2016年07月04日
参院選と日本国憲法
今日は参議院選挙の期日前投票に行ってきました。今回は日本という国にとって特に重要な選挙なので、自公政権にきっぱり反対してれる政党に投票してきました。
安倍首相はこの選挙で「憲法改正を争点にしない」と発言していますが、同時に「憲法改正は要綱・公約に明記してある」と、改正を強行する事を臆面もなく示唆しています。国民による唯一の審判の手段である選挙の時に目的を隠し、選挙に勝ったら国民の信任を得たと曲解し、この国の体質を決定する最も重要な指針を我が物にせんとする安倍政権・自民党・公明党の横暴に、私は一国民として非常に強い憤りを感じています。
改憲派の論調として最も多用されるのが、「現在の憲法は太平洋戦争の敗北によって戦勝国アメリカに押し付けられたもの」であり、「今の国際情勢にそぐわない」、「日本人が誇りを取り戻すためには自主憲法が必要」というものです。確かに日本国憲法の草案、特に第九条『戦争の放棄』に関しては、当時のアメリカの意向に沿って作られたという事は否定できません。
しかし、今日『自主憲法』を掲げる安倍政権の政治が、果たして日本の自主性を持ったものだったでしょうか?アメリカの要望に沿って秘密保護法を制定。アメリカの要望に沿って安保関連法を制定。アメリカの要望に沿って普天間基地の辺野古移転を強行。アメリカ軍による事故・犯罪が何度繰り返されようが、決して日米地位協定に触れる事なく「遺憾の意」と「再発防止を求める」だけ。
これが果たして日本最大の保守政党、そして日本国の政権与党としてふさわしい政策でしょうか?彼らは一体誰のための政府なのでしょうか?そんな彼らが作る憲法が日本国民の総意を反映した『自主憲法』と呼べるものになるでしょうか?
こんな事書いてると反米論者みたいに思われるかもしれませんが、むしろ僕はアメリカという国が大好きなんです。絶望的なまでの格差、矛盾、日本では考えられないほどの世論の分裂を抱えながらも、それぞれの層が口を紡ぐことなく常に意見を発信し続けられる風土を備えており、そんなひたすら前に進むアメリカという国の文化、力強さをとても羨ましく思っています。
それに加えて僕は典型的なミリタリーマニアなので、アメリカ軍がだーい好き。家はアメリカ軍の軍装品だらけだし、さらには仕事中も英語のリスニング力向上をかねて毎日米軍ラジオ(AFN)を聞いてるくらいです。
だけど、良きパートナーである事と、精神まで依存する事とは違います。まして、国民の命を駒にして他国に媚びを売るなんて、一国の政府として絶対にやってはいけない事です。
また、特に安全保障の分野において、戦後日本の安全保障政策は時折「他の先進国では~」と否定的に比較されがちですが、その先進国の国々の憲法は、長年国民が権力の横暴と戦い、多くの犠牲者を生みながらようやく現在の場所までたどり着いたものなのです。しかしそれでも、人間の社会では常に個人は犠牲にされがちであり、憲法が目指す理想に対しては『先進国』であってもいまだに発展途上と言えます。
僕は物心ついた頃からミリタリーマニアをやっていますが、この趣味を通じて学んだことは、人間の命がいかに『軽い』かという事です。強大な権力の前に人間個人の存在意義など無いに等しく、政府の政策一つで何万人が死んでしまいます。愛国心を語る政治家は、自国民の生活を救済する事よりも、敵兵を効率的に殺す兵器を開発する事に税金を使います。そして国民が死ねば、ここぞとばかりにその死をプロパガンダに利用します。
そんな中で現在の日本国憲法は、制定された経緯はどうあれ、世界のいかなる国も辿り着けなかった崇高な理念を掲げているという点で、フランス人権宣言、アメリカ独立宣言に連なる世界で最も先進的な憲法だと私は考えています。この名誉と幸運を、なぜむざむざと手放す必要があるのでしょうか?
古今東西、大衆が思考力を失い、力による支配を受け入れる『カルト』が発生する時、必ず行われるのが外敵による『危機感』と、集団への『帰属感』を煽る事。『カルト』は宗教団体に限った話ではなく、規模の大小問わず、国であれ会社であれ学校であれ、人間の集団は常にこのカルト化の可能性をはらんでいます。これは言い換えれば、「我々は正しく、奴らは間違っている」、だから「自分たちを誇り」、「愚かな敵を憎む」という呆れるくらい単純な発想です。しかし残念ながら、この幼稚なプロパガンダは心の弱い大衆にとって非常に甘い誘惑であり、いつの世も絶大な効果を発揮してしまう魔法の言葉、あるいは人類にかけられた呪いとも言えましょう。
その一方で、我々の住む社会には、この低きに流れる人心に待ったをかける、良識ある人たちも少なからず存在します。選挙とは、一般人の生活とは無縁な為政者たちによる澱んだ密室に風穴を開け、そこに良識ある『代議士』を送り込むための空気の入れ替えであるべきと考えます。
僕の一票なんて日本全体から見れば本当に些細なものですが、チリも積もれば山になるものです。つい7年前には、実際に政権交代が行われています。
僕はこの記事を読んだ人が、他人が語る『憎しみ交じりの正義感』に流される事なく、自分自身の良心に従って投票に行って頂くことを心から願っています。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
人が、人としての幸せを味わい、老いて天寿を全うできる、この社会が守られる事を祈って。
2016年06月13日
めぐりあい東京
先週末は友人たちと都内各所をめぐってきました。







土曜日
【ベトナムフェスティバル2016】

流暢な日本語を話すベトナム人三人組(笑)

お祭りは例年通り大盛況。暑かった~

昼飯は久しぶりのバインミー。去年カリフォルニア行った時は、一日二食はこれ食べてたなぁ。
朝リトルサイゴンでバインミー買って、ハリウッドのユニバーサルスタジオに持ち込んで中で食べたり。
なお夕飯は主に、アナハイムのスーパーで買ったカップラーメンという貧乏旅行っぷりでした。

デガ(タイグエン地方の山岳民族)の伝統楽器の奏者さん。でもこの人はデガではなくキン族っぽいです。
あと写真は載せないでおきますが、山岳民族の子供たちへの生活支援を呼びかけるブースに掲げられた逆さ吊りの金星紅旗にはドキッっとしました。このイベントは完全に越共政府系だし、しかもブースは運営本部の隣のテントです。なぜ誰も指摘しないんだ?
ブースに居た人たちがキン族なのか少数民族なのか見た目では分かりませんでしたが、あの旗を掲げる政府が少数民族に対し何をしてきたかを考えると、何らかの意図がある行動なのではと勘ぐってしまいます。ナチが自国のゲットーを紹介しているようなものなので。
【原宿 竹下通り・表参道】
実はメコンデルタ生まれのS君が仕事の都合で近々東京を離れるそうなので、せっかくなのでベトナムフェスティバルの会場である代々木公園から歩いて竹下通りと表参道を見学。
フッ、俺のような埼玉生まれアニソン育ちには、ベトナムより遠い異国に感じるぜ・・・
【江戸東京博物館】
原宿の後は僕のお勧め、両国の江戸東京博物館へ移動。
ここは街のミニチュアが見応えあるし、江戸~昭和の建物が1/1で再現されていたりで超面白いです!
模型で展示されていた御茶ノ水のニコライ堂はまだ同じ場所にあるよと言うと、S君がぜひ行ってみたいと言うので、翌日行くことにしました。

シクロ・・・ではなく明治時代の人力車に乗るT君。ズボンとハットが共和国軍だけど、ベトナム兵と言うよりは危ないお兄さんだ。
【日高屋】
夕飯は寿司にしようという話になり、スマホで検索するも、都内は回転寿司でもまぁまぁ高い店ばかり。一皿100円が見つからない。
仕方ないので、ラーメン・中華料理の日高屋に入る。うん、俺たちはこういう所が合ってるんだよ。安いし煙草も吸えるし最高だね。
ちなみにS君は日高屋のヘビーユーザーなので、ありがたく大盛り無料券を頂戴する。いろいろ喋くってこの日は解散。
日曜日
【東京国立博物館】
朝10時、S君と上野公園で集合。彼のたっての希望で東京国立博物館を見学する。
彼はなかなかの歴史趣味人なので、こういう場所が大好きなんです。

モンゴルのシャガイ占い(家畜のくるぶしの骨を投げてその向きの組み合わせで吉凶を見る)体験で大吉的なものを引いたS君。良い門出になったね!

5時間くらいかけてくじっくり見学してきました。彼は三国志の大ファンなので、古代中国の展示物の豊富さにも大満足してくれました。
一方、S君が言うには、ベトナムではフランス植民地時代に陶器などかなりの数の歴史遺産が海外に流出してしまった為、自国に残っている物はあまり多くないのだそうです。フランスは植民地支配を終えても、一度ぶん盗った美術品をその国に返すなんて事は絶対にしないので。
彼はいつの日かルーブル美術館にベトナムの遺産を見に行きたいと言っていました。いいね。お金ができたら一緒にフランス行こう。
【上野東照宮・花園稲荷神社】
博物館の後は、上野公園内の僕のお勧めスポットへ。
中学時代はよく埼玉から中田商店・松崎商店までチャリで通ってて、そのついでに上野公園にもよく来ていたので、ここは僕にとって都内で一番馴染みのある場所です。
(そういえば先日、テレ東の『モヤモヤさまぁ~ず』で松崎さんが取材されてましたね。テレビの前で大爆笑してしまいました)
まず、補修工事が終わった上野東照宮にお参り。拝観料ケチって中には入らず。
次に、鳥居が京都の伏見稲荷っぽい、花園稲荷神社へ。
京都のは常に観光客で一杯だけど、こっちは人が居ないし、穴稲荷様はなかなか雰囲気のある場所だから、僕はここが大好きです。
【ニコライ堂】
上野をあとにし、昨日江戸東京博物館でS君が興味を持った御茶ノ水のニコライ堂(東京復活大聖堂)へ。

こちらは明治時代に建立された日本ハリストス正教会(キリスト教ギリシャ正教会)の教会で、その歴史的価値から、信徒以外の人も聖堂を拝観させて頂くことが可能です。
S君の故郷ベトナムにはローマカトリックの教会は沢山ありますが、正教会はまずありませんし、日本にあったという事にも驚いてました。
【アメ横】
この後はS君の自転車を停めてある上野に戻り、アメ横で夕飯を食べる事に。
昨日に引き続き寿司屋を探すも、やはり全品一皿100円な激安店は見つからず。
でもここには安くて美味しい海鮮丼屋(以前タイのみんなを案内した店)があるので、今回もそこで夕飯を食べました。
【上野公園】
ご飯あとは、足が超疲れたので上野公園の彰義隊の墓の近くで座って駄弁る。もう当分会えなくなるので、暗くなるまでいろんな話をしました。
その中でS君に、僕の夢は何かと聞かれました。僕は「土地買って自分専用のFSB(ファイヤーサポートベース)作って、そこでBB弾を使わないベトナム戦争リエナクトやりたい」と答えました。だけどそれは遊びとしてやりたい事であって、真に心から求めるものという意味では、僕はすでに夢の入り口に立ち入っている気がします。
この10年、寝ても覚めてもベトナムの事ばかり考えてきた僕が、ベテランの方々に受け入れて頂き、こうしてベトナムの仲間と本当の友達になれたのだから、こんなに嬉しい事はありません。僕にとってこうした出会いは本当に運命めいたものに感じられます。なんかS君にも、他のベトナム人にも、「君の前世は共和国の兵士でしょ」って言われるし(笑)
その上で強いて望みを言えばそれは、いつの日か大手を振ってベトナムに行き、ビエンホアの共和国軍軍人墓地をお参りする事です。これが僕の本当の夢ですね。でも今はまだ出来ません。ナンシー・グエン(※)と同様、政治犯としてベトナム警察に拉致されかねないので。

ナンシー・グエン(Nancy Nguyễn)さん
アメリカの人権活動家。ベトナム系アメリカ人。2016年5月、昨今ベトナムで深刻化している海洋汚染への抗議デモ参加の為サイゴンを訪れた際、宿泊先のホテルで突如ベトナム警察に拘束・監禁される。その後、たまたまオバマ大統領の訪越が重なり、無事解放されたが、外国人すら逮捕状なしに拘束するベトナム共産党の恐怖政治ぶりを世界に示した事件でした。
S君も「タイガさんは危ないからベトナムに行かない方がいい」と言いますが、同時にこうも言ってくれます。。
「そのうち出来るよ。そんなに遠くないうちに。ちょっと待ってて」
頼もしい言葉です。僕は本当に良い友達を持てて幸せです。
短い間だったけど、本当に良い思い出になったよ。
新しい街に行っても元気でね!また会おう!
2015年09月19日
国会議事堂にて
遅ればせながら国会議事堂前で行われている安保法案(もう成立したので安保法か)に反対する集会に参加してきました。本当は昨日(金曜)行きたかったのですが、仕事があって無理だったのでやむなく土曜日の参加となりました。参院本会議が行われた昨晩は夜を徹してデモが行われたそうですが、一夜明けた今日は皆さん昨晩の疲れもあって帰宅されており、国会も休みの為、組織だったデモは行われていませんでした。しかし今もなお200人くらいの方が抗議の為に集まっていたので、僕もシュプレヒコールに加わってきました。
僕は昼過ぎに現地に到着しましたが、とても腹が減っていたので周囲の人に「この辺にコンビニありませんか?朝から何も食べてないんでお腹減っちゃって」と聞いたら、ありがたい事に皆さん持参したパンやおにぎり、ポテチを僕に恵んでくれたので、空腹に負けず声を出すことが出来ました。それらを食べながらパンをくれたお婆ちゃんと話していると、彼女は45年前の『70年安保闘争』経験者という大ベテランでした。僕は当時の経験者と直に話すのは初めてだったので興味深くお話を伺わせて頂きました。そこの中で特に以下のお話が印象的でした。
(要約)「私達は数十年前、日米安保や原子力空母入港、そして原発建設反対に熱くなっていたのに、いつの間にか自分を含む多くの仲間がこれらの問題に関心を失っていきました。そして歳月が経った今、当時から懸念されていた事が福島の原発事故や安倍政権によって現実の物となってしまいました。私はつい最近自分の娘に指摘されるまで、当時それらについて熱心に反対していた事すら忘れていたんです。こうなる事を防ぐために声を挙げていたはずだったのに、日常生活に流されてこの数十年間何もしてきませんでした。私はそう長く生きていませんが、孫やこれからの時代を生きる人たちには、本当に申し訳なく思います・・・。」
僕たちが今生きているこの時代は、年寄りにこんな事を言わせる時代なのか。人間としての良心は、多数決主義や権威主義の前に無力であり続けるのか。
本法律に反対し続けた政治家、メディア、有識者、一般国民、国会前に集まった4万人、そしてこれを書いている僕自身も、自らの決意を試されています。
2015年09月16日
続・安保法案について
丁度この件を記事にしようとしていたところ、先に投稿した記事『安保関連法案』について以下のご質問を頂きましたので、今回はそれにお答えする形で前記事の補足説明を述べさせていただきます。
【質問】
> 現行の法律と日米安保で対処出来ています
この部分について、具体的にお聞かせいただけないでしょうか?それと法案に関しては、米政府内で法案成立に同意を示しているだろうという意見がありますが、そのあたりについてはいかがでしょうか、与党のことについては記事内で言及されていましたが、日本政府は米国側に何という反応を示すのが妥当だとお考えでしょうか?
> 実際僕もタイ人やベトナム人の友人から、日本軍の蛮行について耳の痛いことを聞かされます
この部分について、具体的にお聞かせいただけないでしょうか、それからそれらの話が、デマや誤解、誇張にもとづいていない話かどうか検証できるか検討したいと思っていますので。
【回答】
>現行の法律と日米安保で対処出来ています
言葉の通りの意味でして、日本は戦後70年間外国からの攻撃を受けず、今現在も平和と繁栄を保っています。これは国家の安全保障政策が目指すところを十二分に達成しており、これまでの政策が大成功している証であると捉えています。
問題は今後も対処し続けられるかという点だと思いますが、まず大前提として未来に起こることは私にも安倍首相にも誰にも断言は出来ません。出来ることと言えば今後の展開を予想することだけですが、それは件の法案に賛成であれ反対であれ、誰にとっても綱渡りな推論でしかありません。
その上で安倍政権は以下のストーリーを想定して本法案(特に集団的自衛権の部分)を作ったものであると私は解釈しています。
『中国軍の海洋進出、北朝鮮の核ミサイル開発等によって今後日本の経済的・物理的安全が脅かされる危険性はより高まるだろう』
↓
『日米同盟等によって米国などの同盟国は日本を守ってくれるはずだが、金を払って守ってもらう一方ではいつか同盟国に見捨てられるかもしれない』
↓
『日本も対等な責任を負って同盟軍を武力によって守る事で、同盟国との信頼関係は深まり日本の安全保障はより安泰になるだろう』
この推論は一見説得力があるように見えますが、メディアや有識者が声を上げているように、法案の内容を見ると数々の懸念が沸いてきます。
・日本はこれまでも国民の経済的・精神的苦痛を伴いながら膨大な資金・基地などを米軍に提供し、その要求に十分応えてきたはずだが、日本が人命を賭して同盟国を守りさえすれば、米軍基地や財政面での負担が解消される確約はあるのか?
・そうでないなら、これまでの負担に加えてさらに国民・自衛官の命までも差し出さなければ維持できない非常に不平等な関係となるのではないか?
・そのような歪な関係で、最後まで同盟国が日本を守ってくれると言い切れるのか?仮に守られたとして、それは本当に日本の自主独立を維持した状態なのか?
・武力行使の条件たる『存立危機事態』の定義が曖昧であり、さらにその判断を憲法や国会ではなく内閣が決定する以上、実際には日本に直接的な脅威がなくとも時の政権の都合で恣意的に運用される危険性は拭えないのではないか?
・恣意的に運用された場合、日本を守るどころか、むしろ余計な危険を背負う羽目になるのではないか?
・憲法違反である可能性が限りなく高い以上、法案そのものが日本の立憲主義を否定する物であり、それはつまり日本国民が長年培ってきた良識ある社会を破壊し無法な権威主義国家へと貶める行為ではないか?
これまでの国会審議でこれらの疑念が払拭されたとは到底考えられず、またそもそも政府が憲法を無視する事自体が国の安全を脅かす異常事態ですので、私は本法案への反対と、安倍内閣への批判を行っています。
>米政府内で法案成立に同意
我が国の法律ですので、外国政府の同意・不同意に左右されてはならないものだと考えます。
それが日米関係を極端に悪化させる恐れのある場合はまた別ですが、今回の法案が流れたところですぐさま関係が悪化し日本が窮地に陥るという事は、米国にとっても不利益であるため考えにくい事だと思います。
>日本政府は米国側に何という反応を示すのが妥当
これまで通り「日本には(米国が作った)憲法9条があるし反戦世論が根強い為、日本の周辺に直接的な攻撃が無い限り、外国に対し軍事的な協力は出来ないんですよ。」という『建前』を通し続けるべきだと考えます。
この白々しい戦後日本の建前は、明治~第二次大戦時代の惨禍によって日本を快く思わない東アジア・東南アジア地域や、米国を敵視するイスラム世界においても、『軍事的脅威は無い上にやたら経済支援をくれるお人好し』という評価を得て友好関係を築き日本企業参入を可能にしました。したがってこの方針は今日の経済発展や国際社会での地位、すなわち我が国の安全保障を支える必須条件と考えます。
一方で日本周辺の不安定な情勢を見れば在日米軍の存在は必要不可欠だという事は私も認識していますので、当面はこれまでのように基地の提供や財政面で米国と密に協力し、現行の日米安保を維持するしかないと思います。これは特に沖縄など長年基地問題に悩まされている人々にさらに我慢を強いる物であり本当に申し訳ない限りですが、現状ではもっと良い方法が思いつきません。
>タイ人やベトナム人
具体的に言われたのは以下についてです。
・1941年12月に日本が独立国であるタイ王国に侵攻し、防衛に当たった多くのタイ軍兵が戦死。さらに武力による恫喝によってタイ政府を枢軸国側に編入させ、それによってタイ国土が戦場となり国民が犠牲となった。
・泰緬鉄道建設において、日本軍が使役した連合国捕虜、タイ人、ビルマ人、マレーシア人、インドネシア人労働者が大量死した件。
・1944年~1945年にかけて日本軍・仏印政府統治下のベトナムで発生した大飢饉によって膨大な人数のベトナム人が餓死した件。
>デマや誤解、誇張
私自身は、これらの事件のうち犠牲者数については誇張が含まれると思っています。(ただし、例え犠牲者がたった一人であっても許されざる犯罪であり、その不名誉は永遠に消せないですが)
史学的に公正な研究が進むことには大賛成ですが、前記事で『事実かどうかに関わらず』と書いたように、残念ながら歴史とはその地の体制によって都合良く書き換えられるものなので、いくらこちらが学術的な主張をしたところで、外国人が持つ歴史認識を変える事は難しいでしょうね・・・。どこの国でも、自己辯護に聞こえる外国人の主張より、学校や自分の親から教わった常識を信じるのが普通ですからね。
私が記事でこの件を引き合いに出したのはこの点を言いたかったからでして、軍隊が自国以外で(偶発的にでも)戦闘すれば、理由の如何を問わずその時点で敵対勢力に対し格好の宣伝材料を与えてしまうという事です。そうして権力・体制によって造られた歴史認識は、何十年でもその地域の人々に憎悪と共に残り、我が国にとって不名誉と不利益であり続ける訳です。
特に相手がテロ組織の場合、その経緯が何であれ、一度敵と見なされれば永遠に攻撃対象とされてしまう危険性が高いと考えます。そしてこういったテロ集団に対し軍事力は抑止力にならず、むしろ敵を増やすばかりだという事は冷戦終結後の米国・欧州・ロシア・中国の状況を見れば明らかです。
そこで本法案が恣意的に運用され米国主導の対テロ戦争に日本が軍事的協力を行う事になれば、我が国までもが敵と見なされ、一層国民を危険に晒すことになるのでは?という懸念は当然浮かびます。これも言わば仮定の話に過ぎませんが、安部政権はこうした事態への防止策を考慮していないようなので、このまま成立させてはならないと考えた次第です。
以上が私の見解です。
【あとがき】
正直、いまさら安部政権が良識を取り戻して法案を取り下げるなんて事は無いだろうから、もう成立は避けられない情勢だという事は分かっています。と言うか、選挙で自民党が大勢取った時点でもう遅かったんだよな・・・。
しかしこの国はまだ独裁国家にまでは墜ちちゃいねぇ。政治家は選挙に負ければ無職なんだから、あんまり調子こいてると議席を減らすという当たり前の事が分かれば、連中だって内閣支持率を気にせざるを得ない。自民だって数年前の政権転落のトラウマはもう繰り返したくはないでしょう。
そうすれば例え法律はあったとしても、懸念される国民の命を駒にした大戦略ゴッコに少しは歯止めがかかるんじゃないかな。かかるといいなぁ・・・。
だから今後も、絶え間なく与党を突つきまくる必要がある。これは嫌がらせとかじゃなくて、権力の横暴を防ぎ健全な民主主義国家を維持する為に必要不可欠なプロセスです。
物心ついた時から『へそ曲がり』と呼ばれ続けて二十余年、いまさらお利口さんにはなれません。生きてる限り一人でも声を挙げ続けていきますよ。
2015年09月01日
雑記
この歌カッコイイ!!
今出回ってる中国製の仏軍風キャンバスブーツってもう、くるぶし保護のゴムがコンバースみたいに脚の外側にあるやつしかないの?
今回注文した店によると、商品画面に載ってた(内側にゴムが付く)のは旧モデルで、すでにメーカーがこの形にモデルチェンジしてしまったらしい。マジか
返品に応じてもらえたから良かったけど、もしかしたら旧モデルはとっくに在庫が枯渇しているのかも。
無いなら定番のパラディウム買うしかないけど、あれも結局フランス軍のとは似て非なるものだしなぁ。
もしかしたら、この中国製キャンバスブーツシリーズの2バックルブーツ仕様を買って、上の部分をぶった切るのも有りかなと思い始めている。
こちらはCLASSIFIED (クラッシファイド)さんで販売中の、別メーカー(ドイツ製でしたっけ?)の丈長仕様を改造したもの。
イベントの用意するついでに、また少しお色直ししました。
最初はアイレットを全てアルミ製に打ち替えるつもりだったんですが、なんか億劫になったので、タミヤカラーで塗っちゃいました。
ちょっとは雰囲気良くなったかな。

つい2ヶ月前訪れたばかりのプラ・プロム(エラワン廟)。
日本なんかよりずっと文化・人種・宗教に寛容で慈愛あるタイという国を象徴する、平和で美しい場所でした。

写真:Daily Mail Online
それが、こんな姿にされるとはね・・・。
さすがに寛容なタイ人だって、王都のど真ん中でこんな事されたら、「危機感」やら「自衛」やら、もっともらしい言葉の誘惑に苛まれてしまうよ。
それでも今のところ特定の宗教に対して表立った対応をしていないタイ政府の判断は賢明だと思う。(と言うか下手にムスリムを敵に回すと本当に内戦になる)
何を理由にしようが、人間の抱く『怒り』なんて、結局は利己的なものに過ぎない。
それなのに人はそれを容易く『正義感』なるものにすり替えてしまう。
そして、この浅はかな自己暗示が産むものは、結局こんなものなんだよ。

ネトウヨという無知な子供(および子供並の知能の成人)が罹る病気の方々は、やたらベトナム派遣韓国軍に執着があるみたいですが、
少なくとも僕の友人のライダイハン(韓国軍人を父に持つ韓国・ベトナムハーフ)は皆、ベトナム防衛の為に命がけで戦った韓国軍人をいたく尊敬されていますよ。
ネットなんて所詮、ベトナム共産党のプロパガンダが外国のレイシストに利用され、無条件で垂れ流されるような、便所の落書き以下の場所なんですから、読む価値のある文章なんて本当に限られてますよ。
糞を眺める趣味は無いので、僕はGoogleの検索結果に日本語を表示させないように設定しています。
友達に誘われて、大井競馬場で人生初の競馬を体験。
僕はギャンブルやらないので、大井競馬場で開催されていたタイ&ビールフェスティバル目当てで付いてきました。
ただしビールはあまり好きじゃないので、本当にただタイ料理を食いに来ただけ。

タイに住んでた時幾度となく食べたパッタイ(ケチャップ味米粉焼きそば)と、お店オリジナルのトムヤムクーン味カオパット(炒飯)
こういう日本の出店で買うと合計1000円(ビール入れて1600円)になるのは仕方ないんだけど、タイの屋台の値段知ってると、なんか馬鹿らしくなる。向こうじゃ300円で腹いっぱい食えたのに・・・
なお戯れに計1000円ほど馬券を買ってみました。一本も当たりはしなかったけど、3頭中2頭は当たってて、何度も惜しいところまでいってました。
もう一回やれば僕でも当たりそうな気がします。なるほど、こうやって人は身を滅ぼすのか。
ギザギザハートだった頃はだれかれ構わず突っかかってたけど、さすがに僕も大人になったので、今は噛み付く相手は自分より目上の人だけにしている。
2015年08月10日
二郎とか選挙とか生徒会とか
今日はラーメン二郎松戸駅前店の店主が交代してリニューアルオープン初日なので、朝から弟と並びに行きました。

開店は午前11時ですが、9時30分に店に着いた時点でやはり行列が。
この日はオープン初日という事で限定120杯なので、整理券が配られていました。
僕の整理券は103番。おお・・・危なかった。この時間に来て整理券に間に合ったのはラッキーでした。
(もしダメだったら同じく松戸市内にある、らーめん おうかで食おうと思ってました。)
整理券もらったものの、順番が来るのは午後1時ごろと言われたので一旦帰宅。
そして昼過ぎに再び来店し、無事新店長の作る二郎を頂く事ができました。
「ニンニク、アブラで」
おいしかったv(°∇^*)
夕方は埼玉県知事選挙の投票へ。
正直僕もあまり興味なかったけど、一応行っておかないとね。
しかし選管の発表によると、僕の住んでる市は投票率21.8%で、全市町村平均の33.8%より12ポイントも低いのね。情けねー
選挙と言えば、何年か前に地元の市議会議員選挙で、父と一緒にボランティアの選挙運動員やった事があります。
まぁ小さい街なので、選挙運動も大都市とは比較にならないのほほんとしたものでしたが、面白い経験ができました。
街宣車(黒いバスではない)で市内廻ってたら、いきなり「喉疲れたから、うぐいす嬢代わって」とか言われて、台本も無いまま急遽スピーカーで喋る羽目に。
いやぁ、あれ恥ずかしいものですよ。緊張して噛みまくるし。
でもやってるうちにだんだん慣れてきて、調子乗って自転車乗ってる知らないおばさんとかお巡りさんに「暑い中ご苦労様です!」とか声かけてみたり。
あと、市内くまなく廻るので、生まれてこの方一度も来た事のない地元というのが見れました。
思い返せば、僕も中学の時に生徒会に立候補して、体育館で何やら演説した記憶がありますが・・・何言ったか全く覚えてないですね。
1年で書記、2年で生徒会長やったけど、毎月やる全校朝礼は、最初は演説の台本書いてたけど、だんだん面倒臭くなってきて、途中から全部アドリブで喋るようになっちゃいました。
生徒会で一番面白かったのは文化祭と三送会(三年生を送る会)でしたね。
文化会では、開会式で僕が体育館の2階から飛び降りて登場する事になってまして、周りから「危ないから絶対回るなよ!」と念を押されたんですが、いざ手すりを乗り越えスポットライトを浴びると是非とも回りたい衝動に駆られたので、1回転して飛び降りました。
そしたらマットで跳ね過ぎて、そのままバウンドして観客席に突っ込み足を捻挫。「バカ」「やるなって言ったろ」「バカ」と生徒会の女子全員から怒られました。ごめんちゃい
あと三送会では、司会やってる時、先代の生徒会長を突然名指しして「今から告ってください」というサプライズを仕掛けたら、先輩が「タイガが告るなら俺も告る」などと意味不明な事を言い出し、それに調子付いた全校生徒みんなで僕に告れコールが始まっちゃいました。
策士策におぼれるとはこの事か。しかたなく壇上から好きだった同じクラスの子に「好きです!」と叫びました。
そしたらその子は突然スポットライトを浴びせられ、全校生徒の前で晒し者にされてしまい、驚いて本気で泣き出してしまいました。あーあ
その後告った先輩もあえなく撃沈。そんなもんだよ。こういうショーは見られる側の人間の自己犠牲で成り立ってるんだ。
軍ヲタ的には、体育祭の開会式で校旗の旗手やったのは良い経験だったはずなんだけど、当時の僕はまだ廃工場に忍び込んで友達とガスガン撃ち合ってる程度だったので、旗手という役目の重大さを全く分かってなかったのが惜しいところ。
ドラムコーア付きの隊列の先頭で行進、観閲席に栄誉礼なんて、もう二度と味わえないシチュエーションじゃないか。あんなガキんちょ時代じゃなくて、今やりたいよ。
2015年08月05日
秋葉原にて
仕事帰り、午前0時ごろに秋葉原で電車乗り換えるついでに駅前の喫煙所行ったら、夜遅いので閉まってた。
そんで喫煙所の前はこんな有様。


一体何人が路上に投げ捨てたのだろう。
ゆうに200本はあるね。
俺の見てる目の前で、仕事帰りのサラリーマン達が次々と吸い殻を地面に捨てて行くし。
なんかムカついたので、おっさん達がタバコふかしてる周りで、地面の吸い殻をパシャパシャと写メ撮りまくった。
なんか皆、バツの悪そうな顔して見て来たね。
なに?気分を害した?
そりゃ、良かった。
まぁ僕自身喫煙者なので、そのままその場で吸って帰ったけど。
しかし、これじゃあ喫煙者はバカで恥知らずなろくでなしと思われても仕方ないね。
あの人たちは、自分の家の前や、自分の子供の前でも同じ事するのかな?
みんなやってるからいいやって事なのかな?
ずいぶん老けた子供がいるなぁ、おい。
そんで喫煙所の前はこんな有様。


一体何人が路上に投げ捨てたのだろう。
ゆうに200本はあるね。
俺の見てる目の前で、仕事帰りのサラリーマン達が次々と吸い殻を地面に捨てて行くし。
なんかムカついたので、おっさん達がタバコふかしてる周りで、地面の吸い殻をパシャパシャと写メ撮りまくった。
なんか皆、バツの悪そうな顔して見て来たね。
なに?気分を害した?
そりゃ、良かった。
まぁ僕自身喫煙者なので、そのままその場で吸って帰ったけど。
しかし、これじゃあ喫煙者はバカで恥知らずなろくでなしと思われても仕方ないね。
あの人たちは、自分の家の前や、自分の子供の前でも同じ事するのかな?
みんなやってるからいいやって事なのかな?
ずいぶん老けた子供がいるなぁ、おい。
2015年08月01日
安保関連法案
遅ればせながら、安倍政権が強行しようとしている『他国の紛争への軍事介入』を目指す法案に反対する署名に一筆加えさせて頂きました。本当はデモにも参加したかったんですが、機会が無かったので、以下に本法案に対する私の考えを述べます。
まず日本への直接的な脅威なら、現行の法律と日米安保で対処出来ています。今でこそ中国や北朝鮮への警戒が求められていますが、それ以前に日本は冷戦下の50余年、ソ連による侵攻を警戒して長年法整備と自衛隊の増強を行ってきました。その中で、もし時代にそぐわない法律上の不備が出てきたのなら、その部分を改正すればいいだけの話。それなら国民の理解だって得られたでしょう。誰も自国を防衛する事に反対している訳ではありません。
しかし自民党・公明党はそれをせず、あくまで『外国軍への自衛隊の戦力提供』に拘っています。戦力の提供とは、つまり自衛官の命、そして日本国民と国家の命運を外国に提供する事に他なりません。
自衛隊は、法律上の位置づけはともかく実質的には軍隊です。その任務は、災害派遣等でいくら良いイメージを得ようとも、本質的には軍事力によって敵軍を排除する事を本分としています。これは同時に、戦時においては外国軍が自衛官を殺害する事が国際法上認められていることを意味します。武器を持って戦えば、こちら側も殺されて当然という構図になるのです。さらに相手が国家ではなくテロリストの場合、攻撃対象は自衛隊だけなく日本国民全体という事になります。
まして、それが外国に赴いて戦った場合、現地の人々にどう思われるか。こちら側がどんなに「これは自衛の為に仕方なくやってるんです」と言っても無駄ですよ。外国軍隊が国内に攻め込んできた時点で、それは侵略者としか受け取られないんです。一発でも引き金を引いてしまえば、その時点で相手が不法なゲリラだろうが何だろうが関係なく、敵対勢力には『侵略者による我が国民への殺戮』として宣伝材料にされてしまいます。ベトナム戦争におけるアメリカ軍、韓国軍しかり。日中戦争における日本軍しかり。それが事実かどうかに関係なく、一度ついてしまった汚名は何十年経っても消せないという事を、我々はよく知っているはずです。
2003年に始まった自衛隊イラク派遣も、アメリカ軍に家族を殺されたイラク人から見れば、日本もアメリカの同盟軍という事に変わりはないでしょう。それでも、たまたま当時ゲリラ側の規模がまだ小さく、自衛隊に攻撃を行わなかったため一人の死傷者も出さずに済みました。もしかしたらイラク人側も、日本は人道支援のみでイラクを占領統治する意図はない事を分かってくれていたから、幸いにも攻撃対象にならずに済んだのかもしれません。
しかし今後は、日本は『自衛』を名目に同盟軍と共同で戦争を遂行する事が可能になります。いわゆる集団的自衛権ってやつですが、そもそも自衛という言葉自体、いくらでも拡大解釈が可能なもので、一体どこまでが必要最小限なのか、一切決まっていません。
参考までに、アメリカ、韓国、オーストラリア、タイ王国がベトナム戦争に参戦した名目は、集団的自衛権の行使です。冷戦下では、戦争をしてでも同盟国を支援し共産圏の勢力拡大を防ぐという事は、必要最小限の自衛行為と考えられていました。幸いにも日本には憲法9条があったためベトナムに自衛隊を派兵せずに済みましたが、それでもアメリカの同盟国として物資・サービス面でアメリカの戦争遂行を強力に支援していました。
また、310万人の日本国民の命を奪ったあの忌々しい太平洋戦争も、戦時中はあくまで自衛の為の戦争と宣伝されていましたよね。こんな小さな島国が、アリューシャンからシドニー、ハワイからインドという気の遠くなるような広大な地域を欧米から奪取して大東亜共栄圏(=日本による経済支配圏)を構築しようなどという無謀な政策が、自衛の為のやむを得ぬ措置と真面目に考えられていたのが、つい70年前の事です。そしてその結果、日本軍の侵攻によって数百万人のアジア同胞が死に追いやられたという事実は、我が国の歴史に拭いがたい汚点として永遠に残ってしまいました。
日本軍を恨んでいるのは国策で日本を非難している中国・韓国だけではありませんよ。日本人から親日国だと思われているタイやミャンマー、ベトナムも、彼らが好いてくれているのは『戦後』の日本であって、戦時中の日本軍への恨みは今だに根深いものがあります。実際僕もタイ人やベトナム人の友人から、日本軍の蛮行について耳の痛いことを聞かされます。日本で保守を自称する方々は、このような自身にとって気持ちの良くない『反日』には耳を貸さず、それどころかインドネシア一国の例のみを見て『日本はアジアを欧米植民地支配から解放した』などという妄想に浸っている方が多いようですが、今でもタイやミャンマーの日本軍墓地に現地の人々が落書きや破壊行為をしている現状を見れば、日本があの人たちに何をしてしまったのかが見て取れます。
また日本国民にとっても、数百万人の若者が徴兵され上官に殴られ続け、見知らぬジャングルの奥地に送られ、救うはずのアジア同胞を死体の山に変えてしまい、最後は弾薬も食料も無く飢え死に。かつ本土防衛すら満足に出来ず米軍の無差別爆撃により数十万人の女子供が生きたまま焼夷弾や原爆で焼き殺される。そして最後は無条件降伏し、国の全てを敵国の采配にまかせる占領下に。これが70年前に日本政府が行った政策の結果です。
この過去の我が国の愚行の根底には、国民個人の幸福よりも全体の秩序(という名目の権力者の権益)を優先する、権威主義がありました。お上の言う事は黙って聞けというものです。この日本の愚かな慣習は、不幸中の幸いで日本を占領統治したアメリカが自国の民主主義を新生日本国憲法に反映してくれたお陰で、制度上は国民主権の国家へ成長することが出来ました。
にも拘らず、安倍政権は戦後70年経った今日、再び国民の命を掛け金にした危うい軍事ゲームに参加しようとしています。自衛官の命も国民の命も、自身の理想(妄想)の為には『やむを得ない犠牲』なのでしょう。こういう輩は国が滅んだら責任とって腹を切るつもりなんでしょうが、こいつが腹を切ったところで死んだ人間は何も報われません。失った国の名誉も何も帰ってきません。最初から最後まで単なる独りよがりの自己満足です。
そんな連中に、自分の生まれ育ったたった一つの祖国をオモチャにされてたまるか。例え今国会で法律が成立してしまったとしても、私は生きている限りこの法律の廃止へむけて各方面の方々に協力していきたいと考えています。
2015年02月28日
2015年02月22日
2015年02月13日
日本政府のベトナム支援
注目すべき点が大量にある動画。
1968年、プレイク省を視察するグエン・バン・テュー総統御一行
(グエン・バン・テュー総統、グエン・カオ・キ副総統、第2軍団司令ビン・ロック中将(背が高い人)、そして在ベトナム日本大使)
映像の前半はプレイク省プレイメ中学校(Trường Trung học Plei Me, 日本で言う高校)への視察。学生服(白いアオザイ)を着た女学生たちが総統一行を拍手で出迎えています。一見よく見る光景のように見えますが、プレイメという土地柄、実は彼女達はベトナム人(キン族)ではないと僕は考えています。中部高原に位置するプレイク省は当時、まだキン族の入植が進んでおらず、人口の大半が少数民族のデガ(特にジャライ族)でした。彼女達がジャライ族であるという確証はありませんが、この後にCIDG部隊の映像が出てくる事からも、この視察は政府によるデガへの学校建設や軍への重用などデガとベトナム共和国政府の融和・団結をアピールする目的で行われた気がします。(ベトナムにおける一般的な学生服だからと言え、キン族の民族衣装であるアオザイをデガの女性に着させるのはどうかと思うけど)
後半はプレイク空港で行われた、第2軍団CIDG(越: DSCD - Dân Sự Chiến Đấu)部隊の閲兵式。ベオギュン(ベオガム)迷彩服の上に民族衣装着てるのは、おそらくMGF(Mobile Guerrila Force)。で、ザーコップ(タイガー)着てるのが第2戦術地区マイクフォース/MSF (II CTZ MIKE Force)。そして兵士達の背後にベトナム国旗と共にはためくのは、なんと日の丸です。飛行場に並べられた大量の木箱は全て日本政府から送られた医療支援物資であり、この一連の視察は在ベトナム日本大使も出席するベトナムと日本の親善行事でもあったようです。多分前半のプレイメ中学も、日本政府の支援で建設された物なのではないでしょうか。 式典ではまずベトナム軍幹部が大使に感謝を表明し、日本大使も何やらスピーチしていますが、音声は残っていないので内容は分かりません。また、1968年当時の在ベトナム日本大使は青木盛夫(1967-1968)および北原秀雄(1968-1970)の二名が居るんですが、この動画の人物がどちらなのかは分かりませんでした。

式典に集まったプレイク市民(多くがジャライ族)。横断幕に日本語で『永生友誼の日本‐越南』と書かれている。
1951年の国交樹立から1975年の国家消滅まで、日本政府はベトナム共和国に対し多大な援助を行っていました。それは第2次大戦における日本軍統治下での被害に対する賠償に始まり、以後ODA(政府開発援助)による物資・インフラ支援が長く続きました。また同国で15年間続いたベトナム戦争に対しては、日本は憲法上ベトナムへの派兵が不可能であり、武器輸出も出来ませんでしたが、むしろそれに直接抵触しない兵站・インフラ・民生分野ではアジア最大のベトナム共和国支援国でした。日本は米軍によるベトナム軍事支援物資の最大の生産国でもあり、CIDG部隊が着ている迷彩服や、ベトナム軍で広く用いられたキャンバスブーツなどの被服類は、かなりの割合で日本が生産していました。そして何より、在日米軍基地は極東地域に展開する米軍の最重要拠点であり、その世界最大の軍隊を支える大量の兵站を担う事が日米同盟における日本の役目でした。そして平時の在日米軍に加え、朝鮮戦争・ベトナム戦争という二つの戦争による膨大な物資・サービスの需要が日本の高度経済成長を大きく後押ししたのは間違いないでしょうね。
今日本の首相さんは、この自民党の伝統的な路線を更に拡大して、米軍以外の外国軍に対しても公に支援できるよう閣議決定しちゃいましたね。『非軍事分野に限る』という耳障りの良い言葉で国民を丸め込んだ気になってるんでしょうが、現在よりも限られた枠内で行われたベトナムへの支援ですら上記の有様だったわけです。つまりどんな形の支援であれ、アメリカと共に戦争状態や政情不安定な国への支援を行う事は、結局軍事支援になってしまうんだという認識は持っておくべきでしょうね。なお、僕はこの方針に全面的に反対している訳ではありませんが、反対意見を聞かないどころか、反対意見の出ないよう聞こえの良い言葉で国民を欺き、国会ではなく密室の閣議でこのような国家の重大事を内々に決めてしまう安倍晋三内閣を心から軽蔑しています。
2014年07月24日
キャンバスブーツ
※2021年11月23日更新
キャンバスブーツのコントラクトナンバーと生産国について、認識間違いが複数あったので改めて最新のまとめを『キャンバスブーツのコントラクト/調達局コード』に掲載しました。併せてこちらをご覧ください。
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先日うちに来たキャンバスブーツさん。
片足のみ、しかも4W(約21.5cm)というサイズなので、純粋に資料として買いました。(履けるサイズでも壊れるので履かないけど)
第2次インドシナ戦争で使われたキャンバスブーツとしては、最もオーソドックスな仕様の物だと思います。






コントラクトNo:DA 92-125 FEC-3638
カラー:ブラック
アイレット:7穴
サイズ:4XW (ソールには4WXと表記)
このキャンバスブーツは、ベトナム戦争において、南ベトナム軍またはCIDGが使用した靴として有名だと思います。
デザインは、見ての通り第1次インドシナ戦争期にフランス連合軍が使用した"ブッシュ靴(Chaussures de brousse)"を原型としています。
生産メーカー名の『ベータブーツ』や『パラディウム』と聞けば、馴染み深いと思います。
▲第1次インドシナ~アルジェリア戦争期の仏軍ブッシュ靴
仏軍では生地の色はほとんどオリーブ色のみ。細部の形状はメーカーにより様々で、アイレットも5穴~7穴と幅がある
ジュネーヴ協定後も、独立した旧・仏領インドシナ諸国は(もともとフランス連合軍なので)この仏軍ブッシュ靴を引き続き使用していました。
後にアメリカが南ベトナム・ラオスへの軍事援助を本格化すると、アメリカ軍は支援物資としてこの仏軍ブッシュ靴のコピー品を第三国で生産し、同盟軍への大量供与を開始します。
こうして生まれたキャンバスブーツは後に、ARVNリュックやCISO発注品と同様にラオスやクメールなど周辺の親米国政府軍にもアメリカ軍からじゃんじゃん供給されていったので、これらの装備品はベトナム限定ではなく、もっと広範囲に東南アジア(インドシナ諸国)向けの反共軍事支援の一つだったと言えると思います。
この事からも、ブーツそのものには(おそらく単にメーカー側の設備の都合で)いくつかバリエーションがありますが、それらに南ベトナム政府軍向け・CIDG向けという区分は存在しなかったと考えます。
※北ベトナム軍もフランス軍の装備を接収してそのまま使っていたため、親米国と同様に仏軍ブッシュ靴のコピー品を使っていました。
日本の安全靴・作業靴メーカーが作った物もあるので、戦後日本国内でこの靴が大量に売られていたという話はよく耳にします。大抵は東南アジア向けのサイズなので、小さすぎて一般的な日本人男性の履けるサイズではなかったようですが。
ただし、そのメーカーを特定できるようなスタンプ等は、ほとんどの靴に入ってないようです。メーカー側が、戦争に使う物に自社名を入れたくなかったのか。またはアメリカ側が日本の立場を考慮し、あからさまに日本製だと分かるようなスタンプなどは入れないよう指示したのか。(コントラクトナンバーが入ってる時点で秘密裏に作られた物ではありませんが)
アメリカ国防総省が公に日本企業に発注した物品なので、もしかしたら国立公文書館とかに当時の書類が残ってるかもしれないですね。
さて、本題のブーツのコントラクトナンバーを見ていきましょう。
まず、最初に挙げた僕のは『DA-92-125-FEC-3638』。後述する125系の物です。
がしかし、僕が持ってるはこの1足のみなんです。(こないだ初めて買ったw)
なので比較検証のため、以下アメリカのミリタリーマニアフォーラム『Wehrmacht-Awards.com Militaria Forums』内のスレッド『Boots in the ARVN - Vietnamese footwear』に投稿された、各コレクターの方が所有するブーツの画像を引用・リンクさせてもらいます。
DA-92-557系


DA-92-557-FEC-96626 (オリーブ, 7穴, 5W)
DA-92-557-FEC-96627 (オリーブ, 7穴, 5W)
DA-92-125系
DA-92-125-FEC-2895 (ブラック, 7穴, 4W)
DA 92-125 FEC-3638 (ブラック, 7穴, 4W)
↑うちのブーツと同じコントラクトナンバーで、仕様もスタンプに至るまで全く一緒です。(サイズ違い)
DAJB03系
DA-92に次いで散見されるのが"DAJB03-xx-C-xxx"というコントラクトナンバー。
外観は大差ありませんが、アイレットが7穴だけでなく、8穴のタイプもあるのが特徴といえば特徴でしょうか。
DAJB03 68-C-451 (ブラック, 8穴, 7W)
DAJB03-67-C-0291 (ブラック, 7穴, 7W)
いつもお世話になってる似非ミリタリー日誌様も、以下の2足のDAJB03系をお持ちです。
DAJB03-68-C-150 (ブラック, 8穴, 10W)
DAJB03-67-C-0294 (ブラック, 7穴?, 4XW)
KO/3259系?
こちらは他のキャンバスブーツと明らかに構造が異なり、サイドにジャングルブーツのような補強が付いてるタイプ。
『Wehrmacht-Awards.com Militaria Forums』では、このブーツは南ベトナム製で、1974年契約と紹介されていました。
KO/3259 2-8-74 (オリーブ, 7穴, サイズ5)
"PHAM THI KINH"というベトナム語らしき文字がスタンプされています。(意味は分かりませんでした。メーカー名?)
KO/3259-2-8-74 (オリーブ, 7穴, サイズ5)
※もしかしたら上のと同じ個体かも。
こちらはスタンプ無しらしいですが、形状は同じ物(オリーブ, 7穴)
Q州の一匹狼様がブログで紹介していらしたのも、このタイプなのですね。(今までこういうものが存在する事を知りませんでした)
ちょっとサンプルが少ないので何とも言えないですが、もし仮にこのデザインのブーツは全て南ベトナム製で、戦争末期の1974年頃にのみ作られた物であれば、戦後流通している数がかなり少ないのも変ではないですよね。
以上、第2次インドシナ戦争期の米軍援助キャンバスブーツについてでした。
【番外編】
以下は第二次インドシナ戦争で使用されたモデルではない(と思う)ので軍装品としての資料とは言えないのですが、ちょっと面白い物なのでコレクションとして持っているものです。
フィリピン製 (パラマウント・ビニール・プロダクツ社)

フィリピンの化学製品会社が作った物で、ソールにあるBANTEXのブランドロゴは現在と同じです。
日本の作業着屋で売られていた物が、巡り巡って僕のところに来ました。製造年は不明ですが、そこそこ古そうです。
外観は、見ての通り、丈が異様に長い。カッコイイ~w
足の内側のくるぶしっぽい部分(内果と言うらしい)に保護用のゴムは付いていないですが、ラバーは上のキャンバスブーツと全く同じ構造です。
なんか、このメーカーも戦争中米軍からブーツ生産を受注していて、その型をそのまま使って作業靴として売っていた気がしてなりません。
中国製

タグから見て、ここ20年くらいの比較的新しい物で、日本国内向けに生産されたものです。リサイクルショップで買いました。
いかにも中国の軍用ズックっぽい緑色の生地なので、パッと見北ベトナム軍キャンバスブーツのような印象を受けますが、北ベトナム軍ブーツ見られる土踏まず部分のラバーや両サイドの斜め補強はありません。
シハヌーク政権時代のクメール王国は中国とも仲が良かったので、中国に仏軍ブッシュ靴のコピー品を作らせると、こんな感じになりそう。

▲これは70年代のクメール共和国時代の写真ですが、よく似た靴が使われています。
中国製

現代も販売されている、仏軍ブッシュ靴というかパラディウム社のスニーカーのコピー商品。僕が持ってるのはちょっと古いモデルで、現行モデルはかかと部分にMAG☆FORCEとダッサいロゴが入ってしまうようです。
てゆーかこれ、ありえない間違えしてるんですけど。横の丸いゴム板が、足の内側ではなく外側に付いてるんですけど・・・。コンバースじゃないんだよ・・・
今通販でこの靴の画像見ると、ゴムはちゃんと内側に付いている。前はみんな逆に付いてたのか?それとも僕のだけ不良品なのか?
とにかく、これ買った当時の僕は知識が無くて、これが変な事に気付かなかった。無念。
2014年07月18日
リアル
自宅から車で10分ほどの場所にまだ入ったことの無いベトナム料理店があり、前々から気になっていたので友人と二人で食べに行ってみました。
感想としては、リアルなベトナムを体験できる場所でした。
※僕みたいな旧体制(南)の愛好者が店に出入りしていると知られると無用なトラブルを招きかねないので、店名や場所は伏せさせて頂きます。
まず、店の前に着くと、ちょうど店の人らしいベトナム人のおばちゃんが車で来て、歩道を塞いで無理やり駐車。
エアコン代節約のためか店の戸は開きっぱで、中に入ると扇風機2台がキュルキュル回ってます。
連中にしてみれば、このくらいの暑さは扇風機でしのげるレベルなのでしょう。
店の中は4人掛けのテーブルが4つくらい。飾りっけの無い壁には、ベトナムの伝統楽器や絵が申し訳程度に架けてあります。
面白いと言えば、カウンターの前にある神壇ですかね。仏壇ではなく、道教の神棚です。(写真撮り忘れました)
僕ら以外に客は居らず、店内には店員の女の子と先に入った関係者らしきおばさん、厨房にもうひとりおばさんが居るだけ。もちろん全員ベトナム人です。
そんで、決して美人ではない店員の娘が慣れない感じでお茶だしてくれて、メニュー見て注文。高くもなく、安くもなくって値段です。
料理を待ってるあいだ、店内を観察しながら雑談。
店内にBGMはなく、開け放たれた戸の前を走る幹線道路の騒音、日本製だけど埃たまって汚い扇風機の作動音、テレビから流れる忍たま乱太郎の音声がこだまします。
そしてさっきのおばさんは空いてる席に座り、靴を脱いで素足であぐらをかいて、電器屋のチラシを広げて、厨房のおばさんとデカい声であーだこーだベトナム語で喋くってます。
う~ん、実にいい具合に東南アジアです。エアコンのないじっとりとした暑さとも相まって、もう空気がネイティブです。
日本人向けの小洒落たベトナム料理・エスニックレストランでは味わえない、リアルなベトナムの雰囲気を満喫できました。とてもデートにはお勧めできません。
※悪口のように聞こえますが、僕はこの感じがとても気に入りました。褒める気もないけど。
続きを読む2013年12月15日
黒歴史
Youtubeのトップに"自称"愛国者集団の広告が載る時代か・・・
なにが「日本は植民地解放のヒーローだ」だよ。
恥を知れ。
俺はあの戦争を、自分の薄っぺらい自尊心のために利用しようとする連中が大嫌いなんだ。
誰が何を主張しようが勝手だが、やるなら自分のところでやれ。
公共の、しかも子供も見ているような場所でやるな。恥ずかしいから。
あと言わせてもらえば、ああいう連中がよく口にする「誇り」等の勇ましく正義感に満ちた言葉は、
結局そいつ自身に足りていない物に過ぎない。
無知と貧困の行き着く先が国粋主義ってのは、いつの時代も、どこの国でも一緒。
どんな馬鹿でも犯罪者でも、生まれ持った民族・国籍だけは最後まで保てる。
更にその上、無理くりにでも「自分の国は素晴らしい」って理由付けをしなければ生まれ育った国を愛せないのなら、
そんな軽薄な愛国心ってないでしょう。
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