2016年06月20日
知の楽しみ
今回はいつもと趣を変えて、読書について。
数年前から、『哲学的な何か、あと科学とか』さんのコラムを読んだのをきっかけに、哲学や科学、数学関連の本とか番組をちらほら見るようになりました。今回は、僕が素人なりに見てきた中で、特に面白かったものをご紹介します。
最初に挙げた『哲学的な何か、あと科学とか』のコラムの書籍化。僕のようなど素人にも分かりやすい言葉、面白い例え話でエンターテイメントとして楽しめるように書かれているので、読んでいて飽きません。まず"哲学"という言葉への苦手意識を払拭するのに良い本だと思います。
古代から現代までの哲学史の基本を追うと共に、タイトルにあるように哲学を"自分を知る(=自分そして他者と付き合う)"ためのツールと捉えて解説する本です。世間とはかけ離れたイメージを持たれがちな"哲学"ですが、筆者は哲学とはあくまで社会の中で生きる人間の人生を豊かにするものであって欲しいというポジティブな思いが溢れていて、さわやかな気持ちで読めました。
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)
リーマン予想
超有名な数学上の大問題『フェルマーの最終定理』に翻弄された数学者たちの人生と、イギリス生まれの少年ワイルズがこの問題と出会い数学者の道に進み、ついに数学史上最大の難問を解くまでの壮大な物語を綴った本です。一応簡単な数学の説明はあるけど、フェルマーの最終定理そのものの解き方は超一流の数学者でも理解するのに数年かかる超難解なものなので、人間模様重視の本です。数学者殺しとして悪名高いフェルマーの問題に打ち込んでいることを誰にも明かさず、7年間もの間屋根裏部屋で一人研究に明け暮れたワイルズの孤独な戦いと、ついに訪れた栄光の瞬間に涙が出てしまいました。こういう人に憧れます。
上記の『フェルマーの最終定理』が非常に面白かったので、同じくサイモン・シン著の宇宙創成も読んでみました。この本はビッグバン宇宙論の解説と言うか、古代から現代にいたるまで人類が宇宙をどう解釈し、ビッグバンモデルを受け入れるまでに至ったかという、宇宙論の観点から科学史を追っていくお話しです。今では滑稽に見える天動説も、当時の科学水準においてはむしろ地動説よりも科学的な解釈だったという目から鱗な逸話もあり、科学とは根拠さえ揃えば常にパラダイムシフトを起こしうる生き物のようなものだと感じました。
リーマン予想
こちらはまだ未解決のリーマン予想のお話。掘れば掘るほど意味深さを醸し出す『素数』の謎に挑む数学者たちの物語です。素数、それは人を狂わす悪魔の数字か、神が作りし宇宙の設計図か・・・?
おまけ
どんなに言葉を尽くしても説明不能な、他人に伝える事も、他人のそれを知ることもできない不可触な情報、それが人間一人一人の脳に生じる/感じる『クオリア(質感)』。もし電脳が実現して脳内の情報が電子的に出入力出来るようになったら?
「あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」という人形使いの言は、科学技術によって人間の定義そのものが揺らいでしまう可能性を指摘しています。
そういえば、攻殻の世界だと割りと貧乏な人も普通に電脳化してるけど、脳外科手術するんだからかなりのお金が必要なはず。どうしてあんなに普及しているんだろうと考えたんですが、多分ああいう普及型の電脳には企業の広告が付いてるんですよきっと。人間の脳から直接ビッグデータを取得して、企業広告を五感に直接出力するんです。もう寝ても覚めての脳内は広告だらけ。サブリミナルどころじゃないですね。
で、広告が嫌な人は『プレミアム電脳』へのアップグレードが可能で、課金すると広告無しで様々な機能が使えるようになるんです。もちろんプレミアム化するまで、プレミアム化しませんか?という広告が常に出まくりです。
あー、やだやだ。Adblockインストールしなきゃ。
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