2023年12月30日
ベトナム共和国とカトリック(概説)
※2023年12月31日更新
1860年代から1954年まで1世紀近くフランスの統治下にあったベトナムは、アジアの中でも特にキリスト教徒(主にカトリック)の割合が多い国です。
ベトナムとカトリックの関係については、掘ろうと思えばいくらでも深く掘れる分野ではありますが、僕もまだそんなに詳しくは分かってないので、今回は概説だけ書きたいと思います。
第一次インドシナ戦争
第二次大戦における日本の敗北と同時にベトナムの政権を握ったホー・チ・ミンらベトミンは、共産主義・民族主義的イデオロギーからカトリックを敵視し、カトリック信徒に対するテロ攻撃を開始します。
その後すぐにフランスがインドシナの再占領に成功し、カトリックはフランスによって保護されますが、ベトミンによるテロは続き、フランス連合側ではベトナム人カトリック信徒による民兵組織『キリスト防衛機動隊 (UMDC)』等が組織され、カトリック勢力はフランスと団結してベトミンと対峙しました。(過去記事『第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍 その3:その他の戦闘部隊』参照)
しかし1954年、ジュネーヴ協定によってフランスが撤退し、北ベトナムにホー・チ・ミン政権(ベトナム民主共和国)が成立すると、北ベトナム領に住むカトリック信徒は生命の危機に晒されます。そしてホー・チ・ミン政権による弾圧から逃れるため、30万人以上のベトナム国民(内8割がカトリック信徒とされる)が北ベトナムを脱出して南ベトナム(ベトナム国)に退避しました。

▲米仏軍による輸送作戦Operation Passage to Freedomにより北ベトナム領を脱出するカトリック難民[1954年]
第一共和国期
一方、1955年に無血クーデターによって南ベトナム(ベトナム国改めベトナム共和国)の実権を握ったゴ・ディン・ジェム総統は熱心なカトリック信徒であり、カトリックはむしろ政府によって優遇される事になります。
1964年の時点で、ベトナム共和国の人口1450万人の内、カトリック信徒の割合は約10%に過ぎませんでしたが、ジェム政権(第一共和国期)下では政府・軍高官の大半、そして全国の省長官の2/3をカトリック信徒が占めるなど、ベトナム共和国の政治権力はカトリック勢力が握る事となりました。
また歴史的にベトナム人は中国人を快く思っていませんでしたが、それでもジェム総統は中国共産党に弾圧された中国人カトリック難民のベトナム共和国への移住を受け入れ、土地を与えたばかりか、中国人難民が国内で武装・民兵組織化する事も許可しました。(過去記事『グエン・ラック・ホア神父』参照)

▲第一共和国期を率いたゴ家の兄弟3名。左からゴ・ディン・ニュー(カンラオ党=事実上の秘密警察指導者)、ゴ・ディン・トゥック(カトリック教会フエ大司教)、ゴ・ディン・ジェム(ベトナム共和国総統)
しかし、こうした極端なカトリック優遇政策が国内に深刻な宗教対立をもたらします。
ベトコンとの内戦を抱えながら、内政でも混迷が続いた事で、ついにはジェムのスポンサーだった米国CIAもジェムを見限る結果となりました。そして新たにCIAの支援を取り付けたズオン・バン・ミン将軍ら軍部の反ジェム派は1963年11月にクーデターで政権を奪取し、ジェム総統と弟のニューは革命軍によって暗殺され、ジェム政権関係者も軒並み粛清されます。
しかしそれでも、カトリック信徒には仏領時代から続く良家・エリート層が多く、ジェム政権を倒した軍内部にもカトリック信徒が多かったため、カトリックそのものが排斥される事はなく、以後カトリック勢力とベトナム共和国政府は共存していくこととなります。
ベトナム共和国軍の従軍司祭
上記のようにベトナム共和国の人口の10%はカトリック信徒だったため、当然ベトナム共和国軍に所属する将兵の中にもカトリック信徒が一定数存在しており、特に軍の高官やエリート部隊ではカトリックの割合が非常に高かったそうです。なのでベトナム共和国軍には欧米の軍隊のようにカトリックの従軍司祭およびカトリック司祭局(政治戦総局所属)が存在しており、これは他のアジア諸国には無いベトナム共和国軍の特徴と言えます。

▲前線で礼拝するベトナム共和国軍のカトリック信徒[1970年カンボジア領内]

▲左胸に十字架の職種章を佩用する従軍司祭(陸軍大尉)。キャロット(略帽)にも十字架を付けていますが、陸軍ではキャロットは用いられないので、カトリック司祭局独自の軍装かも知れません。

▲キャソック(司祭平服)を着た従軍司祭。恐らく上の写真と同一人物。ベレー章は他に使用例のないデザインなので、これもカトリック司祭局独自の物かも知れません。

▲陸軍第1歩兵師団所属の従軍司祭/陸軍大尉(右の人物)。[1971年ラオス領内]
前線部隊に同行する従軍司祭は、カトリック司祭局ではなく師団パッチを佩用していた模様。

▲政治戦総局カトリック司祭局の部隊章

▲政治戦総局カトリック司祭局局長ポール・レ・チュン・ティン神父(陸軍大佐)
ティン神父は元ブンタウ聖ヨセフ神学校の校長であり、ベトナム共和国軍カトリック司祭局の最後の局長として終戦を迎える。終戦後、ティン神父は共産政権に逮捕され、再教育キャンプに10年間投獄された後、1985年にアメリカに移住。1994年にその地で死去する。
なお、政治戦総局にはプロテスタント司祭局や仏教司祭局も存在していましたが、ベトナムにおけるプロテスタントの信徒数は非常に少なく、しかもその信徒の大半は中部高原に住むデガ(少数民族)なので、プロテスタント司祭局の活動に関する情報はほとんど見た事がありません。仏教司祭局に所属する従軍僧については、現在資料集め中ですので、ある程度揃ったら記事にしたいと思います。
カトリック民兵(人民自衛団?)

こちらはカトリック民兵とされる組織です。人民自衛団は本来、都市村落毎に編成される政府指揮下の自警団ですが、これはそのカトリック教区版と言ったところでしょうか。映像を見つけただけで、詳しい事はまだ分かりません。
ボーイスカウト


ベトナム共和国時代のボーイスカウト/ガールスカウトは、公にはカトリック教会所属の組織ではありませんでしたが、教会・修道院との繋がりが深く、事実上のカトリック関連組織と言って良いと思います。(ただし非カトリックでも入団できる)
戦時中、ボーイスカウトは軍の補助組織として後方支援任務の一部を担いましたが、公には民間の慈善団体であり、またカトリック教会直営という訳でもなかったため、戦後の共産主義政権下でも(共産党への忠誠を第一義とする条件で)解体をまのがれ、今日でも存続しています。
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