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2014年03月17日

M41 vs T54

 少し前に書いた記事『装甲騎兵』に載せたように、南ベトナム軍の装甲騎兵(機甲)部隊は、1965年以降M41ウォーカーブルドッグ軽戦車(M41A3)を200輌以上装備し、ベトナム戦争における機甲戦力の中枢を担っていました。M41と言えば、陸上自衛隊でも(西ドイツ軍で使われなくなった車輌が)アメリカから供与され、一部は80年代初めまで現役だったという日本人にも馴染み深い戦車だと思います。
 そのM41についてですが、上記の記事を書くにあたって資料を調べていたところ、南ベトナム軍のM41A3軽戦車が北ベトナム軍のT54戦車を撃破しまくったという証言がいくつも出てきました。中でも南ベトナム陸軍(第3軍団)第3強襲団司令官チャン・クァン・コイ准将の証言によると、特に1971年の『ラムソン719作戦』では、ラオス領内に進攻した第1騎兵旅団所属のM41A3軽戦車部隊が、1輌の損失もなくT54戦車6輌、PT76水陸両用軽戦車16輌を撃破する大戦果を挙げたそうです。コイ准将は、当時装甲騎兵部隊の軍事顧問だった米陸軍レイモンド・R・バトリアル大佐から、クレイトン・エイブラムス将軍に並ぶ「パットン将軍の後継者」と謳われたほど、ベトナム戦争で最も戦果を挙げた機甲部隊指揮官でした。

 僕はこの証言をそのまま記事に書いちゃいましたが、よくよく考えると「本当にウォーカーブルドッグなんかでT54を倒せるの?それも圧倒的優勢で」と不安になってきました。だってM41とT54では、見た目からしてT54の方が強そうなんですもん。

M41 vs T54M41 vs T54
※ベトナム人民軍ではT54とその発展型であるT55はまとめて"T54/55戦車"と扱われており、またT54を中国がライセンス生産した"59式戦車"も使われていましたが、この記事ではこれらは全てを総称してT54戦車と書いています。

 強そうなのは見た目だけじゃなく、実際搭載されている砲の口径は、M41が76.2mmで、T54が100mm。最大装甲厚(それぞれ砲塔防盾)にいたっては、M41がたった38mmなのに対し、T54が210mmと、その差はなんと5倍以上!とまぁ、その差は歴然。そもそもM41は軽量・快速がとりえの軽戦車なので、装甲厚は第2次大戦中に開発されたM4シャーマン中戦車の半分しかありません(装甲の質もほとんど変わらない)。唯一、エンジンの馬力はほぼ同じなので、10t以上車重の軽いM41の方が機動性では勝っています。(軽戦車なので当たり前ですが)

 しか~し、M41は『軽戦車』という名称とは裏腹に、なかなか強力な牙を隠していました。それが76.2mm戦車砲"76mm M32 Gun"です。「76.2mmってシャーマンと同レベルじゃん」と侮るなかれ、このM32は長砲身(60口径)、高初速、長射程でその上軽量という兵器大国アメリカの技術の結晶だったのです。そのM32戦車砲から各種砲弾を発射した際の諸元を以下の表にまとめてみました。

弾種 名称 砲口初速(m/s) 砲口エネルギー(ft-tons) 侵徹力(RHA換算mm-deg-m) 最大射程(m)
AP-T(APBC-T) M339 975 1034 122-30-914 14704
HVAP-T(APCR-T) M319 1262 847 208-30-914 9885
HVAP-DS-T(APDS-T) M331A2 1257 970 ? 21607
HEAT-T M496 1082 625 220 2003
APFSDS-T M464 1433 ? 230-0-2000 ?
※弾種の最後につく『T』は"Tracer(曳光弾)"という意味なので以下『T』は省略します。
※M331A2の侵徹力は70mmという記述もありますが、APDS(装弾筒付徹甲弾)でそんな低威力は考え辛いので誤表記だと思われます。少なくともM319 APCRよりは高性能なはずです。
※HEAT(対戦車榴弾)は命中時の爆発(によって生じるメタルジェット)で装甲を侵徹する化学エネルギー弾なので、距離に関係なく侵徹力は一定とされています。(ただし実際には砲弾の運動エネルギーも多少影響するらしい)
※M464 APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)が登場したのは1980年代後半らしいので、ベトナム戦争では使われていません。

 このようにM32戦車砲は、高速徹甲弾(APCRもしくはAPDS)を使えば約900mの距離からT54の最大装甲とほぼ同じ侵徹力があり、また砲塔側面(装甲厚110mm)であれば2000m以上の距離から撃破可能※でした。さらに対戦車榴弾(HEAT)なら、どの距離からでも装甲が貫通できた(=撃破可能だった)のです。(※M319 APCR-Tの場合、距離2000m(撃角不明)で侵徹力150mm。M331 APDSであればさらに大きいと思われる。)
 ベトナム戦争において戦車戦が行われたラオスの山岳地帯や南ベトナムの都市部などでは、植生や地形から必然的に交戦距離は短くなり、1000m以内の距離で会敵する事も決して珍しくは無かったと思われます。またそれ以上の距離であっても、HEAT弾を使えばT54の装甲はM41の戦車砲でも十分貫く事が出来たようです。ただし、これは相手にとっても同じ事で、もともと重機関銃や対人地雷くらいまでしか防げない貧弱な装甲のM41にT54の100mm砲弾が命中すれば、間違いなくお陀仏だったでしょう。つまり、M41とT54の攻撃力は拮抗状態にあり、『先に命中させたほうが勝ち』という状態だった事がわかります。

 しかし、いくらM41が優秀な戦車砲を搭載してるとは言え、正直戦車としての性能はT54の方が上だという事は当時から明らかでした。当然アメリカ軍はソ連の戦車に対抗して主力戦車M46~M48パットンシリーズ、そして戦後第2世代主力戦車であるM60パットンを装備していきます。一方、南ベトナムの財政力ではそうそう新しい戦車は採用できず(新型採用には車体のみならず回収車や整備施設などの運用システム構築に莫大な費用がかかる)、1972年にM48A3パットンの配備が開始されるまで、南ベトナム軍はM41に頼るしかありませんでした。
 とは言え南ベトナム軍は、戦車の性能以外の部分で絶対的優位な条件を握っていました。それは空軍力です。世界最大のアメリカ空軍・海軍空母機動艦隊に全面バックアップされているだけあって、南ベトナム領内および国外地上作戦地域の制空権は、常に南ベトナム側が握っていました。高い木々に覆われた地域では上空から戦車を攻撃することは容易ではなかったようでうすが、それでも制空権を握っており、好きなだけ偵察機や観測機を飛ばせる南ベトナム空軍・アメリカ空軍は、航空偵察などによって十分敵戦車の位置を把握できたと思われます。(いくらジャングルが濃くても、大規模な戦車部隊の通行までは隠せない。また特殊部隊による潜入偵察も常時行われていた)
 M41は装甲が薄く、敵戦車に対してはまるで『自走対戦車砲』のようだという事を誰よりも弁えていたのは、きっと南ベトナム軍自身だったでしょう。しかし、だからこそ敵状を見極めさえずれば、地形を利用した待ち伏せ・強襲によって逆に大打撃を与えられる事を知っていたのだと思います。また、南ベトナム軍を指導するアメリカ陸軍のアドバイザーは、朝鮮戦争でM24軽戦車使って痛い目見てる人が多いので、軽戦車の最も適切な使い方を指導したはずです。
 以上のことから、コイ准将らが証言した『ウォーカーブルドッグ無双』はあながちあり得ない話ではないと僕は考えます。またこれらが事実であったなら、ベトナム戦争における戦車戦とは、豊富な航空戦力と南ベトナム軍将兵の緻密な技能によって実現した理想的な機甲戦術だったと言えるのではないでしょうか。ただ残念ながら、僕にはこの話が確固たる事実であるという証拠を示す手段がありません。南ベトナム軍が作成した公式戦史なんて残ってませんし。まぁ、ミリタリーマニア界で語られる戦史なんて、当事者の証言のみがソースって事も多々あるんですが。





 しかし考えてみると、ベトナム戦争と戦車って深い関係がありそうですね。確かにこの戦争において大規模な戦車戦の回数はそう多くないですが、それは同時に、携帯式対戦車火器の発達によって『戦車の在り方』が大きく揺らいだ時代を反映していると思います。
 バズーカやパンツァーファウストなど、第二次大戦中から歩兵が携行できる対戦車火器の配備は始まっていましたが、戦後はより一層強力なHEAT弾頭のロケット・無反動砲が次々登場し、ついには安価なRPG-2・RPG-7の登場でベトコンのようなゲリラ組織までもがアメリカの最新式戦車を撃破できるようになったのです(もちろん反撃食らうリスクは有るけど)。
 一方、南ベトナム・アメリカ軍も対戦車ロケットM72LAWを大量に配備し、敵のT54戦車を次々撃破していきます。正確な数は把握していませんが、戦車同士による戦いが起こる頻度を考えると、ベトナム戦争中撃破された装甲車輌の多くは歩兵が発射した携帯式対戦車火器および地雷によって破壊された物と思われます。交戦距離が限定される地形・植生という事は、歩兵ならさらに近付いて待ち伏せ攻撃が可能という事ですね。(敵戦車と戦うに当たり、自軍戦車を危険に晒すよりも、数名の歩兵が戦死した方がコスト的に良いという考えもあるかもしれません。嫌な考えですが。)

M41 vs T54 M41 vs T54

このHEATパニック(僕が勝手に命名w)は世界の軍関係者に戦車の在り方というものを根底から考え直させるもので、この苦悩があったからこそ現代の主力戦車が必ず装備する複合装甲や爆発反応装甲の普及に繋がったそうです。しかし装甲が強化されればされるほど、それを貫くべくさらに強力な砲弾が開発されるのですから、まことに戦車とはホコタテですなぁ。



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