2014年08月14日
恋するモン族~Boy meets girl~
以前の記事で紹介しましたが、現在僕は『メコンに死す』という本を読み進んでいるところです。
メコンに死す―インドシナ戦争の裏面を語るノンフィクション・ノベル (アジアの現代文学 7 タイ)
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ピリヤ・パナースワン
めこん
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この本はラオス内戦当時からモン族難民の支援に当たってきたタイ人作家が、彼らの証言を基に再構成した物語です。
物語は内戦の最中の1960年から始まり、パテート・ラーオ(ラオス愛国戦線)指揮下の共産モン族軍に父親を殺されたモン族の少年が、兄と共にヴァン・パオ将軍率いる右派モン族軍※に入隊し、パテート・ラーオや北ベトナム軍、そして同族の共産モン族との戦いに身を投じていくというストーリーです。
(※ラオス王国軍内におけるラオス人部隊の規模・戦意は低く、右派モン族が事実上の政府軍主力部隊だった)
右派モン族を主軸としたお話ですが、敵である共産モン族側の内情も描かれており、内戦に勝った側の共産モン族すら迫害されるという歴史上の結末を考えると、彼らモン族の過酷な運命がより鮮明に感じられます。
第1次~第2次インドシナ戦争におけるモン族とフランス、アメリカ軍との関係は過去記事『モン族を想って』を参照
でも、僕は本を読むのが遅いので、まだ半分くらいまでしか読み進んでいません。1960年から始まって、今ようやく1964年です。
この年、19歳になった主人公のリー・トゥー兵長は休暇で家族の住む村※に戻った際、かねてより恋心を抱いていた少女マイ・トーに求婚します。
(※生まれ故郷は少年時代の1960年にパテート・ラーオ軍の砲撃で集落全体が焼き払われ、生き残った住民全員で移住した山中に村を新設し、そこに家族や幼馴染も住んでいる)
このモン族の若者の恋が、頭の中が戦争のことばかりの僕にはすごく新鮮に感じられました。
なので今回は、どんな時代であっても変わらない人間の普遍的な営み、モン族の恋愛事情について、この本から抜粋・まとめてみました。
モン族の婚姻制度は、親が結婚相手を決める許婚ではなく、伝統的に自由恋愛が基本だそうです。
まず、男子は自力で気に入った女子を見つけます。(※女子の結婚適齢は15~16歳ほど)
それは近所の幼馴染であったり、偶然出会った他所の町のモン族だったりと様々。
ただしモン族には、近親婚を避けるため『同じ姓の異性とは結婚できない』という掟があり、これだけは絶対に守らなくてはなりません。
(この掟のため、実際には血の繋がりが無くても好きな人と付き合う事ができないという悲恋が起こるそうです)
そして気に入った娘に出会ったら、まず自己紹介し、相手の名前と住所を聞き出します。
そこから男子は必死に女の子を口説きにかかりますが、ここからがモン族独特の恋愛スタイル。
いくら自由恋愛推奨とは言え、未婚の男女が公然とイチャイチャするのは憚られるため、男は深夜に彼女の家を訪れます。
そして、彼女の家の外で、屋内の彼女と壁越しに会話をしなければなりません。夜でも直接会ってはならないのです。
また、モン族の未婚女性は基本的に両親と同居しており、家も一間しかない小屋なので、親を起さないよう小声でヒソヒソ話する必要があります。
さらに、初めて娘の家に来た場合、その娘が家のどの位置に居るか分からない為、男子は一か八か、壁の四面をノックして回り、中からの反応を確かめるしかないのです。
当然そんなことしたら娘の両親は起きてしまいますが、この口説き方は自分達もやってきたことなので怒る事も無く、「わしの娘は反対側じゃぁ」と教えてくれます。
こうして、寝てるのか起きてるのか分からない両親の脇で、男女の壁越しの会話が続きます。
ただし、この時点ではまだカップルは成立しておらず、まだお試し期間中なので、モテる女子の家には毎夜代わる代わる様々な男達が口説きに訪れます。
女子は、その中で気に入った男子には愛想良く、不合格者は冷たくあしらう事で徐々にふるいにかけ、相手を絞っていきます。
自分が好かれているか、振られたかは男子側の自己判断という、男のメンタルにはなかなか厳しい風習です。
こうして好きな相手が一人に絞られると、ようやくカップル成立。
ここから、二人のお楽しみタイム『コージェー』が始まります。
『コージェー』とは家の壁に穴を開けることで、それまでは壁越しに会話するのみでしたが、女子が『コージェー』を許すと、男子は壁に腕が通るほどの穴を開けます。
そして、そこから腕を突っ込んで、壁越しに彼女の身体を触る事ができるのです。ワンダホ~!
しかし、あいかわらず娘の両親は同じ小屋で寝ています。
小声で話すどころか、親の目の前で揉み揉みタイムまで始まって、彼女の恥じらいはMAX!
男のほうも、壁越しのペッティングに興奮度MAX!!モン族エロい。
しか~し、中には「どっちも好きだから決められない」とか言って二股かける女子もいます。恋の主導権は女子が握っているのです。
そして好きな二人の男子に、それぞれ別々にコージェーさせる場合もあるとか。
二股に気付かない男子は、それぞれ「ようやくあの娘をゲットできた」と浮かれ気分ですが、もともと狭いモン族の社会ですから、いずれ二股はバレます。
当然二股かけられた男たちはブチ切れるわけですが、こういう場合モン族男子には、定番の仕返しがあります。
それは、いつものように彼女の家を訪れコージェーさせてもらう訳ですが、実はそこに全然関係ない別の男友達を連れてきて、その友達に彼女の身体を触らせちゃうのです。
壁越しに行われるコージェーならではのセクハラ・リベンジ。これが慣例として代々受け継がれる復讐の手段なんですから、いかに昔から二股が多かったかを物語っていますね。
(男が怒り狂って暴力に走らないよう、予めソフトな復讐法を決めてあるんだと思います)
こうして幾多の試練を乗り越えたカップルは、ついに結婚へと進みます。
互いに結婚の意志を確認しあうと、男子は自分の両親を通して、正式に娘の両親に結婚を申し込みます。
今まで散々娘が壁越しにイチャイチャしてるのを見てきたので、親は基本的にそのまま結婚を許可し、めでたく結婚式となるわけです。
なお、モン族の夫婦は結婚すると、それぞれ実家を出て二人で新たな家庭を築くので、結婚後両親と同居する事はありません。完全核家族制です。
とは言え、そんな遠くに引っ越す事もないので、爺ちゃん婆ちゃんから孫たちまで、だいたい固まって一つの村で生活します。
これが、代々続いてきたモン族の恋愛・結婚スタイルでした。
以下、1975年以前のモン族の日常風景を記録した映像です。
これらを見ていると、彼らが失ってしまった物の大きさを改めて痛感します。
本格的な内戦に突入する前の、モン族にとって最後の平和な時代。1956年
内戦終結直前の1974年。
この1年後、共産ラオス政府が成立した事で、ラオスに住んでいた20万人のモン族が難民として隣国のタイなどに脱出せざるを得なくなり、彼らは帰る故郷を永遠に失いました・・・
余談ですが、僕が以前スカイプで仲良くなった中国の女の子は、モン族と同族(住む場所によって名前が違うだけ)の貴州省出身のミャオ族の娘でした。
友達につけられたあだ名は、崖の上のポニョに似ているから『ポニョ』だそうですw
当時、その子は武漢の大学で日本語を勉強していて、日本人と仲良くなりたいからスカイプで友達を探していたそうです。
貴州の実家の写真とか、親戚の結婚式の写真とかいろいろ見せてもらいました。まさに、ラオスのモン族のそれといった感じでした。
でも現在中国に住むミャオ族は、少数民族とは言え別段差別されているという事はないので、普段の生活は普通の中国人(漢族)と全く一緒です。
もしラオスのモン族があれほど内戦に深く関っていなければ、ミャオのように今も平和に暮らせていたのかもしれません。同族でも住んでいる場所で大きく明暗が分かれてしまった事を、その子と会話する中で密かに感じていました。
しかしあの子かわいかったな~。二回くらい日本に留学に来たそうですが、日本国内でも遠い場所だったので、結局直接会うことはありませんでした。
ちょっともったいない事したかも。
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