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元特殊部隊のYoutubeチャンネル!

楽しみながら強くなれる!田村装備開発(株)の『ガチタマTV』!

2016年10月04日

ベトナム共和国軍年代別歩兵個人装備

※2020年6月24日更新
※2024年9月21日更新
※2025年3月24日更新


※ 注 意 ※

ベトナム共和国軍(CIDG含む)では以下のM1956個人装備のうち、
エントレンチングツールカバーとフィールドパックは99.99%使われませんでした。

せっかくお金をかけて軍装をそろえても、これらを装備に加えた瞬間に間違った再現になります。
どうかご注意下さい。


念のため言っておくと、使用例が完全に無い訳ではありません。
この10年間、何万枚と当時の写真を見てきた中で、3例くらいは使用例を見つけました。
なので一応100%ではなく、99.99%としておきます。

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2025年3月、この記事の内容を含む、『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー書籍です。是非お買い求めください。



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約30年分の変遷をまとめたのでやたら装備の種類が多く見えますが、時代を区切って、
例えばハリウッド映画の影響で人気のある1960年代末であれば、最低限必要なのはこれだけです。

・2ポッケット作戦服(グリーンまたは迷彩)
・米軍ヘルメット
・ジャングルブーツ

レプリカ使えば、だいぶお安く揃っちゃいますね。
過去に何度か「南ベトナム装備は敷居が高い」という声を耳にした事がありますが、
それは単に共和国軍の軍装が日本語で紹介される機会が少ないために、何を揃えるべきか情報が出回っていないだけで、
それが分かってしまえば差し当たって難しい事はありません。
むしろ、常に実物やリプロが何かしら市場に存在している時点で、他の大多数の国の軍装よりもずっと敷居低いんです。
日本語の情報はここに書いたので、あとは当時の写真とにらめっこしてもらえば、大体把握できると思います。


インターネットで当時のベトナムの写真を探すのであれば、
flickrにあるmanhhai氏tommy japan氏のアルバムが最強なので超超お勧めです!

あと動画では、YoutubeチャンネルNgười Nhập CuộcがクリパスやAP通信のアーカイブなどからベトナム共和国関係の
動画をピックアップしているので、こんな映像が有ったのか!と毎回驚きの連続です。

いや~、インターネット様様face05

  


2016年09月28日

ベトベトマニア1966 -Operation Voting-


―エピローグ―
 1966年9月、民政移管の第一歩として制憲議会設置のための選挙が行なわれる。グエン・カオ・キ政権を盤石とする為の選挙である事は明らかであり、当然のごとく解放民族戦線と統一仏教会は反発。ボイコットを決め選挙妨害の為テロを繰り返していた。
 米軍は選挙に合わせ過去最大500波の空襲を行う北爆を決定。ベトベト地区でも選挙妨害を防ぎ投票率81%を守るための-Operation Voting-≪投票作戦≫が発令された。ベトナム共和国の未来を占うこの選挙を成功させるため戦いの火蓋が今切られる!
(ベトベトマニア公式サイト http://www.viet-viet.com/)


 投票を控え、サイゴンの総参謀部とMACVはカンボジア国境に近く、かねてよりベトコンの活動地域であったコーガン村における選挙活動の警備強化を命じた。警戒監視の為、多数の米軍部隊がコーガン村周辺に派遣されると共に、コーガン村に最も近いFSBサボイに駐屯する我々レンジャー大隊、空挺師団、オーストラリア陸軍および韓国海兵隊には、サボイ周辺の警戒任務が与えられる。
 しかし、南ベトナムの混乱を収めるはずだったこの選挙の裏は、ベトコンと通じる金権政治家と高級将校、そしてベトコン内のCIA内通者それぞれの思惑が交錯し、情勢は混迷を深めていった・・・









実は今回、迫撃砲班を真面目にやりたかったので、砲に関するコラムというか台本を作成してメンバーに配布しました。
元は2年前のアホカリで105mm榴弾砲の為に作ったものですが、今回はSAITAMA101さんの教練会で教わった迫撃砲班の行動についてもまとめてあります。
僕、本当は歩兵より砲兵の方が好きなんです。出来る事ならエアガン担いで歩くのではなく、一日中陣地の中で大砲を撃っていたいんです。

(ミリブロは画像ファイルしかアップロードできないんですね。もしこの資料を使いたいという要望があれば、どこかのローダーにPDFでアップするのでお気軽にコメントください。)

曲射砲の間接射撃について

射撃・無線交信の流れ

迫撃砲班の行動


と、やる気満々だったのですが、土曜日はあいにくの悪天候で、カーバイト用いるうちの迫撃砲は外に出せず。
また日曜日はFO(前進観測班)として、FDC(射撃指揮班)に見立てたうちのテント組と実際に無線交信して迫撃砲の射撃要求などをしようと考えていたのですが、打ち合わせが完全に不足しており、結局砲に関する事は何もできずに二日間が終わってしまった・・・。
次から何か企画をやる時は、楽しいおしゃべりを中断してでも企画を優先すると決意しました。
  


2016年07月20日

CIDG部隊指揮官ハ・キ・ラム大尉の経歴

前記事『CIDG計画の組織』の補足です。

 元ベトナム共和国陸軍大尉ハ・キ・ラム(Hà Kỳ Lam)氏のブログに、自身の経歴と当時の写真が掲載されていたので、その一部をご紹介します。ラム氏の軍歴は、1960年代~70年代にかけてCIDG(越語DSCĐ)部隊を指揮したLLĐB将校の典型であり、当時のLLĐBとCIDGの関係を示す良い例だと思います。

【本文・画像引用】
ハ・キ・ラム氏ブログ http://hakylam.com/?page_id=46

1960年 クアンナム省ホイアンで短期間教員を務める

▲教員時代のラム氏(1960年)

トゥドゥック予備士官学校13期卒業、陸軍少尉に任官
1963年 第22歩兵師団(コントゥン省ダクロタ)第40歩兵連隊第2大隊内の小隊長に着任
その後特殊部隊(LLĐB)へ異動。LLĐB将校として1964年から1970年まで国境LLĐBキャンプ(Căn cứ Biên phòng Lực Lượng Đặc Biệt)CIDGキャンプ・ストライク・フォースを指揮する。
※()内はキャンプ付き=CIDG計画担当グリーンベレー分遣隊

1964年 クアンナム省カムドク国境LLĐBキャンプ中隊長 (USSF A-105) 
1965年 クアンチ省ケサン国境LLĐBキャンプ中隊長(MACV-SOG FOB3)
1966年 トゥアティエン省アシャウ国境LLĐBキャンプ副指揮官
1966年 コントゥン省ダクサン国境LLĐBキャンプ指揮官(USSF A-245)
1967-1968年 プレイク省プレイメ国境LLĐBキャンプ指揮官(USSF A-255)
1968年 コントゥン省バンヘット国境LLĐBキャンプ指揮官
1968-1969年 コントゥン省ポレイクレン国境LLĐBキャンプ指揮官(USSF A-241)

LLĐB転科後(1964年)

ケサン国境LLĐBキャンプにて(1965年)

▲1968年当時のラム大尉

後に妻となるグエン・ティ・ニョンとサイゴンにて(1969年1月)

▲グリーンベレーマガジンに紹介されるラム大尉(1969年)
※この画像はグリーンベレーマガジンからの引用として英国の新聞に掲載されたものだが、キャプションに誤って1968年と記載されている

▲ポレイクレン国境LLĐBキャンプにて(1969年)

1970年、米軍グリーンベレーのベトナム撤退に伴いCIDG計画は終了し、国境LLĐBキャンプCIDG部隊はレンジャー科(BĐQ)に移管され、国境レンジャー(BÐQ Biên Phòng)へと改称される。
ラム大尉はBĐQに転科し、プレイク省の第81国境レンジャー大隊(旧・ドゥッコ国境LLĐBキャンプ)大隊長として引き続きCIDG部隊を指揮する。

▲作戦行動中のラム大尉(1970年11月)

▲大隊長として第81国境レンジャー大隊を閲兵するラム大尉(1971年)

1971-1974年 第3軍管区BĐQ司令部勤務
1974-1975年 アメリカ陸軍歩兵学校にて研修。IOAC-7/74(歩兵将校上級課程1974年7期)修了
1975年4月上旬 ベトナムに帰国

▲米国ジョージア州フォート・ベニング陸軍歩兵学校にて(1974年12月)

終戦後、共産政権に逮捕され収容所に6年間投獄される
1975-1976年 ビエンホア収容所(1年)
1976-1979年 ハノイ北西部ソンラ収容所(3年)
1979-1980年 ニェティン省タンキ収容所(2年)
1981年1月 釈放
1981年5月 家族を連れて47名の難民と共にボートでベトナムから脱出
3日後、公海上でフランスの貨物船に救助されシンガポールへ入港
1981年10月 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の第三国定住プログラムによってアメリカに定住

 
現在米国ニュージャージー州で暮らすラム氏(2012年)



<参考動画>
ドン・バ・シンLLĐB訓練センターにおけるCIDG隊員への教練 (1970年6月)





  


2016年01月17日

ボタン比較

柄にもなく、真面目に手持ちのベトナム共和国軍作戦服(戦闘服)の実物ボタンと、各社のレプリカのボタンを比較してみました。

※出来るだけ目で見た色味に近付くよう調整しましたが、それでも照明やモニター等の環境によって色は違って見えます。
※ボタンを外してまで正確に測る気はなかったので、厚みはなるべく厚そうな部分にノギスをつっこんで測った数値です。


今のところ、過去にチャーリーさんが制作した2ポケット緑色(肩当付き)作戦服に付いていたボタンが一番出来が良いと思います。
こうして並べてみると若干黄緑色が強い気もしますが、単体で見れば区別つかないレベル。なので僕はこのボタンを実物作戦服の補修用に使っています。
ただしチャーリー製作戦服はだいぶ昔に販売終了してますし、ボタン単体では出回ってないので入手困難です。
なので僕は長らく、色形の似たボタンということでMASHさんの米軍OG-107作業服用ボタンをメインの代用品として使ってきました。
しかしこのOG-107ボタンはパッと見違和感はありませんが、やはりよく見ると色味はベトナム軍のグリーン色と言うよりはOD色ですし、形も中心部が膨らんでいるので、その部分は妥協するしかありませんでした。
ところが一昨年、ついにクラッシファイドさんより2ポケット作戦服のレプリカが発売され、そのボタンも単体で買えるようになりました!→RVN 南ベトナム軍 ユニフォーム用 OD ボタン 20個セット レプリカ新品【DM便可】
現在唯一入手可能なベトナム軍ボタンのレプリカであり、補修や改造に大変重宝しています。ありがたや、ありがたや


しっかし、こうして見るとベトナム軍作戦服のレプリカって意外と多くのメーカーが作ってるんですね。
上記の他にもアメリカやフランス、香港、台湾などのメーカーからも発売されていましたし。
よくよく考えると、レプリカ軍服の豊富さで言えばベトナム軍は、軍装趣味の王道であるアメリカとナチス・ドイツの次くらいに恵まれているのかも。
まして同じインドシナ諸国でも、ラオスやカンボジアの軍服が商品化される見込みは皆無だし。
ラオス王国軍は出たら必ず買うんだけどなぁ。



おまけ (またいつもように、ただYoutube動画を貼るだけ)


▲ベトナム共和国海軍の訓練・教育とその指導に当たる米海軍軍事顧問 (1962年9月2日)
第一共和国(ジェム政権)期の海軍の動画はかなり珍しいと思います。


▲第25歩兵師団の戦闘 (ハウギア省, 1972年11月13日)


▲ベトコンによる国立報道センター爆弾テロ事件 (サイゴン, 1970年2月10日)


▲FSBダクトの砲兵とレンジャー部隊 (コントゥム省ダクト・トゥカイン, 1970年4月14日)


▲クアンチの戦い (クアンチ省クアンチ, 1972年8月7日)


▲カンボジア領内で作戦中のレンジャー部隊 (クメール共和国Krek, 1971年11月27日)


▲パトロール中の装甲騎兵部隊 (タイニン省, 1973年1月21日)
M48戦車を装備していることから、歩兵師団付きの騎兵大隊ではなく、軍団付き騎兵旅団の騎兵大隊(独立戦車大隊)のようです。


  


2016年01月05日

あけおめこ とよろ!

※2024年6月26日更新

元日は、いつものベトナム寺で初詣。5年ほど前から、正月はこのお寺で過ごすのが習慣になってます。
今年は一緒に行く仲間も増えて、尼さんのベトナム語の説法を隣でリアルタイム翻訳してもらえて、とても有意義なものとなりました。
これで今年もベト充間違いなし!


半年前に、軍装ガイドは年内に仕上げたいって書いたけど、全然無理でしたね。
当初は歩兵・レンジャー・空挺・海兵の4兵科を一冊で紹介するつもりでしたが、その後載せたい情報が増えていって描かなくてはいけないイラストが増えすぎたので、形式を変えようと思います。
まず最初に歩兵部隊共通の『被服・個人装備』編を作っちゃって、その後に『歩兵師団・地方軍・レンジャー』編、次に『空挺・海兵』編など部隊ごとに作れば、毎回同じ話を書かなくて済むし、作業ペースも余裕が出るだろうと思索中。


昨年12月から急に忙しくなってしまい、1月も当分、自宅でゆっくりパソコンに向かう時間は無さそう。
なので、とりあえず最近ナイスな動画を次々YoutubeにアップしてくれているNgười Nhập Cuộc氏のチャンネルから、気になった動画を貼っていきます。(解説はまたいずれ)


空挺師団降下課程 (1969年10月4日 サイゴン キャンプ“ホアン・ホア・タム”空挺師団本部)



米軍アドバイザーによるベトナム空挺師団への講習会・模擬戦闘展示 (1968年9月9日)


空挺師団を視察するグエン・バン・テュー総統 (1971年3月31日クアンチ省ドンハ)



人民自衛団(NDTV)ビントイ村訓練校における女性隊員の射撃訓練 (1969年8月10日 ザーディン省ビントイ)


タイニン人民自衛団の射撃訓練 (1974年1月12日 タイニン省)



レンジャー訓練センターにおける訓練(1965年10月19日 カインホア省ドゥックミ)