2013年12月03日
【訃報】トン・タット・ディン中将
※2024年4月13日更新
※2024年6月26日更新
2013年11月21日、アメリカ・カリフォルニア州サンタ・アナにて、元ベトナム共和国陸軍中将トン・タット・ディン氏がお亡くなりになられました。享年87歳。
ディン中将は1963年11月に発生したゴ・ディン・ジェム政権に対する軍事クーデターの中心人物として有名な人物です。
【ディン中将の来歴】
トン・タット・ディン氏は1926年11月20日、仏領インドシナ(アンナン)フエに生まれる。父親が早くに亡くなり、その後ダラットで厳格な教育を受けて育つ。
1945年8月、日本軍の降伏に伴いベトミンによる独立宣言とフランス軍のインドシナ再占領が始まると、強い愛国心を持っていたディンは愛国学生運動に参加してベトミンの政治委員となった。しかしこの運動はすぐさまフランス軍に制圧され、ディンは故郷のダラットに逃れた。1948年には、フランスの捜査でディンのベトミンへの参加が発覚し逮捕されそうになるが、"パスツール研究所(フランスの国際医療機関)"の研究員をしていた兄弟が身元を引き受け、今後ベトミンに関わらない事を条件に釈放された。
ダラットの実家に戻ってからの生活の中で、ディンは旧知の仲でフランス軍第3ベトナム歩兵連隊の参謀長をしていたド・マウ(後の南ベトナム軍少将)と会い、彼に感化されて1948年にフランス軍ベトナム歩兵連隊に入隊した。
▲ド・マウ少将(写真は1964年以前)
マウはディンと共に1963年のクーデターの中心人物となる。
ベトミンから一転してフランス軍人となったディンは、フエ市モンカにて下士官訓練コースを修了した後、フエ士官学校第一期に入学。フランス軍による士官教育を受け、一年後に同校を卒業してベトナム国軍中尉に任官。その後フランス本土のソミュール騎兵学校に留学する。
戦後はベトナム共和国軍第2歩兵師団長、第2軍団司令官などを歴任し、1962年12月にはゴ・ディン・ジェム総統の弟で政府中央顧問のゴ・ディン・カンによって第3軍団/第3戦略地区司令官ならびにサイゴン・ザーディン省知事に選任された。
1963年5月以降、極端なカトリック優遇政策を行うジェム政権に反発して各地の仏教徒が大規模な抗議活動を開始し、政権側も戒厳令を敷いて強硬な弾圧を行ったことから南ベトナムは"仏教徒危機"と呼ばれる騒乱状態に陥っていた。この中でディンは、サイゴン・ザーディン省知事として実力による仏教徒の制圧を行った。
▲戒厳令下のサイゴン市役所で記者会見を行うディン少将(当時) 1963年9月
この時点では騒乱を「ベトコンの扇動によるテロ活動」と断じ、ジェム政権を擁護する立場だった。
しかし、この弾圧に国際世論はおろか南ベトナム軍内部からもジェム政権への反発が強まり、アメリカCIAが支援する形で軍部によるクーデターが計画された。1963年11月1日、首都サイゴンを掌握していたディンはズオン・バン・ミン将軍と共にジェム政権への軍事クーデターを実行した。翌11月2日、ディンは中将に昇進し、新たに発足したミン将軍を首班とする新政権、革命軍事委員会の副議長および内務大臣に就任した。
クーデター後に発生したズオン・バン・ミン将軍とグエン・カイン将軍の政権争いの中で、ディンは1964年にカインの逮捕を実行するなどミンの片腕として新政権の安定を目指した。
ディンは1965年には国軍総監および軍事教育総局(TCQH)局長に就任したが、中央政府の政変に敗れ、1966年4月9日から5月15日までの約1ヶ月間はグエン・バン・チュアン少将と交代する形で第1軍団/第1戦略地区司令官に左遷された。その後もディンが中央政府に返り咲く事は敵わず、1966年7月には"特別規律審議会"によって軍を懲戒免職された。
こうして軍でのキャリアは潰えてしまったディンであったが、翌67年に南ベトナム上院議員選挙に出馬、当選を果たした。国会議員となったディンは上院国防委員会委員長に就任し、1973年にも再選して終戦まで上院議員を務めた。
敗戦直前の1975年4月29日、ディンは南ベトナムから避難し、アメリカ・ヴァージニア州に渡った。その後カリフォルニア州ガーデングローブおよびウェストミンスターにまたがるベトナム人街"リトル・サイゴン"に居住した。
▲晩年のディン中将
南ベトナム最高位の"国家勲章・二級"(Đệ Nhị Đẳng Bảo Quốc Huân Chương)受賞者でもある。
ディン中将の葬儀はカリフォルニア州ウェストミンスターにて11月29日に執り行われ、親族ほか多数の南ベトナム軍・政府関係者が参列し、英雄の死を悼みました。
またディン中将はダラット国家武備学校(VBQG)の前身であるフエ士官学校の栄光の一期生であり、軍事教育総局(TCQH)局長でもあった事から、VBQGアソシエーション(緑色の制服)が中心となって最期の栄誉礼を捧げた模様です。
葬儀の様子はNKTおじさんが撮影され、氏のYoutubeチャンネルにて公開されています。
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