2024年05月06日
浅羽佐喜太郎公紀念碑を訪問
このゴールデンウィークを利用して、ずっと前から行きたかったとある史跡を訪問してきました。
それは静岡県袋井市の常林寺境内にある浅羽佐喜太郎公紀念碑です。
何を隠そう、この碑を建立したのは、ベトナム史に名を残す独立運動家ファン・ボイ・チャウその人なのです。

▲袋井ベトナム友好協会パンフレットより
ファン・ボイ・チャウは20世紀初頭にフランスからのベトナム独立を目指して活動した人物であり、ベトナム人の間では今も世代・地域を超えて尊敬される真の愛国者の一人です。
同じ革命家でもソ連・中国の威を借りてベトナム国民へのテロと虐殺で権力を握ったホー・チ・ミンとは大違いです。
そのファン・ボイ・チャウが約100年前の1918年に日本で建てた紀念碑を実際に訪れる事ができ、ベトナム近代史をかじる者として感無量です。

その一方で、美談に水を差すようですが、この紀念碑はあくまでファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎という個人間での友情を語り継ぐものであり、それを「日本とベトナムの友情」などと国家レベルに拡大して宣伝されているのは気持ちの悪い事です。
そもそもフランスとの関係を優先してファン・ボイ・チャウの東遊運動を潰し、国に戻ればフランスによって投獄されると知りながらベトナム人留学生達を強制送還したのは日本です。
以前訪問した東京にあるチャン・ドン・フォンの墓は、その東遊運動の中で自殺したベトナム人留学生のものです。(ただしフォンの自殺は日本政府による学生強制送還開始より前)
またこの記念碑が作られらた二十数年後には、日本軍はベトナムを含むインドシナに進駐しますが、そこでも日本はフランスによる独立派への弾圧を容認し続けます。
日本が国としてベトナムの独立を支援した事なんて一度もありません。
(後にフランスが邪魔になったので日本の軍政下でベトナム帝国という傀儡政権を建てたけど、それをベトナムの独立と見なすベトナム人はほとんど居ません)
また過去記事『あるベトナム残留日本人と家族の漂泊』で書いたように、終戦後ベトミンに参加した日本人兵士の存在も、事ある毎に「日本とベトナムの友情」あるいは「日本によるアジア解放」の例として都合良く利用されていますね。彼らは皆、個人の意思で日本政府の命令に背いて非合法に軍を離脱した人なのに、それを「日本」という主語に置き換えるのはおかしいでしょう。
僕は数年前、国賓として来日したベトナム国家主席への抗議デモに参加しましたが、それも「日本が抗議した」って事になるのかな?ならんでしょう。
とは言え、そもそも友情とは個々の人間同士の間にのみ存在するものであり、国というスケールで見れば、他国にそこまで優しくしてやる必要は無いので、別に日本が特別薄情だと言っている訳ではありません。どの国も自国の利益を最優先するのは当然の事でしょう。
ただ、そういった冷徹な利害関係=ある意味正常な判断に基づく歴史を、わざわざ美談であるかのように粉飾して、「日本人は自己犠牲の精神でアジアを解放した」などと馬鹿げた宣伝に利用する輩の多さにぞっとします。
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