2014年01月17日
LDNN最強の男 レ・ディン・アン伝説 その1
※2022年10月22日更新
南ベトナム海軍のUDT/SEAL部隊"LDNN"のネタをリクエスト頂いたので、洋書には載っていなそうな人物のお話をご紹介します。
LDNN創設メンバーの一人、レ・ディン・アン(Lê Đình An)氏の自伝を要約しました。

LDNN時代のアン氏(左端) 1966年
前半は海軍入隊前に打ち込んでいた格闘技やボディビルの話がメインなので、いくらか話を端折ってます。
(ベトナムの伝統武術、および格闘家としての見解が細かく書いてあるので、それはそれで面白いんですが)
とにかくこの男、凄いんです。
なんか、破天荒と言うか、無茶苦茶と言うか。
まるで武井壮。いや、それ以上のリアル百獣の王ですよ。
どこの国も、UDTとかSEAL等の"海の男"系って、頭おかしいんじゃないかってくらい異常にタフネスを追求した脳筋人間兵器を保有していますが、南ベトナム海軍にもやっぱり居たんですね・・・
レ・ディン・アンは1940年、仏領インドシナ(コーチシナ)サイゴン郊外のスァンヒェップ村に生まれます。
8歳の時、カオダイ教徒である兄がフランス軍に参加していた事から、両親と兄の三人がベトミンに殺害されます。残されたアンたち四人の兄弟は、母が残したトゥドゥック市場の屋台で細々と生計を立てながら、アンは定時制の私立学校に通いました。
10歳の時、祖父からベトナムの伝統武道(ヴォー・トゥアット)を習い始めます。祖父は武術の達人で、ベトミンに襲撃される危険がある中、村々を周っては若者に武術の稽古をつけていました。アンの兄弟達は毎日遠方の市場や学校まで自転車で往復する傍ら、夜遅くまで武術の鍛錬に打ち込みます。またこの頃、アンはフランスの新聞で見たフロッグマン(潜水部隊)のイラストに強い憧れを抱いたのでした。
その後も兄弟達は武道に打ち込み、成長して道場を開くに至りました。アンは韓国から伝わったテコンドーを研究し、わずか16歳にして武道大会において東部6県で最強と謳われる格闘家となりました。
しかし1956年、アンは長年憧れていた潜水士の夢を追うべく、武道をやめてトゥドゥックの青少年水泳協会の門を叩きます。けれど水泳協会は金持ちの内輪のクラブであり、部外者のアンは入会を認められませんでした。それでもアンは諦めず交渉し、プールが営業する前の午前5時から8時までの間だけ使わせてもらえる事となります。こうしてアンは潜水士になるべく、毎日3000m以上の水泳や、プールの中に自作のトンネルや障害物を沈め、独学で水中作業のトレーニングを行いました。
半年後の1957年、アンは試しにサイゴンの青年水泳大会に無所属として出場すると、初出場の無名選手ながらいきなり優勝してしまいました。これに驚いたベトナム水泳協会はアンを競泳ナショナルチームに招聘し、アンは水泳を始めてわずか半年でアメリカで行われた国際大会へ出場する事となります。さらに同年に開催された競泳全国大会では、海軍の強化選手を差し置いて見事全国優勝を果たしてしまいました。
100m平泳ぎで全国優勝した17歳のアン(1957年)

全国大会の各種目の優勝者たち(1957年)

アン以外は全員、海軍軍人か名門クラブの選手
しかし、アンの目標は水泳選手になる事ではありません。全国優勝したアンは更に肉体を強化するため、翌年の1958年からウェイトリフティング選手兼ボディビルダーに転向し、ベトナム国立体育センターでトレーナーをしながら「これでもか!」と鍛えまくります。
スーパーマッスル化したアン・・・いやアンさん20歳(1960年)

キレてるーッ!!
ボディービルコンテストに出場(1961年)

アン氏はベトナムボディビル界の第一人者として、戦後はアメリカでボディビルのトレーナーとなります。
(もうダメ、面白すぎwww)
けれど、夢はあくまでフロッグマン。潜水技術を磨くため、毎年南ベトナム海軍で訓練の一環として行われている素潜り漁大会(銛で魚を獲る大会)に、1960年から一般人として参加を始めます。
そして1961年、アンはついに海軍で本格的なフロッグマンになるべく志願入隊します。入隊したアンは水兵課程26期としてクアンチュン訓練センターでの基礎軍事教練、練習艦"ノタン(根性)"での航海訓練、ニャチャン海軍訓練センターでの4ヶ月間の航海士課程を修了します。しかしアンは海軍に入隊し、衝撃の事実を知りました。アンが憧れたフランス海軍潜水部隊は1955年にインドシナから撤退しており、それ以降南ベトナム海軍には潜水部隊が存在しなかった事を・・・。 (なぜ入隊前に調べないww)
こうしてアンの夢は潰えたかのように見えました。が、しか~し!当時海軍は潜水部隊の創設をすでに決定しており、その幹部となる人材集めを始めていました。そこで白羽の矢が立ったのが目立ちすぎる経歴を持っていた教育隊の新兵アン。海軍本部教育課はアンが水兵26期教育隊を卒業すると、すぐさま海軍潜水工作部隊(LDNN)の創設メンバーに抜擢します。こうしてアンはついに、本物のフロッグマンになるチャンスを得たのです。
そして記念すべき第1期LDNN訓練がニャチャン海軍訓練センターで開始されました。しかし、それまで常に無敵を誇ったアンに最大の敵が立ちはだかります。それは厳しい訓練でもベトコンの襲撃でもなく、軍の古い体質でした。海軍本部そして総参謀部のLDNNに対する姿勢はアンにとって全く期待外れなもので、LDNN訓練は予算も機材も、そして潜水要員の地位さえもが理不尽なまでに低かったのです。特に潜水部隊は他の海軍部隊に比べて訓練中の事故の危険性が高いにも拘らず、事故の際の治療や兵士の家族への保障が全く整っていませんでした。軍のフロッグマンに対する理解の無さに失望し、アンは訓練を辞退して一般の海軍部隊に戻る事を決意します。
しかし、海軍素潜り漁大会では入隊したその年に優勝、翌年も優勝(ついでに65年も優勝)するなど、アンはすでに南ベトナム最強のフロッグマンになっていました。そんなアンの能力を高く買っていたLDNN初代隊長ラム・ニュット・ニン中尉は、部隊に残るようアンを引き止めます。そしてニン中尉はアンに、LDNN訓練生をダナンで行われていた総統府連絡局の海洋戦特殊部隊"シーコマンド(Biệt Hải)"の第2期訓練コースに参加させる事を提案します。シーコマンドはゴ・ディン・ジェム総統直属の特殊部隊であるため予算も豊富で、何より潜水部隊のお手本であるアメリカ海軍SEALsが軍事顧問として訓練を指導していました。そしてアンには、その第1期LDNN訓練生の顧問を任せたいと申し出たのです。アンはこれに同意し、ダナンでのシーコマンド訓練が始まりました。
アンが優勝した海軍素潜り漁大会(1961年、62年、65年)

銛一本で長時間、深い深度で魚を狙う素潜り漁には非常に高い技術と体力、精神力が要求される
この第2期シーコマンド訓練は6ヶ月間に渡って実施され、LDNN訓練生たちはSEALの指導の下、シーコマンド候補生らと共に空挺降下・偵察・対ゲリラ戦などを学んびました。訓練は1963年に無事完了し、LDNN隊員たちはサイゴンへ移動します。
しかし翌64年、総参謀部はLDNN隊長ニン中尉およびLDNN隊員の大多数に対しシーコマンドへの編入を命じました。 もともとシーコマンドは総参謀部の指揮系統から独立した総統府連絡局の組織でしたが、63年11月のクーデターによって総統府連絡局は解体され、その指揮権は総参謀部に新設された開拓局・沿岸警備局=SPVDH/SKTに移行していました。おそらくこの異動はCIA、MACV-SOGが計画した秘密作戦OP-34Aへの投入を前提とした部隊編成だと思われます。
アンはシーコマンドには異動せずLDNNに残りましたが、せっかく結成されたLDNNのメンバーのほとんどが、こうしてシーコマンドに編入されてしまいました。
転属しシーコマンド隊長となったラム・ニュット・ニン大尉(②番の人物) その右はSPVDH司令ゴ・テー・リン大佐

ニン大尉率いるシーコマンド・初代LDNNの合同チームは、OP-34Aの実行部隊として北ベトナム・中国沿岸部への潜入破壊工作を実行します。
しかし数週間後には第2期LDNN訓練の実施が決定され、全ての海軍部隊に志願者を募集する通達が出されました。また、転属したニン中尉に代わって新たにLDNN隊長に着任したのがファン・タン・フン中尉でした。
フン中尉は、アンが第1期LDNN訓練を修了していないのにも関わらず部隊にいる事を疑問に思い、オフィスに呼んで説明を求めました。そこでアンは、ニン中尉の時と同様に海軍訓練センターの施設の不十分さや潜水要員への不当な扱いを訴え、こんな状態では私自身訓練に参加できないと啖呵を切ります。
数日後、フン中尉は再びアンを呼び出し、規則だからと第2期LDNN訓練への参加を強く勧めますが、その見返りに、卒業後にはアンをLDNN本部スタッフとして採用する事を約束します。この提案にアンは渋々同意し、第2期LDNN訓練への参加を承諾したのでした。
次回、LDNN訓練編へ続く・・・
この記事へのコメント
素晴らしい記事!毎回、舌を巻きます。
大変参考になりました、OP-34Aは元北ベ等だけではなかったのですね。
続きも楽しみにしています。
大変参考になりました、OP-34Aは元北ベ等だけではなかったのですね。
続きも楽しみにしています。
Posted by Q州の一匹狼
at 2014年01月17日 18:39

シーコマも奥がめっちゃめちゃ深そうですね!!!
とても面白かったです。後編楽しみにしてます。
この人の体脂肪率もはや1%割ってそう(笑)
海入ったら何もしなくてもズブズブ自然に沈んでったりして…(  ̄▽ ̄)
とても面白かったです。後編楽しみにしてます。
この人の体脂肪率もはや1%割ってそう(笑)
海入ったら何もしなくてもズブズブ自然に沈んでったりして…(  ̄▽ ̄)
Posted by Kingbee at 2014年01月17日 23:21
>Q州の一匹狼さん
ありがとうございます!
CIA指揮による対北潜入工作が始まった61年からOP-34Aの初期までは、北ベトナム領内での活動するためベトナム北部出身者(北ベトナムが成立する前に南に逃れた人々)が選抜され潜入工作部隊(北方コマンド)を構成していたそうです。
彼らは当初、北ベトナム内陸部やラオスへ空挺降下で潜入していたそうですが、次第に工作員である事が発覚して逮捕される事態が頻発した為、SOG-34は作戦を内陸部への長期潜入から沿岸部での短期サボタージュに切り替えたとの事です。
ありがとうございます!
CIA指揮による対北潜入工作が始まった61年からOP-34Aの初期までは、北ベトナム領内での活動するためベトナム北部出身者(北ベトナムが成立する前に南に逃れた人々)が選抜され潜入工作部隊(北方コマンド)を構成していたそうです。
彼らは当初、北ベトナム内陸部やラオスへ空挺降下で潜入していたそうですが、次第に工作員である事が発覚して逮捕される事態が頻発した為、SOG-34は作戦を内陸部への長期潜入から沿岸部での短期サボタージュに切り替えたとの事です。
Posted by タイガ
at 2014年01月18日 00:10

>Kingbeeさん
南ベトナム軍で最初にSOGと密接に関わった組織ですし、初っ端から北への潜入破壊工作任務に投入されてるので、絶対面白いはずですw
今のところ具体的な活動はOP-34A時代しか知らないので、もっと後の時代の活躍も調べてみようと思います。
実はあの重い筋肉も水中なら負荷にならず、力を100%泳ぎに使えるのかもしれませんw
どの国も陸上の特殊部隊員は比較的細身で持久力重視っぽいのに対し、フロッグマンだけやたらマッチョが多いのは、こういう理由かなと推測してます。
南ベトナム軍で最初にSOGと密接に関わった組織ですし、初っ端から北への潜入破壊工作任務に投入されてるので、絶対面白いはずですw
今のところ具体的な活動はOP-34A時代しか知らないので、もっと後の時代の活躍も調べてみようと思います。
実はあの重い筋肉も水中なら負荷にならず、力を100%泳ぎに使えるのかもしれませんw
どの国も陸上の特殊部隊員は比較的細身で持久力重視っぽいのに対し、フロッグマンだけやたらマッチョが多いのは、こういう理由かなと推測してます。
Posted by タイガ
at 2014年01月18日 00:27

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