2014年02月15日
メコンの亡国
だいぶ前に描いたイラストですが、70年代前半におけるインドシナ親米三国(ラオス・南ベトナム・カンボジア)の陸軍将校の制服(勤務服)です。
これら三ヶ国の軍隊はもともと、第1次インドシナ戦争中の1949年に、インドシナに駐屯したフランス陸軍の植民地部隊から(形式的に)独立した国軍でした。独立後もこの三国はフランス連合の一員として、フランス軍の指揮下で1954年まで戦っていきます。(一部では1956年まで戦闘継続)
なので、制服や階級はもとより、軍の組織自体がフランス軍をベースとしたものでした。しかし面白いのが、これらフランス連合国の制服はそれぞれフランス軍のデザインを継承しながらも、見ての通り明らかにフランス軍とは異なるオリジナリティある制服になっていました。

まず、ベースとなった40~50年代のフランス軍。
開襟4ボタン・4ポケットというスタイルは、三ヶ国全てに受け継がれています。ただしこのスタイル自体、軍服のデザインとしては世界的にメジャーなものなので、単純にフランス軍スタイルを踏襲したって訳ではないかも知れません。
そしてフランス陸軍の一番の特徴であるケピ帽は、どの国にも継承されていません。そこはやはり、いくらフランス連合の中にいるとは言え、それまでの植民地とは違う、独立した国家なのだという意識が強く出てるのかもしれません。
(1975年以降の共産政権下では意図的に隠されていますが、当時フランスから独立したがってたのはベトミンだけじゃありません。フランスの傀儡と言われたこれらの国家は、一般人を巻き込んだ独立戦争をするよりも、フランスに協力する事で自治権を得るという現実的な選択をしたまでです)
では本題の、インドシナ諸国を見ていきましょう。
まず、ベトナム共和国(南ベトナム)。


制服の色はフランス軍(の熱帯用制服)を踏襲したカーキ色です。
中に着るシャツは基本白ですが、米軍のような薄手のカーキ色のシャツ(チノ制服ではない)を着る場合もあるようです。
将校の階級章は仏軍とかなり違ったシステムです。一方、兵・下士官の階級章は、デザインこそ違えど2色で表したりと、フランス軍の制度を継承していますね。
次にラオス王国。
写真探すのけっこう難航しましたが、アメリカに亡命した旧ラオス王国軍(Forces Armées du Royaume)のアソシエーションのサイトで当時の写真がいくつか見つかりました。右の写真なんて婦人用制服まで写ってますよ。ウホッ!


色はかなりグレーっぽいグリーンですね。
階級章の制度は南ベトナムと似ています。
意外にも、一番写真無かったのがクメール共和国(カンボジア)。
結局、普通の陸軍将校の制服写真を見つけることが出来なかった(空軍ならあったけど)ので、ロン・ノル将軍本人を参考にしました。
色は濃いグリーンで、階級章はフランス軍とかなり似てます。
▲中国を訪れた国防相時代のロン・ノルらクメール王国陸軍御一行と中国人民解放軍幹部(1964年北京)
王国軍(シハヌーク政権)時代の写真だけど、階級章のデザインが変わった(王政を表す王冠が無くなった)だけで、クメール国軍になっても制服は変わってない・・・と思う。
▲同じくソ連を訪問するロン・ノル御一行(1964年モスクワ)
着ているコートが超レア。この写真しか見たこと無い。カンボジアの気温では着る機会無いし。
でも南ベトナム軍にも、フランス軍と同型の防寒コートが存在しているから、これもクメール軍の正式な被服なのかも。
1970年にロン・ノル将軍がクーデターで政権を握るとカンボジアは反共親米に転向しクメール・ルージュと内戦になりましたが、
その前のシハヌーク政権時代は、表向きは中立的な第三世界。実態は隣国南ベトナムを敵視し中国・ソ連・北ベトナムなど共産圏に協力的な立場でした。
と、このように制服はけっこう変わっていますが、階級や徽章類にはフランスの面影が色濃く残っていました。
特に各国の空挺部隊はフランス空挺に育てられたエリートなので、軍服やベレーもフランス空挺を踏襲しています。
フランス撤退後に各国で独自に制定されたパラウィング(降下資格章)にも、フランスへの憧れが見て取れますね。

ただ、南ベトナムは星マークは一緒だけど、全体的には違うデザインに見える。独立してすぐベレー章のデザインも大きく変えたし。
ベトナムが一番フランスの影響強いはずなんですけどねぇ。不思議です。
この記事へのコメント
今日は%です。
ラオス王国軍の陸軍の制服の色は
タイ王国陸軍の制服の色と似ている思いますが
タイとラオスどんな関係でしたか?
ラオス王国軍の陸軍の制服の色は
タイ王国陸軍の制服の色と似ている思いますが
タイとラオスどんな関係でしたか?
Posted by % at 2014年11月16日 14:16
>%さん
軍服が似ている事と直接の関係があるかは分かりませんが、タイ人とラオス人は元々同じタイ系民族であり、歴史的にもラオスの各王朝は長らくタイ(シャム王国)の強い影響下にあったそうです。
フランスによるラオスの植民地化により、タイとラオスは完全に別の国家になってしまいましたが、それでもラオス王国軍は、タイ王室(チャクリー王朝)の紋章と同じ"チャクラムと三叉戟"をエンブレムとして使っていたくらいですから、文化的にはかなり近い関係だったようです。
ラオス内戦が激化すると、タイは共産主義の拡大を恐れてアメリカと共にラオス王国軍(右派)を支援し、北ベトナム軍とパテート・ラーオ掃討のため(非公式にですが)多数の軍事顧問・特殊部隊をラオスに派遣していました。
ラオス王国にとっても、すぐ隣から支援してくれるタイは最も重要な同盟国だったと思います。
軍服が似ている事と直接の関係があるかは分かりませんが、タイ人とラオス人は元々同じタイ系民族であり、歴史的にもラオスの各王朝は長らくタイ(シャム王国)の強い影響下にあったそうです。
フランスによるラオスの植民地化により、タイとラオスは完全に別の国家になってしまいましたが、それでもラオス王国軍は、タイ王室(チャクリー王朝)の紋章と同じ"チャクラムと三叉戟"をエンブレムとして使っていたくらいですから、文化的にはかなり近い関係だったようです。
ラオス内戦が激化すると、タイは共産主義の拡大を恐れてアメリカと共にラオス王国軍(右派)を支援し、北ベトナム軍とパテート・ラーオ掃討のため(非公式にですが)多数の軍事顧問・特殊部隊をラオスに派遣していました。
ラオス王国にとっても、すぐ隣から支援してくれるタイは最も重要な同盟国だったと思います。
Posted by タイガ
at 2014年11月16日 19:07

今晩はコメントが遅れてスミマセン、%です。
そうですね。確かにタイとラオスは兄弟関係に
思います。現にラオス王国の国旗はタイの赤い生地と白い像の
旧国旗と同じ形をしてましたから、
よく分かります。
そうですね。確かにタイとラオスは兄弟関係に
思います。現にラオス王国の国旗はタイの赤い生地と白い像の
旧国旗と同じ形をしてましたから、
よく分かります。
Posted by % at 2014年11月18日 22:19
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