2014年02月12日
ベトナム人民軍の南ベ復古?
僕はベトナム人民軍については門外漢なので、今までまともに調べた事なかったのですが、友人が面白い発見をしたのでご紹介します。
※画像は海外サイトで拾ったもので、僕の所有物ではありません。
まず、現在のベトナム人民軍では、陸軍から民兵組織まで、リーフ系迷彩の戦闘服が広く使われているようです。
中には、米軍が開発し南ベトナム軍(ベトナム共和国軍)で広く用いられた低地用ERDL迷彩(グリーンリーフ)にそっくりな色合いのリーフもあります。
また、米軍・ベトナム共和国軍で広く用いられたベースボールキャップ型の帽子も一部(学生への軍事訓練など?)で使われているようです。
ただ、ベトナム人民軍は戦後ベトナム共和国軍の装備や衣類を接収し自軍に組み入れているので、もしかしたらベトナム共和国時代に生産された生地が余っていた、または戦後も同じ生地が生産されたのかも知れません。
「使える物は例え敵国製の物であっても使う」ってのは合理的な考えですし、それに今時中国などの共産主義国でも普通にリーフ系迷彩が使われているので、これ自体に特に違和感はありません。
ベースボールキャップも、それ自体がとてもシンプルな物なので、「たまたま似ちゃった」だけかも知れません。
が、次はちょっと不自然。
これら人民軍リーフ戦闘服の中には、エポレット&肩の補強布という、南ベトナム軍戦闘服(もっと言えば原型となった仏軍TTA47/52シャツ)の特徴を引き継いでいる物もあるのです。
しかしこの裁断も、接収したベトナム共和国軍戦闘服をそのままコピーした名残りだったり、肩の補強布の有用性が認められたと解釈する事もできるので、これだけでは単に「似ている」という程度に過ぎません。
が、これは明らかに不自然でしょう・・・
ご存知のように八角帽(Eight-pointed cover)はアメリカ海兵隊で誕生したデザインで、ベトナム共和国軍では海兵隊のみならず陸海空軍・警察でも用いられる最も多用された戦闘帽でした。
ベトナム人民軍にとっては、まさに敵国を象徴するデザインだったはずです。
戦後しばらくは「しかたなく」ベトナム共和国軍から接収した八角帽を使っていた可能性はありますが、八角帽はあくまでデザインであって、他の帽子に比べて機能面で優れているという事は一切ありません。
強いて言えば、トップが一枚布なのでベースボールキャップよりは生産が楽かも知れませんが、ならばこんな面倒な折り目・縫い目のデザインまで継承する必要は無いはずなんです。
この八角帽はベトナム人民軍でかなり普及しているようで、ネットで検索すると沢山画像が出てきました。
また、一般的なリーフ迷彩以外の生地でも生産されているようです。
帽章や階級章こそ人民軍ですが、それでもベトナム人がリーフ迷彩着て八角帽被ってると、どうしてもベトナム共和国軍の姿を彷彿とさせられます。(BDU風の4ポケリーフ戦闘服は当時南ベでも使われていた)
そのくらい、まるで南ベトナム軍を模しているかのような姿だという事を、かつて南と戦った人民軍幹部が知らない訳が無いですよね・・・。
また、人民軍がリーフ迷彩などの『西側風』な服装に切り替えたのは軍の近代化・欧米化を目指しての事だと理解できますが、だからって単に「西側っぽいから」という理由で八角帽が採用されるのは腑に落ちません。
むしろ西側でも八角帽を使っている国は極少数ですし、逆に使っているのはアメリカ・韓国と、モロにかつての敵国。
今は関係が改善しているとは言え、改善されたくらいでわざわざ軍服のデザインまで真似るなんて納得できません。
あまりに不思議なので、実はこれら新型戦闘服の選定責任者がベトナム統一後人民軍に入って幹部となった元ベトナム共和国軍人で、
昔を懐かしんでこっそり南のデザインを復活させようとしたのかも、とか想像してしまいますw
余談ですが、現在のラオス人民軍でも、かつてラオス王国軍が使っていた米軍式ベースボールキャップがいまだ現役です。
ラオス内戦の場合は政府軍と共産ゲリラの戦いという形態ではなく、共産側のパテート・ラーオももともと王国軍の一部であり、残りの王国軍も右派と中立派に分かれ、軍閥同士で三つ巴の内戦という有様でした。
最終的にはパテート・ラーオと王国軍中立派が手を組んで右派を倒します。そしてその後、中立派も解体されてパテート・ラーオに編入されたのが今のラオス人民軍。
なので、ラオス人民軍にとって王国軍が必ずしも敵ではないので、今でも王国軍スタイルの帽子が残っているのは、ベトナムほど不可思議ではないと思います。
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