年05月14日

ベトナムにおけるカールグスタフm/45

最近友人と話していて、カールグスタフm/45サブマシンガンの事が話題に上がったので、僕の見解を書いてみます。

ベトナム戦争において一部の特殊部隊がm/45を使用していた事は割と有名だと思いますが、それをMACV-SOGによって使用された」と言うと、だいぶ語弊があります。

まずm/45という銃がベトナムで使われ始めたのは、SOGが発足する以前の1961年頃です。
米国CIAは第一次インドシナ戦争中の1950年代前半からベトナムでの活動を開始しており、大越国民党などベトナム北部に住む反共派ベトナム人をスパイとして教育し、彼らを南北分断後に北ベトナムに残留させて、北ベトナム領内でのスパイ活動に従事させていました。
1957年、ベトナム共和国軍はCIAおよびグリーンベレーの指導の下、初の特殊部隊たる『第1観測隊(その後LLĐB/NKTに発展)』を創設し、以後CIAはこのベトナム軍コマンド隊員を北ベトナムへの潜入要員・スパイとして鍛えていくことになります。
1961年、米国ケネディ政権はCIAに対し北ベトナムへの特殊工作の許可を与え、ついにベトナム軍コマンドによる本格的な潜入作戦が開始されます。この際、CIAからベトナム軍コマンドに支給されたのがカールグスタフm/45やマドセン モデル1950といった北欧製のサブマシンガンでした。

ベトナムにおけるカールグスタフm/45
▲1960年代初頭のコマンド隊員
m/45やマドセンに加え、フランス連合期にフランスから供与されたMP40サブマシンガンも使用している。

しかし、かつて中国で行った潜入作戦の成功に慢心していたCIAは、北ベトナム側がスパイ潜入に対抗する戦術を取っていることに気付かず、旧態依然とした潜入方法に固執してしましました。
その結果、これら1961年から始まった一連の潜入作戦は、潜入した300名に上るコマンド隊員のほとんどが北ベトナム当局に逮捕されるという大失敗に終わります。(過去記事グエン・カオ・キのスパイ潜入作戦』参照)

このCIAの失敗および情勢の変化を受け、米国ジョンソン政権は1964年にベトナムにおける特殊工作の権限をCIAから軍に引き継がせ、在越米軍司令部(MACV)内にSOGが発足しました。
これと同時に、ベトナム軍側も組織の再編を行い、LLĐBは国内工作を専門とする(新生)LLĐBと、国外工作を専門とするSKT(1967年にNKTに改称)に分割され、SOGはSKT/NKTによる国外工作を専門に支援・指導することになります。
つまりSOGとはベトナム軍の特殊工作機関NKT専属のアドバイザー機関であり、米軍単独で作戦を行う特殊部隊ではありません。
SOGの任務は常にNKTへの支援であり、その一環として少人数のSOG隊員がNKTコマンド部隊の指揮を執る事(OP-35等)はあるものの、あくまで作戦の主体はNKTです。

※本国が政治的パフォーマンスとして無理やり実施したソンタイ捕虜収容所救出作戦を除く。
元々SOG内には遭難者・捕虜の捜索を専門とするSOG-80/JPRCという部署が有ったのにも関わらず、宣伝のためにアメリカ兵だけで作戦を行いたかったペンタゴンはJPRCを無視してソンタイ作戦に急ごしらえの混成部隊を使い、そして作戦は見事に失敗しました。
実際にはソンタイ作戦とは現場を無視するペンタゴン高官の愚策の代表例でしたが、それにも関わらず、この見せかけのパフォーマンスによる宣伝は功を奏し、ソンタイ作戦は戦後SOGを代表する英雄譚であるかのように語られています。
しかしは(現実の)SOGが好きなので、このたった1回きりの茶番により、ベトナム軍への支援こそが本質であるアドバイザー機関SOGが、『アメリカ軍最強特殊部隊』みたいな実情とかけ離れたファンタジーで語られるのは許しがたい事です。

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話が逸れましたが、このCIAからSOGへの権限移譲後も、NKTは引き続きm/45を供与され続け、各コマンド部隊の主要装備となります。

ベトナムにおけるカールグスタフm/45
▲SKTコマンド隊員 [1964年]

ベトナムにおけるカールグスタフm/45
▲SKT連絡局(コマンド雷虎SCU)FOB2 スパイクチーム『オハイオ』 [1966-1967年頃 コントゥム]

ベトナムにおけるカールグスタフm/45
▲NKT連絡局(コマンド雷虎SCU)CCN FOB4 [1968年頃 ダナン]

SOGが実施した作戦の一つであるOP-35では、NKT雷虎とSOG-35の合同チーム(C&C部隊)が編成され、その指揮官をSOG-35のアメリカ兵が務めたため、アメリカ兵もm/45を使用しました。
OP-35は国境付近で短期間の偵察を行う『特殊殊偵察計画』の一部であったため、SOGのアメリカ兵も前線に出撃しました。
一方、OP-34/36やOP-37は敵支配地域深部に潜入して諜報・破壊工作を行うため、NKTのベトナム兵のみで実施されました。


ベトナムにおけるカールグスタフm/45
▲NKT沿岸警備局シーコマンド チーム『ニムバス』 [1969年レ・ホン・フォン基地]


その後、1968年頃になると、SOGからNKTに供与される小火器は新型のCAR-15(XM177E2)に更新され、m/45は次第に姿を消していきます。
よくm/45は「アメリカの関与を隠蔽するための『消毒済み』の兵器だった」とロマンチックに語られますが、1968年以降は全ての潜入部隊でアメリカ製のCAR-15が導入され、またそれ以前にも服や個人装備、グレネードランチャーや手榴弾など、潜入要員の身に付けている物のほとんどがアメリカ製でした。
なので僕は、60年代初頭にCIAが供与を開始した当初はともかく、64年にSOGが潜入作戦を指揮するようになって以降では、m/45に秘匿兵器として意味はほぼ無かったと考えています。単にコンパクトで使いやすい+CIAが大量に在庫を持っていたサブマシンガンだから使っていただけでしょう。


冒頭の話に戻りますが、よくある「m/45はMACV-SOGによって使用された」という誤謬を訂正するなら、
正しくはm/45は主にNKTによって使用され、一部ではSOG隊員にも使用された」になります。
これはm/45以外にも、CAR-15やタイガーストライプ、インディジナスラックサック等の特殊部隊向け装備にも同じ事が言え、「本来はベトナム軍向けに供与された装備だが、一部ではアメリカ兵にも使用された」と言った方が実態に即しているでしょう。




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