2016年11月05日
続・地方軍の構成
※2017年10月2日更新
※2022年7月15日更新
※2024年6月26日更新
※2024年9月21日更新
前記事も併せてお読みください。
今回はベトナム空挺アソシエーション『GĐMĐVN=ベトナム赤帽家族』に掲載されていた地方軍の指揮系統、各軍管区を構成する小区についてのまとめを邦訳しました。
出典: Gia Đình Mũ Đỏ Việt Nam: Trang Huy Hiệu Địa Phương Quân & Nghĩa Quân QLVNCH (by. Hiệp Nguyễn)
指揮系統
地方軍・義軍中央司令部 (Bộ Chỉ huy Trung ương ĐPQ-NQ)サイゴンのベトナム共和国軍総参謀部内に設置された地方軍の最高司令部
戦術地区/軍管区 (Vùng Chiến Thuật / Quân Khu):ベトナム共和国軍の管区。全国4つ管区に分かれ、それぞれに軍団本部および地方軍管区司令部が併設されている。1970年に戦術地区から軍管区に改称される
小区 (Tiểu khu):省毎に設置される地方軍司令部。全国44省にそれぞれ小区本部が設置された
特別区 (Đặc khu):小区の下に特別に設置される地方軍地区。全国に計5個の特別区本部が設置された。特別区はいくつかの支区を束ねるが、全ての支区が特別区に含まれる訳ではない
支区 (Chi khu):小区の下に設置される都市(Thành phố)毎の地方軍地区。全国に計242個の支区本部が設置された
部隊編成
ĐPQ群 (Liên Đoàn ĐPQ):小区の下に設置される地方軍部隊。最終的に全国で50個のĐPQ群が編成された。それぞれのĐPQ群は4~8個のĐPQ大隊で構成される
ĐPQ大隊 (Tiểu Đoàn ĐPQ):小区の下に設置される地方軍部隊。ĐPQ部隊は当初、中隊(Đại Đội ĐPQ)として編成されていたが、地方軍の規模拡大に伴い1972年にĐPQ大隊に改変、最終的に全国で353個のĐPQ大隊が編成された。各ĐPQ大隊は5個の中隊で構成され、本部中隊が80名、4個の作戦中隊はそれぞれ123名が定員とされた。ただし実際にはĐPQ大隊の規模は平均して400名ほどであった
独立ĐPQ中隊 (Đại Đội ĐPQ Biệt lập):ĐPQ大隊に属さない小区本部直属の地方軍中隊
偵察ĐPQ中隊 (Đại Đội Trinh sát ĐPQ):ĐPQ大隊に属さない小区本部直属の独立地方軍パトロール中隊。米国CIAが組織した省探察隊(PRU)がフェニックス・プログラムの終了に伴い解散した後、1972年に地方軍内に偵察中隊として再編されたもの。
NQ小隊(Trung Đội Nghĩa Quân):村長の指揮下に置かれる地方軍の最小単位。独立ĐPQ中隊・NQ小隊は合わせて数千個小隊が編成された地方砲兵 (Pháo binh diện địa):
全国で計176個の砲兵小隊が編成された。地方砲兵は105mm榴弾砲を計352門装備し、その規模は砲兵大隊20個分に相当した
第1戦術地区/軍管区5個小区本部・38個支区本部・1個特別区本部(クァンダ特別区)7個ĐPQ群・53個ĐPQ大隊・その他独立ĐPQ中隊/NQ小隊多数兵力約75,000名
1. クアンチ小区
計3支区・7個ĐPQ大隊/後に第913ĐPQ群を編成
2. トィアティエン小区(フエ市)
計10支区・12個ĐPQ大隊/後に第914ĐPQ群を編成
3. クアンナム小区
計9支区・14個ĐPQ大隊/後に第911ĐPQ群・第915ĐPQ群を編成
4. クアンティン小区
計6支区・8個ĐPQ大隊/後に第916ĐPQ群を編成
5. クアンガイ小区
計10支区・12個ĐPQ大隊/後に第912ĐPQ群・第917ĐPQ群を編成
6. ダナン市
第2戦術地区/軍管区12個小区本部・60個支区本部・1個特別区本部(カムラン特別区)81個ĐPQ大隊・その他独立ĐPQ中隊/NQ小隊多数
1. ビンディン小区(クイニョン市)
計11支区・18個ĐPQ大隊・12個独立ĐPQ中隊・620個NQ小隊/
後にトゥドゥック歩兵学校71年4期生により以下の2個ĐPQ群を編成
第921ĐPQ群(第215ĐPQ大隊・第216ĐPQ大隊・第215ĐPQ大隊・第234ĐPQ大隊)
第927ĐPQ群(第209ĐPQ大隊・第217ĐPQ大隊・第218ĐPQ大隊・第234ĐPQ大隊)
3個独立ĐPQ大隊(第201ĐPQ大隊・第207ĐPQ大隊・第263ĐPQ大隊)
1個独立偵察中隊(第108偵察ĐPQ中隊)
2. フーイェン小区
計6支区・7個ĐPQ大隊/後に第924ĐPQ群を編成
3. カンホア(ニャチャン市およびカムラン市)小区
計6支区
4. ニントゥアン小区
計5支区・3個ĐPQ大隊
第129ĐPQ中隊 - チャンビンニア村
第215ĐPQ大隊 - タンホー
第273ĐPQ大隊
第280ĐPQ大隊 - タンソイ
第373ĐPQ大隊 - タンロン・ソンファ
5. ビントゥアン小区
計8支区・8個ĐPQ大隊/後に第925ĐPQ群を編成
第202ĐPQ大隊
第249ĐPQ大隊
第275ĐPQ大隊
6. フーボン小区
計3支区・4個ĐPQ大隊・10個独立ĐPQ中隊・30個NQ小隊
7. トゥエンドゥック小区(ダラット市)
計3支区
8. ラムドン小区計2支区
9. コントゥン小区
計5支区
10. プレイク小区
計3支区・9個ĐPQ大隊・2個独立ĐPQ中隊
11. ダクラク小区(バンメトート市)
計5支区・6個ĐPQ大隊/後に第918ĐPQ群・第924ĐPQ群を編成
第924ĐPQ群(第612ĐPQ中隊・第204ĐPQ大隊・第2224ĐPQ大隊・第233ĐPQ大隊)
12. クァンドゥック小区
計3支区・4個ĐPQ大隊
第3戦術地区/軍管区11個小区本部・53個支区本部・2個特別区本部(ズンサット特別区・ブンタウ特別区)75個ĐPQ大隊・その他独立ĐPQ中隊/NQ小隊多数
1. ビントゥイ小区
計3支区・4個ĐPQ大隊・9個独立ĐPQ中隊3個ĐPQ群(各3個中隊)が1972年初頭ĐPQ大隊に改編1975年1月にフォクロン小区が陥落するとフォクロンの第341ĐPQ大隊はビントゥイ小区で再編成される。※第341ĐPQ大隊の人員はもともと第1軍管区クアンチ省出身で、1972年の"クアンチの戦い"の際に難民として南部に避難した人々第344ĐPQ大隊 - ホァイドゥック地区(ボーダット)
第369ĐPQ大隊 - 国号1号線・第5基地(ロンカン)、第15基地(ビントゥアン)第370ĐPQ大隊 - ビントゥイおよびビントゥイ小区本部第341ĐPQ大隊第512偵察ĐPQ中隊第513偵察ĐPQ中隊その他8個独立ĐPQ中隊タンリン支区: 第700独立ĐPQ中隊、第710独立ĐPQ中隊、第720独立ĐPQ中隊、第878独立ĐPQ中隊ハムタン支区: 第514独立ĐPQ中隊、他1個独立ĐPQ中隊
2. フゥックトゥイ小区(ブンタウ市)計5支区・6個ĐPQ大隊
3. ザーディン小区(首都サイゴンおよびコンソン島)計8支区・9個ĐPQ大隊クアンスェン支区、カンゾウ支区が属するズンサット特別区に3個ĐPQ大隊・4個独立ĐPQ中隊
4.ロンカン小区計3支区・4個ĐPQ大隊・3個独立ĐPQ中隊
5. ビエンホア小区計6支区・13個ĐPQ大隊(6675名)・12個独立ĐPQ中隊・133個NQ小隊(2979名)
6. ロンアン小区計7支区・12個ĐPQ大隊・5個独立ĐPQ中隊・192個NQ小隊
7. ビンズゥン小区計6支区・8個ĐPQ大隊/後に第935ĐPQ群を編成
8. ハウニア小区計4支区・5個ĐPQ大隊
9. フックロン小区計4支区・4個ĐPQ大隊・48個NQ小隊
10. ビンロン小区計2支区・2個ĐPQ大隊
11. タイニン小区計5支区・8個ĐPQ大隊
第4戦術地区/軍管区16個小区本部・92個支区本部・1個特別区本部(フーコック特別区)17個ĐPQ群・144個ĐPQ大隊・125個独立ĐPQ中隊・NQ小隊1000個以上兵力約115,000名
1. ゴーコン小区計4支区
2. キェンホア小区計9支区・14個ĐPQ大隊(第401ĐPQ大隊・他)
3. ヴィンビンン小区計7支区
4. バースェン小区計5支区/後に第953ĐPQ群を編成ロンフー支区: 第486ĐPQ大隊
5. バクリュウ小区計4支区・ĐPQ / NQ兵士13000名
6. アンスェン小区計6支区・7個ĐPQ大隊第412ĐPQ大隊"Cá Hóa Long"第446ĐPQ大隊"Thần Hổ 446"第490ĐPQ大隊"Mãnh Hổ"第491ĐPQ大隊"Mãnh Sư"第492ĐPQ大隊"Thần Điểu"第536ĐPQ大隊"Hắc Báo"第537ĐPQ大隊"Bạch Phụng"
7. ディントゥン小区(ミトー市)計8支区
8. ビンロン小区計7支区・11個ĐPQ大隊/後に3個ĐPQ群を編成
9. フォンズィン小区(カントー市)計6支区
10. シュンティエン小区計6支区
11. サデク小区計4支区
12. アンザン小区
計4支区・6個ĐPQ大隊・5個独立ĐPQ中隊/後に第954ĐPQ群を編成
13. キェントゥン小区計4支区
14. キェンフォン小区計5支区
15. チョウドック小区計5支区
16. キェンザン小区(ザックザー市)計7支区
以上がGĐMĐVNに掲載されていた地方軍の構成です。支区・ĐPQ大隊の数を把握できたのは嬉しいですが、それぞれの小区内の構成についてはまだまだ不明な部分が多く、その全貌はつかめていません。NQ小隊は多すぎるにしても、せめてĐPQ大隊くらいは全てリスト化したいので、引き続き情報収集を行っていきます。
おまけ: 軍籍番号 (Số Quân)について
最近、長年謎だったベトナム共和国軍軍人が入隊時に取得する軍籍・軍人番号の規則性について進展がありました。
また他の人の意見では、先頭二桁は兵役地区番号ではないかという説も耳にしました。数字に一桁代が見られない(数十以上)なのは、フランス連合時代にベトナム北部から順に地区番号がふられたため、ジュネーヴ協定後は南部の(数字の大きい)番号しか残らなかったためだと考えられるそうです。しかしこれも、不自然な番号や文字が用いられる場合があり、根拠が不足していました。
その後、元共和国軍人の方から「先頭二桁は生まれた年に20を足した数だ」と教えてもらいました。しかしこれも、軍人身分証をいくつも確認していくとそれに当てはまらないパターン、つまり先頭2桁が身分証に記載されている生年下二桁+20にならないパターンも多くある事が分かり暗礁に乗り上げました。

ところが先日、別のベテランの人から決定的な情報を教えて頂く事が出来ました。
・正規兵(陸海空軍)は生年下二桁+20 例)1951年生まれ=71
・非正規兵(ĐPQ-NQ)は生年下二桁そのまま 例)1951年生まれ=51
なるほど~!確かに言われてみれば、上記以外の軍人身分証を確認してみても、+20になっていないのはĐPQやNQ所属者(階級の横にĐPQもしくはNQと書いてある)だけでした。ただしNQだけは、生年が入る場合と"NQ"という文字が入る場合の2パターンがあるようです。
また正規兵の番号には、単に生年下二桁+20の場合と、生年下二桁+20に"A"というアルファベットが追加される場合があります。今確認できている限りでは、Aが付くのは海軍軍人のみとなっています。しかしなぜ海軍のみAが付くのか、なぜ空軍や海兵隊には何もつかないのかは全く分かりません。今後も調べて行こうと思います。

1974年1月、西沙諸島をめぐる中国海軍との武力衝突"ホンサ海戦"において戦死したベトナム海軍軍人のリスト
(海軍艦隊司令部 1974年3月2日作成の文書より)
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