2014年09月27日
今週のつぶやき
※2019年11月24日更新
※2022年10月23日更新
今まさにケサン基地からラオス領内へ出撃する場面です。
なぜかブラウザ上で再生出来なくなったので、ダウンロードして、偵察隊員の場面だけを編集した動画をYoutubeに載せときました。
ベトナム戦争においてアメリカ陸軍は、それまで各部隊の歩兵がその都度斥候として行っていた偵察活動を一元化し、直接的に師団本部など上級司令部の目となる機動性の高い偵察専門部隊LRRPを編成しました。そしてこのLRRPが非常に大きな成功を収めたことは有名だと思います。
一方、これを受けてベトナム共和国軍も各師団および連隊ごとに偵察中隊を設置していました。ベトナム版LRRPである彼らは米軍のMACVリーコンドースクールで研修を積んで偵察のノウハウを学び、その目論み通り戦場における情報収集に多大な貢献をしました。
しかし、彼ら偵察中隊は人数が少ないため必然的に写真も少なく、謎な部分も多かったんです。それがこんな鮮明な動画で見られるとは思ってみませんでした。マジで久しぶりに「ウホッ!」となる動画でした。
メコンに死す―インドシナ戦争の裏面を語るノンフィクション・ノベル (アジアの現代文学 7 タイ)
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『メコンに死す』を読み終わりました。
読む前に想像していた内容とはまったく異なり、かなりエキサイティングな小説でした。
ラオス軍モン族SGUの兄弟を軸に、ラオス軍右派、中立派、米CIAにタイ軍軍事顧問などが次々登場。
そして敵側も、パテート・ラーオ軍共産モン族と、彼らを裏から支配する北ベトナム軍大佐、その上部のベトナム労働党の内部などがじっくり描かれてる。本当に素晴らしいです!
この本は内戦当時からモン族難民の支援に当たってきたタイ人作家が、彼らの証言を基に再構成したフィクションです。
しかしながら、物語の背景は全て実話であり、ラオス内戦時代のモン族を知る上では最高の小説ではないでしょうか。
難民となって隣国タイに脱出してきたモン族に対し、国連難民高等弁務官の西洋人が語った
「モン族なんて未開人なのだから為政者が誰であれ構わないだろう。余計な仕事を増やしやがって」という台詞に、ラオス内戦が「忘れられた戦争」と呼ばれる所以が象徴されています・・・
『War Story』と並ぶ、僕のインドシナ趣味の新たなバイブルとなりました。
あと、この本のせいでモン族はもちろん、これまであまり興味なかったタイ軍が一気にアツくなってきました。
モン族SGUは、その資金・装備を米軍が提供していますが、現場の指揮と人材育成は米軍グリーンベレーと共にタイ軍特殊部隊が担っていたんですもの。

本人がフェイスブックに載せたところによると、右側のぶら下がってる人がNKTおじさん(ファム・ホア少尉)本人だそうです。
ホア少尉はドンデー下士官学校の予備士官課程を1972年に卒業して少尉に任官し、そのままNKT作戦局"黒龍"のコマンド要員に採用されたので、この写真はおそらくNKTに採用された直後の訓練風景だと思います。
また、NKTの訓練は通常、ロンタンのNKT訓練センター"キャンプ・イェンテー"で行われますが、施設の関係か空挺降下教育だけはタンソンニュットの空挺師団・空挺訓練センター"キャンプ・アップドン"で行われたそうなので、たぶんアップドンでの写真だと思います。
NKTおじさんの作ったハイレベルなブログ NKTスナイパー http://snipernkt.blogspot.jp/
あの人時々、こういう意味不明なおふざけするんだよね。
完全にスベってるけど、ジャイアンなので誰も突っ込めないんだろうな・・・。

僕のYoutubeホーム画面。
あのおぞましい宣伝サムネを徹底的に排除するべく努力した結果こうなった。すごく快適。
広告もおすすめも一切出てこないようにフィルターかけまくった。
「嫌なら見るな」って?
いや~、自分が見たいものだけをちゃかり見させてもらいますよ。ギークなめんな。
ついでにmixiプレミアムもpixivプレミアムも、その他あらゆる広告をほぼ完全に非表示にできた。
現在までにブロックした広告数、累計約29万件。逆に言えば、ブロックしない限り29万件も強制的に見させられてたのか。恐ろしいね。
ジエム政権期の政府・軍首脳部の顔ぶれ見てると、その後出世した人と、処刑・粛清された人に完全に分かれてますねぇ。
ジエムシンパの軍人は、割と若めの青年将校な人達が多い。独立当初から軍部と揉めてたジエムだけど、理想に燃える若い士官にとって、ジエムのカリスマ性は魅力的だったんだろうな。
でも結局ジエム政権を倒したのは、ズオン・バン・ミンやチャン・バン・ドンといった軍の重鎮たち。だけど重鎮たちは互いに権力争いしてCIAに見離され共倒れ。
最終的にCIAが目を付けたのが、若手のグエン・バン・チューとグエン・カオ・キのコンビ。まだ権力基盤が薄いが故に、CIAに忠実に動いてくれる都合の良い人材に見えたんだろうな。実際チュー政権は成功し、敗戦まで10年も続いたし。
意外なのが、初代空挺グループ司令のド・カオ・チ。

かつてはジエム総統に向かって「今から部隊を率いてお前らを殺しにいく」と恫喝した(1955年ビエンスエン団討伐戦時)くらいなのに、63年のクーデターや、その後の政争には関与していない。空挺グループの後輩のカオ・バン・ビエンは総参謀長にまで出世したのに、チは最後まで軍団司令として現場に指揮に徹した。あの国では珍しいタイプの軍人さん。
ジエム政権期には、マクナマラまでもが直接チを接待してCIAの持ち駒にしようと目論んだのに、最後までどの勢力にも服さなかった。最初にジエムに歯向かった軍人なだけに、政争に巻き込まれる事の危うさを誰よりも知ってる人だったのかも。

1969年の時点では米軍ですら、まだFADAC(野戦砲兵射撃指揮コンピューター)が配備されて居らす、手計算で射撃諸元を算定してたファイヤーベースもあったんだとか。
ソ連との全面戦争を前提としている軍隊なのに、意外と装備が行き渡ってない面もあるのね。
(アメリカにとってベトナム戦争はあくまで片手間の戦争だったから、ベトナム派遣部隊への配備は後回しにされてたのかも)
他にも問題は山積
・FOからの射撃要求が直接FDCに届かず、無線中継基地の通信手を介して通信する必要があった。
・場合によっては部隊間の符牒が共有されておらず、その確認に時間がかかった。
・砲撃の際は毎回、弾道の付近に飛行中の航空機が居ないかを空軍に確認しなければならなかった。
アナログ時代って大変だなぁ。そりゃどこの軍隊も、指揮システムをデジタル化したがるわ。

ベトナム共和国軍の制服はほぼ全て把握してるつもりだったけど、まだ分からないの出てくるなぁ。
棺桶担いでるから葬儀用の服なんだろうけど。
政治戦総局・社会福祉局内の司祭課なんじゃないかと予想。

あのナパーム弾による爆撃から逃れる少女の写真「戦争の恐怖」を撮影したAP通信のベトナム人カメラマン、フィン・コン・ウト(ニック・ウト)氏の当時の写真が、ご本人のフェイスブックで続々公開されてますね。
ベレー帽に"PRESS"のテープは斬新w
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