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2016年09月14日

ベトナム戦争と戦車



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戦車はベトナムに不向き?

 一部のマニアの間では昔から「ベトナムは水田とジャングルばかりで戦車は役に立たなかった」という説が囁かれているそうですが、必ずしもそんな事はありませんでした。地域にもよりますが実際にはベトナムはハリウッド映画で描かれるほど水田やジャングルだらけではなく、むしろ地平線を見渡せるほどの広大な原野が各地にみられました。

ベトナム戦争と戦車
▲ビンロン省アンロク, 1972年

 またベトナム戦争当時、アメリカ陸軍はベトナムにおける機甲部隊の運用について調査を行い、以下の見解を示していました。
・南ベトナムの国土の65%で現代的な戦闘車輌群が使用可能
・雨季においても、戦車(※)は南ベトナムの国土の46%を走破可能。水陸両用機能を付加されている装甲兵員輸送車(APC)はそれ以上 ※アメリカ陸軍の調査なのでM48戦車での数値
・起伏にとんだ地形やジャングルは現代的な機甲部隊の戦術展開に何の支障にもならない
【引用】 要塞戦記: ヴェトナム戦争アメリカ軍ファイヤーベース PART.1, 秋田郁夫, wardroom, 2011年

 中東やヨーロッパの平原に比べれば少ないかもしれませんが、それでも国土の65%、雨季でも46%という数字は決して小さくはないでしょう。当時のベトナム共和国の面積が173,809km²なので、その65%は107,761km²、日本の本州の約半分に相当します。また46%でも79,952km²で、北海道より少し狭い程度です。これだけ広大な地域で戦車部隊が運用できたのですから、ベトナムの地形が特別機甲部隊に不向きだったとは言えません。
 そもそも機甲部隊の装軌車輌(キャタピラ車)は、通常の装輪車輌(タイヤ)では通行困難な悪路を、装輪式よりも大きな重量で走破できる事が強みです。だからこそ、世界中の戦闘車両や建設重機が装軌式を取り入れている訳です。
 装軌式が装輪式よりも走破性が良いのはひとえに接地圧の低さの賜物です。どんなに重量があっても、広い面積で地面と接していれば圧力は分散され、ぬかるみに嵌りにくくなります。雪の上を歩くかんじきやスキー板と同じ原理です。逆に軽い物でも、地面と接する面積が小さければ荷重が一点に集中するため地面へのめり込みは大きくなります。この接地圧は"psi (重量ポンド毎平方インチ)"という単位で表され、以下の数値が目安とされています。

M113A1装甲車 7.8 psi
成人男性 8 psi
M41A3軽戦車 10.2 psi 
T-54/55戦車 11.5 psi
M48A3戦車 11.8 psi
馬 25 psi
乗用車 30 psi
象 35 psi
ハイヒールを履いた女性 471 psi

 ハイヒールの先っちょは重量約52tのM48戦車の40倍も接地圧が大きいというのは驚きですね。(あくまで地面へのめり込みやすさを示す数値であって、実際にハイヒールに戦車40台分=2080tの荷重がかかる訳ではない)
 つまり、重量約12tのM113装甲車の雪やぬかるみに対する沈みにくさは、人間の足とほぼ同じなのです。また重量52tのM48戦車ですら、乗用車の約1/3程度の接地圧という事になります。そのため、自動車が通れないような水田や湿地帯でも装軌車輌ならば平然と進むことができます。また樹木などの障害物も、その低い接地圧と強力なエンジンの力でブルドーザーのようになぎ倒しながら進める、究極のオフロード性能を備えています。
 また、戦車・装甲車輌の運用というと必ず車重の問題が語られます。確かに、十数tを超えるような装甲車輌では、その重量に耐えられる橋が無いなどの問題が発生します。しかし、(敵に橋を破壊される場合もあるので)現代の戦闘車両は多少の川なら橋を使わなくてもそのまま渡河できるよう設計されていますし、それが無理な場合でも機甲部隊には必ず架橋車輌が装備されている為、橋を通行できるかどうかが運用上の決定的な問題になる訳ではなかったという事が当時の戦車の配備状況からも見て取れます。


機甲部隊の主役M113APC

 アメリカ陸軍は新型APC(装甲兵員輸送車)M113の実地テストをベトナムで行うため、1962年初頭よりベトナム陸軍第7歩兵師団、第21歩兵師団の自動車化中隊にそれぞれ15のM113を配備し、メコンデルタ地帯での機動性・渡河性の実証試験が行われていました。1963年1月には、ディントゥン省で発生した"アプバクの戦い(Trận đánh Ấp Bắc)"において、第7歩兵師団第7自動車化中隊が戦闘に参加し、M113が初めて実戦に投入されます。

 戦闘の結果は、政府軍側がゲリラに対し想定を上回る損害を被るという事実上の敗北でしたが、M113の湿地帯での有効性は認められ、以後ベトナム陸軍装甲騎兵部隊は終戦までに1,600輌を超えるM113シリーズを配備していきます。またベトナム派遣アメリカ軍および自由世界軍も同様にM113を多数装備し、M113はベトナム戦争を代表する装甲車両として記憶されます。


届かない戦車

 かつてアメリカ軍は朝鮮戦争において、朝鮮半島の山がちな地形を「戦車に不向き」と判断し、戦車の配備を控えたが為に北朝鮮・中国軍のT-34戦車によって大損害を受けた経験があるため、ベトナム戦争の頃には戦車という兵器が『陸の王者』であるということをはっきり認識していました。しかしその一方で、1965年にアメリカ軍の大規模派遣が開始された当初、ベトナムには地形とは別の面で機甲部隊、特に戦車の展開を妨げる要素がありました。それは港湾施設のインフラ不足です。
 そもそも南ベトナムの港湾施設はアメリカ軍の受け入れを想定したものではなかったため、大量の軍事物資を陸揚げできるキャパシティを持ち合わせていませんでした。当時ベトナム最大の港であったサイゴン港ですら、沖合には陸揚げの順番待ちをする米軍輸送船が渋滞している状態で、カリフォルニア州サンディエゴ軍港からの10,000マイルの航海よりも、サイゴン沖で入港の順番待ちをしている日数の方が多いといった有様でした。その為、先に上陸したアメリカ軍部隊への補給、基地建設の資材、そして最も重量級である戦車の陸揚げは遅れに遅れていました。

▲サイゴン港で物資を陸揚げするアメリカ軍 [1966年7月サイゴン]
この当時はまだサイゴン港に大型のガントリークレーンが整備されておらず、50t級のM48戦車の陸揚げは容易ではなかった。

 しかしその間も、地上部隊は機甲部隊抜きで作戦を実施しなければならなかったため、新たに考案されたのがヘリコプターの大量投入による空中機動戦術でした。こうして港湾インフラの不足は結果的に、ベトナム戦争にヘリコプターが活躍する新しい戦場の姿をもたらし、現在に至るまでそのイメージが定着しています。ベトナム戦争における戦車の活躍があまり記憶されていないのは、こういった派遣初期の戦車不足と、ヘリコプター戦術のインパクトのせいなのかも知れません。
 しかし、いくらヘリコプターの有効性が認められたとしても、常に歩兵部隊に随行し、攻撃・防御の要となる機甲部隊の必要性は何も変わっていませんでした。また、派遣兵力の増強と共に装備・兵站物資の需要も高まる一方であったため、各地に小規模補給港を新設すると同時にカムラン港湾の大規模整備が急ピッチで進められます。そして米軍の本格介入から2年経った1967年、ようやく港湾インフラがある程度整ったことで機甲部隊の配置が加速していきます。


アメリカ陸軍第1歩兵師団のM48A3戦車 [1966年サイゴン郊外北部]


▲オーストラリア陸軍のセンチュリオン戦車 [1970-1971年頃 ベトナム]

※米・豪軍は僕の専門分野ではないので、今回は割愛します。


M41軽戦車の活躍

 アメリカ軍が装備するM48戦車はその重量から思うように港への陸揚げが進まなかった一方で、アメリカがベトナム陸軍に供与していたM41A3ウォーカーブルドッグ軽戦車はM48の半部程度の重量しかなかった事からM113同様重量による制約が比較的少なく、配備は順調に進んでいきました。1965年初頭からベトナム陸軍の各騎兵大隊に装備が開始されたM41は、最終的に214輌が配備され、M113と共にベトナム戦争における機甲戦術の中核を担うことになります。


▲北ベトナム軍のイースター攻勢に対抗しフエ市街に進撃するベトナム陸軍騎兵大隊 [1972年5月トゥアティエン省フエ]

 M41は軽戦車であるため装甲は貧弱であり、共産軍歩兵が装備する対戦車擲弾発射器RPG-2の強力なHEAT弾頭を防ぎきることはできませんでした。しかしRPG-2の射程は100mほどと短く、また命中精度も決して高くないため、待ち伏せが予想される視界不良地の通行を避け、同時に随伴歩兵と連携する事で、RPG-2による被害を最小限に抑える事は可能でした。
 またM41は敵のT-54/55戦車を撃破するのに十分な威力の76.2mm戦車砲を搭載していました。実際に1971年のラムソン719作戦以降、1975年のサイゴン防衛線まで幾度もT-54/55との戦車戦が行われましたが、その度にM41は友軍部隊との連携も相まって圧倒的なキルレシオで敵戦車を撃破しています。


北ベトナム軍機甲部隊の南侵

 1970年代に入ると北ベトナム軍の戦術は完全に機甲部隊が主体となり、上で述べたようにベトナムでは大規模な戦車戦・対戦車戦闘が幾度も繰り広げられました。これは、北ベトナム軍にとっても、南ベトナムの地形が戦車を運用するうえで大きな障害にはならなかった事を意味してます。
 またさらに、北ベトナム軍機甲部隊は南ベトナム領内に侵入するためにラオス・カンボジア領内のホーチミントレイルを通行して来た訳ですが、それはつまり、戦車がトリプルキャノピーと呼ばれる密林や、第2次大戦で使用された全爆弾量を遥かに上回る規模の絨毯爆撃にあった地域を数百kmも進軍できた証です。
 このように、戦車・装甲戦闘車輌が持つ高い不整地走破性は、むしろベトナムのような地形でその真価を発揮するものでした。

ベトナム戦争と戦車
▲押し寄せる北ベトナム軍戦車にM72ロケットランチャーで対抗するベトナム陸軍レンジャー部隊 [1972年ビンロン省アンロク]



おまけ

▲無線遠隔操縦仕様M41軽戦車 [2014年アホカリ]





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