2016年03月12日
台北 忠烈祠と国軍歴史文物館
※2022年7月15日更新
台湾という国は、第二次世界大戦の終結以来、外交・内政ともに微妙な状態が続いています。
日清戦争後、清国の領土であった台湾は1895年に日本に割譲されますが、1945年に日本が連合国に降伏すると台湾は日本から切り離され、大陸を支配する中華民国に編入されます。
しかし中国国民党が国共内戦に敗れると、台湾という小さな島だけが中華民国に残された唯一の領土となり、現在に至ります。
そのため、国際社会は国民党に代わって中国大陸を支配した中国共産党による中華人民共和国を正当な中国政府として外交関係を持っており、日本を含む多くの国々は中華民国(台湾)を国家として公には承認していません。
また台湾の人口の多数を占める本省人(中華民国編入以前から代々台湾に住んでいた人々)にとって、中華民国は同じ中華民族ながら1945年まで外国であり、それが宗主国日本の敗戦によって突然国民党に支配された形でした。
さらにその後、本省人の反乱を恐れる国民党政権によって本省人への大規模な虐殺、白色テロなどが続いたため、中華民国国民である台湾人の中でも、中華民国・国民党への評価は大きく分かれています。
現在の台湾はこうした様々な苦難を乗り越えて経済発展を遂げ、国民党が掲げていた大陸奪還の目標も放棄したため対中関係に差し迫った危機は無く、また内政面でも国民党独裁が終わり民主化が完了しているため、かつて大陸に存在した中華民国とは全く別の体制になっています。
しかしそれでも、国家のアイデンティティーとしては、あくまで孫文を国父と仰ぐ中華民国を継承しており、その姿勢が急激に変わる事は無いでしょう。
それを踏まえたうえで、今回は先日台湾を旅行した際に訪れた台北の忠烈祠と国軍歴史文物館から、台湾に残る"大陸"中華民国の部分を見てきます。
忠烈祠とは1969年に台北北部に建立された、中華民国の殉死者を祀る社です。
この忠烈祠に祀られている御魂は1911年の辛亥革命から北伐、日中戦争、国共内戦、台北遷都後の大陸反攻と、孫文が建国した中華民国・中国国民党系の勢力の殉死者であり、動乱の20世紀中国の歴史を物語る場所でもあります。



ここでは1時間おきに儀仗兵による栄誉礼・交代式が行われており、訓練された見事なドリル&セレモニーを見物する事が出来るため、国内外の観光客が集まる人気スポットにもなっています。
儀仗は中華民国各軍の持ち回りで、この日は海軍の儀仗隊が担当していました。
お次は台北市内の国軍歴史文物館へ。見学は無料です。


入り口には1924年に孫文が記した黄埔軍官学校校訓の碑文が。おお~!
ここでは中華民国軍の歴史が時代毎に展示されており、忠烈祠に祀られる戦士たちが辿った、近代中国(大陸)の歴史を学ぶ事が出来ます。

▲蔣中正(蔣介石)に黄埔軍官学校校長就任を命じる孫文直筆の大元帥令(1924年)

▲蔣介石が使用した国民革命軍総司令旗

▲蔣介石の軍服

▲日中戦争で鹵獲された日本軍の日章旗

▲同じく日本兵の所持品
中華民国(台湾)軍は中国国民党軍/国民革命軍直系の組織であるため、当然日中戦争の歴史も大々的に展示され、南京大虐殺の展示もあります。
日本人がどんなに台湾を親日と呼ぼうが、右翼が歴史修正・捏造で自己弁護を図ろうとも、少なくとも台湾軍自身は、かつて8年間に及ぶ日本による侵略戦争から中国を守りぬいて勝利した事を今でも誇りとしています。
おまけ
この国軍歴史文物館には、辛亥革命から現在までに使用された歴代の兵器の展示もあり、特に銃器は、ここでしか目にする事の出来ない珍しい物がた~くさんあって、軍事博物館としても超面白かったです!

▲まさかの珍銃キャリコ!!

▲ウジグラムは実在した!!!

▲中華民国空軍ライ・ミンタン(賴名湯)一級上将が、ベトナム共和国軍ドン・バン・キュエン(Đồng Văn Khuyên)中将から贈呈されたブローニング・ハイパワー
台湾は中国を刺激することえを恐れて公にはベトナム戦争に参戦していないけど、ベトナム国民党と中国国民党は孫文の時代から姉妹政党であり、また元国民革命軍将兵の中国人キリスト教徒がカマウ半島に興した反共軍閥"海燕独立区"は、ほとんど台湾軍の出先機関。ベトナム在住華僑の往来も盛んで、反共で一致するベトナム共和国と台湾は当時とても深い関係にありました。
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