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2022年10月29日

タイガーストライプの始まり Part 4

過去記事『タイガーストライプの始まり Part 3』にて、1958年撮影とされるベトナム海兵隊の写真にザーコップ(タイガーストライプ)迷彩服が写っていると紹介しました。また、その記事を書いた時点では、その写真が僕がザーコップの使用例を確認した一番古い時代の物でした。
しかし先日、1957年の国慶日(10月26日)パレードの映像を見ていたら、普通にザーコップを着ている海兵隊が写っていました。



動画からのキャプチャなので不鮮明ですが、服は最初に生産されたザーコップ迷彩服として知られる、VMX/エクスペリメンタルパターンの仏軍TTA47型(より正確には、上着は軽量型TTA47/52)で間違いないと思います。この服は1957年製造スタンプが確認されているので、1957年の映像に写っている事とは矛盾しません。(過去記事『ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類』参照)


また、左袖に付いているパッチは当時の海兵隊で唯一の歩兵部隊である第1上陸大隊(Tiểu Đoàn 1 Đổ Bộ)のものです。



この記事シリーズのPart1である『タイガーストライプの始まり』に挙げた、「1960年以降、海兵隊の戦闘服は『虎の皮(da cọp)』として知られる緑地に黒色の波の迷彩となった。」というチャン・バン・ヒェン中佐による記述から、僕はザーコップ迷彩の制式採用は1960年であり、それ以前は試験的な配備だと当ブログで書いてきました。
しかし今回の1957年の映像を含め、1950年代中に多数のザーコップの着用例が見られることから、実際には試験か制式かなんて関係無く、シンプルに1957年採用と考えた方が良い気がしてきました。





この記事を書くにあたってPart1を書いた日付を見直したら、2013年。「タイガーストライプの始まり」というテーマを掲げてから、9年もかけてようやく本当の始まりらしき部分にたどり着きました。
いや、 ジョンソンのタイガー本には最初から1957年製の写真が載っているのだから、素直にそういうものだと思ったらよかったのですが、僕は興味のある事は自分で調べないと気が済まない性格なので、納得するまでにこんなに長い年月がかかってしまいました。

  


2022年08月24日

レプリカベレーとテーラータグ

※2022年8月28日更新


以前、ベトナム共和国軍のベレーについて「テラータグが有るから実物」と言われているのを聞いたことがあるのですが、全くそんなことは無く、むしろ出来の良いレプリカベレーのほとんどは当時風のテラータグを備えています。一方で、実物にはテラータグが無い物もあるので、テラータグの有無は真贋の基準にはなりません。
以下、僕の手持ちのレプリカベレーの中でも出来の良い物と、そのタグになります。

空挺部隊およびNKT



レンジャー部隊




装甲騎兵(下士官)





特殊部隊および第81空挺コマンド群





海兵隊(兵卒 1956-1966)




トゥドゥック歩兵学校




紺色ベレー(ベレー章無し)




ついでに、テラータグを備えていないレプリカベレーはこちら

特殊部隊マイクフォース



陸軍一般兵科(1954-1967)

このベレーは実物っぽい雰囲気ですが、サイズA3のスタンプが押されています。
AはÁo(上着)の略なので、帽子のサイズとしては不適当であり、本来はAやQ(Quần:パンツ)といったアルファベットのない、単なる『3』という表記のはず。
まだはっきりレプリカだと断定はできませんが、僕は疑わしく思っているので、今回はレプリカの一種として掲載しました。
  


2022年08月19日

ベトナム国産SMGアンモポーチ

先日、EA社からベトナム国産SMG用アンモポーチ(チェストリグ)のレプリカが発売されたので、早速購入しました。



このアンモポーチのレプリカが登場してくれるのを十数年間待っていた、と言うか、まさか本当に商品化される日が来るとは思っていませんでした。
EA社とは以前、代金を支払ったのに半年も商品を発送せず、結局注文キャンセルとなったというトラブルがあったので距離を置いていましたが、今回ばかりはこのレプリカを発売した心意気に感謝せざるを得ません。
ただし、また直接取引するのは嫌なので、今回は日本でEA社製品を扱っているベースエクスチェンジさんを通じて購入しました。


このアンモポーチはチェストリグ式ですが、ポーチが二つベルトで繋がっており、体の前後にポーチを下げるように出来ています。


またベルトを外してポーチ単体をピストルベルトに吊るす事も可能です。



なお、このポーチは当時の写真では(特に国家警察で)使用例が多数見られるものの、なぜか現存数は異様に少なく、長年インターネットを見回しても、まだ実物が紹介されている例は見たことがありません。
なのでEA社が実物を入手ないし細部を確認したとは考えにくく、このレプリカは当時の写真からおおよその形状を再現したものだろうと僕は考えています。

  


2022年08月04日

我が家のキャロット

これまでコスプレ用にいくつかキャロット(仏語でギャリソンキャップの意)を買ってきたものの、いまだに着用して撮影したことがありません。
なので今回は話の種に、キャロット単体でご紹介。


①フランス植民地軍歩兵部隊Mle46キャロット(デスボランティア製リプロ)

第一次インドシナ戦争~アルジェリア戦争で使われたキャロットの植民地軍仕様。錨のバッジ以外は陸軍と共通。
赤い色は歩兵の兵科色で、植民地軍の場合は植民地歩兵部隊を意味します。


②フランス植民地軍Mle47キャロット(フランス製リプロ)

第一次インドシナ戦争~アルジェリア戦争で使われた熱帯用キャロットの植民地軍仕様で、こちらも錨のバッジ以外は陸軍と共通。
上のMle46と違って兵科色を示さないので、どの兵科でも被れる便利な帽子です。


③アメリカ陸軍カーキギャリソンキャップ(実物)

フランス軍Mle47キャロットの代用品として買いました。Mle47キャロットは米軍ギャリソンキャップのコピーであるため、代用にはもってこいです。
上で述べたように錨なしのキャロットはフランス陸軍仕様であるのに加え、第一次インドシナ戦争期のベトナム陸軍や支援軍(民兵)でも着用されました。
またベトナム戦争期には陸軍ではキャロットは廃止されていたものの、一方でMle47と同様のカーキ色キャロットがベトナム海軍や人民自衛団(民兵)の一部、学生向け軍事教練プログラムで着用されました。


③アメリカ空軍士官ギャリソンキャップ(実物)

ベトナム空軍士官キャロットの代用品として買いました。
第2次大戦後にアメリカの支援によって創設された西側諸国の空軍同様、ベトナム空軍のキャロットも見た目はアメリカ空軍の物と瓜二つです。


ちなみにキャロット(Calot)はフランス語ですが、ベトナム共和国軍ではCalotをベトナム語読みして"カロット帽( Calot)"と呼んでいたようです。

▲Huấn Lệnh Điều Hành Căn Bản (1969)より

Calot自体に帽子という意味があるのでカロット帽だと意味が重複していますが、日本語でもベレー帽とかマスケット銃とかチゲ鍋とか言うように、外国語を輸入するとこういう事ってよく有りますよね。

  


2022年07月25日

ベトナム警察の制服と階級章

今回はベトナム共和国の警察の制服、中でもいわゆるお巡りさんの着る勤務服の変遷をまとめました。

なおベトナム共和国の警察組織は、時期によって『警察(Cảnh Sát)』と『国家警察(Cảnh Sát Quốc Gia)』の二つの名称があります。1955~1962年までベトナムでは公安警察総局(Tổng Nha Cảnh Sát Công An)の下で、警察と公安が別々の組織として存在していました。その後、1962年になると警察と公安は統合されて新たに国家警察が発足し、公安警察総局国家警察総局(Tổng Nha Cảnh Sát Quốc Gia)へと改編されたました。


制服(勤務服)の変遷



1st (1955-1962)※公安警察総局期
制帽: 白
シャツ: 白(長袖)
パンツ: 白

2nd (1962-1966)これ以降国家警察
制帽: 白
シャツ: 白(半袖)
パンツ: 白
1st~2nd期は全身白い制服を着ていたため、ベトナムに派遣されたアメリカ兵たちは街のベトナム人警察官たちを『ホワイトマウス』とあだ名した事が知られています。そのイメージが強いせいか、映画フルメタルジャケットではサイゴン市内で交通整理をしている警察官がこの白い制服を着ていますが、映画の時代設定である1968年には白制服は廃止されていたので時代考証的には誤りです。

3rd (1966-1971)
制帽: ライトブルーグレー
シャツ: 白(半袖)
パンツ: ライトブルーグレー

4th (1971-1975)
制帽: ブルーグレー
シャツ: ブルーグレー(半袖)
パンツ: ブルーグレー
なお内勤者では引き続き白シャツ(半袖)の着用例が多く見られる。


階級章の変遷



過去記事『国家警察の階級』も参照

ベトナム警察の階級システムおよび階級章は大きく分けて3つの時代に分けることが出来ます。

1st (1955-1962) ※公安警察総局期
公安警察総局期の階級章に関しては、まだ資料が手に入っていないので、今回は割愛しています。

2nd (1962-1971)
1962年制定の国家警察前期階級章は、1971年まで基本デザインは同じですが、1966年の制服改定(3rd制服導入)に伴い、パッド型からスリップオン式肩章に変更されています。

3rd (1971-1975)
1963年11月の軍事クーデター以降、国家警察は軍の指揮下に置かれており、国家警察総局総監を始めとする警察幹部の大半は軍からの出向者が務めていました。ベトナム戦争が激化すると軍と国家警察の同化はますます進み、1971年には新たに4thの制服が採用されるのと同時に、国家警察の階級システムおよび階級章のデザインも陸軍式に切り替わります。またこの1971年制定階級章では、台布の色でその人の身分が警察官(国家警察正職員)か、軍人(国家警察出向者)かを表すようになりました。
  


2022年01月21日

LLĐBのベレー

※2022年10月20日更新

今まで謎だった初期のベトナム陸軍特殊部隊(Lực Lượng Đặc Biệt)のベレーに関する写真や情報が、最近ある程度集まってきたので、暫定的なまとめを記事にします。
なお、色や徽章が切り替わった時期については写真からの推定なので、今後の資料次第ではまた変わってくる可能性があります。

※初期のLLĐBの組織については過去記事『NKTとSOG 越境特殊作戦部隊の歩み[1]』参照

ベレー色

・1st: 赤(1957~1964年?)

初期のLLĐBベレーは赤色だったという噂レベルの話は前々から聞いていたものですが、ついにカラー写真が出てきました。
残念ながらこの写真の具体的な説明や撮影年は不明ですが、ベオガム(ダックハンター)系迷彩が支給された部隊はLLĐB(前身の第1観測群含む)かCIDGしかないので、写真の雰囲気からしてLLĐBと考えてよいと思います。
ちなみに兵士の持っているサブマシンガンはドイツ製のMP40!50年代にフランス軍コマンドが使っていたものの残り物だと思いますが、この年代で見られるのはとても珍しいです。


・2nd: 黒(1963~1964年?)

▲トゥアティエン省ナムドン特殊部隊キャンプ [1964年5月]
1963~1964年頃の短期間のみ見られるのが黒色のベレー。
一説によると、1963年3月に特殊作戦を統括する地理開拓局がLLĐBへと改編され、レ・クアン・タン大佐が初代LLĐB司令に就任すると同時にこの黒ベレーが導入されたとの事です。
しかし1963年11月クーデターにおいて、ジェム総統の側近であったLLĐB司令官タン大佐はジェム共々暗殺され、1964年後半(?)にはタン大佐時代に導入された黒ベレーや徽章も廃止されました。


▲クアンガイ省ザーブク特殊部隊キャンプ [1964年5月]
なお1963年に黒ベレーが導入された後も、一部では赤ベレーが引き続き着用されていたようで、1964年の写真では赤と黒両方の色のベレーが見られます。
※ちなみにベレーとは関係ないですが、この写真、1964年中にERDL(インビジブル?)迷彩服が写っているすごい貴重な例です。


・3rd: 暗緑色(1964~1975年?)

 
クーデター後の1964年、LLĐBは軍事政権の下でその組織を大幅に改編し再出発します。
これに伴いジェム政権/タン大佐期のベレーも廃止され、1964年後半~1965年頃にかけて新たに導入されたのが米軍グリーンベレーに倣った暗緑色のベレーです。こちらは終戦まで以後約10年間着用されました。


ベレー章

・1st(?): "1"のバッジ(1957年-?)

とある研究者によると、1957年にベトナム軍初の特殊部隊として創設された第1観測隊(翌年から第1観測群)では、部隊番号の1を意匠としたベレー章が使われたとされています。ただし僕は画像では未確認です。

・1st(暫定): ベトナム国土・翼・赤星(?-1961年)

▲第1観測群チャン・フック・ロック上士
北ベトナムへの潜入作戦に参加し、1961年7月2日に戦死したロック上士の写真で、着用例が確認できます。
詳細は初代(暫定)LLÐBベレー章』をご覧ください。


・2nd: 空挺部隊(1961-1963?)

第1観測群/第77群司令ファム・バン・フー [フートーの第77郡本部にて。1961年]
第1観測群が第77群に改名された1961年になると、第77群では空挺部隊と同じパラシュートに翼の意匠のベレー章が見られます。
またこの時期はベレー色も赤なので、1963年に地理開拓局LLĐBへと再編され新たなベレーが採用されるまで、地理開拓局のコマンド部隊(第77群・第31群)色・徽章ともに空挺部隊と同じベレーを着用していたことになります。


・3rd: 星・落下傘・稲穂(1963-1964?)

上の黒ベレーと同じく、1963年3月に地理開拓局がLLĐBへと改編された際に導入されたと思われる、LLĐBとして最初の部隊徽章です。
この徽章はLLĐBのシンボルとして、特殊部隊キャンプの正門にあしらわれている例もあります。
ただしこちらも黒ベレーと同じく、クーデター後の1964年後半には廃止されます。(ただし一部で引き続き着用例あり)


▲カントー特殊部隊キャンプ[1963年]


・4th: 丸形/落下傘と翼(1964?-1975)

ジェム政権/タン大佐期のベレー廃止に伴い、1964年頃に新たに導入されたのが丸形のベレー章です。
こちらは暗緑色ベレーと共に、以後終戦まで長きに渡って着用されました。

また、刺繍のデザイン自体は丸形と同じものの、土台が空挺部隊のようにチューリップ型になっている物も存在しており、こちらは導入初期の短い期間のみ用いられた模様です。


まとめ


1964年はLLĐBの組織が切り替わる時期なので、ベレーも色・徽章ともに新旧入り混じっておりカオスです。
特に4thの丸形ベレー章の導入は濃緑色ベレーよりも早かったらしく、当時の写真やコレクター所有品では、旧式の赤や黒のベレーに新型の丸型ベレー章を付けている例(おそらく全て1964年中)がいくつか見られます。

▲Wade Krawczyk氏コレクション

▲Chuon Chuon Xanh氏コレクション


ちなみに先日の記事『黒ベレー』に載せたこちらのレプリカベレーは、タン大佐期に導入され、1963年の仏教徒危機においてLLĐBが国内の寺院などを襲撃した際に着用していたLLĐBの歴史の中でも一番評判が悪い時期の組み合わせになります。

  


2022年01月17日

トンプソンのスリングベルト

先日、久しぶりにビクトリーショウに足を運びました。
僕はまだ手持ちのマルイ製電動ガンM1A1『トンプソン』SMGに取り付けるスリングベルトを持っていなかったので、米軍M3スリング、 通称「Kerr Sling (カースリング)」を探したところ、メーカー不明のレプリカを安く買う事が出来ました。
そして家に帰ってさっそくこれを銃に取り付けようとしたのですが、カースリングというものを触るのは今回が初めてだったので、普通のスリングベルトとは構造が違い過ぎていて、どうやって取り付けたらいいか全然分かりませんでした。
なのでインターネットで取り付け方を検索。Youtubeに、本来のカースリングの取り付け方をレクチャーしてくれる動画がありました。



しかしメーカーが意図した上の取り付け方は必ずしも現場の兵士のニーズに合ったものではなかったらしく、米軍では実際にはそれ以外にも以下のように、現場で考案された様々な取り付け方が存在したと説明している人も居ました。

MP40's Modelguns Forum: https://mp40modelguns.forumotion.net/t140-how-to-fit-thompson-kerr-type-sling


こうして調べてみたら逆にどれが正解か分からなくなってきたので、僕のトンプソンの使用目的である、ベトナム軍における装着例を改めて見直すことにしました。
スリング部分が鮮明に映っている写真が少ない中で、比較的はっきり見える写真の一つが、こちらの陸軍ドゥックミー・レンジャー訓練センターで撮影されたもの(1961年7月撮影)。


これまた、上の米軍の例とは違う取り付け方。
なんと、片方のフックに、銃側のスイベルとスリング側のリングを一まとめにくっつけています。
これを再現すると、こんな感じ。



また下の海兵隊の写真(1962年撮影)でも、片方のスイベルにフックとリングを同時に留める方式は上のレンジャーの例と同じです。(前後は反対)



なお、レンジャーの例ではもう片方(ストック側)がどうなっているかは見えませんが、海兵隊の例ではもう片方(ハンドガード側)スイベルにはそのままフックのみ装着されています。
なのでおそらくレンジャーの例も下の写真のように、もう片方はフックのみ装着だと思われます。

▲レンジャーの例の再現。海兵隊の例はこれの前後反対

この取り付け方法ではスリングの長さを調整することはできず固定となりますが、少なくとも今回挙げたベトナム軍の2例では、実用上は固定長で問題ないと考えられていたのかも知れませんね。  


2022年01月16日

黒ベレー

黒ベレーは一つあると、徽章を付け替えるだけでいろんな設定で使えるので便利ですよという写真を撮りました。
なお徽章は全てレプリカで、ベレー本体はベトナム軍レプリカですらない謎の安物(英米式)を仏式に改造したものです。
でも安物の方が、徽章を付け替えるたびに穴=破損を増やす事になっても気にならないので、コスプレ的には使い勝手が良いのです。


先日載せた第1歩兵師団黒豹中隊

陸軍一般兵科および儀仗隊将校(1967-1975)
陸軍一般兵科将校ベレーは通常オリーブ色に金色徽章で、兵下士官用は黒ベレーに銀色徽章ですが、稀に将校でも黒ベレー(金色徽章)を着用している場合があります。また儀仗隊では将校も全員黒ベレーを着用します。

海軍帆船隊(ジャンクフォース)
※ジャンク=中国式帆船という部隊名ですが、さすがに実際に載るのはエンジン付きの小型木造船舶で、沿岸部で共産ゲリラの物資を輸送する漁船や輸送船を取り締まる海上警備部隊でした。

国家警察
写真の徽章はベレー章ではなく制帽用の帽章ですが、ベレーに制帽用を付けている例もちょいちょい見られます。

特殊部隊(1963-1964)
特殊部隊(LLĐB)は発足(当時の部隊名は第1観測隊)から1964年の再編まで主に赤いベレー帽を着用し、また1963-1964年にかけては黒も着用しました。そしてその後1964-1965年頃に、よく知られるダークグリーン色のベレー帽に切り替わります。

PRU(省探察隊)
PRUでは省ごとに独自のベレー章なども制定されていましたが、写真の『剣と翼』の徽章は全国的にメジャーなものなので、これを付けておけばだいたいOKだと思います。
  


2022年01月13日

フォクフン製ヒュエット

※2022年1月14日更新
2023年3月18日更新

昨年8月に予約したフォクフン(オーストラリア)製のベトナム陸軍ヒュエット/ブラッドケーキ迷彩服が紆余曲折を経て先日ついに到着しました。
通常売価650米ドル(僕が買ったときはセールで550ドル)とかなり強気なお値段ですが、サンプル写真の段階でかなり出来が良いのは分かったし、ずっと普通の裁断(大ポケット)ヒュエットが欲しいと思っていたので、ちょっと背伸びして買ってしまいました。
(ヒュエット/ブラッドケーキ迷彩服については過去記事『ブラッドケーキ/ブラッシュ迷彩』参照)


空挺部隊の徽章を縫い付け、1964~1967年頃の仕様にしました。胸ポケットを潰さないよう、一度ポケットを外してから胸章(天使の翼章)を縫い付けました。
さすが高級レプリカだけあって、生地、迷彩はパーフェクト。

落下傘降下の際に空気の侵入を防ぐガスフラップもちゃんと再現されています。

ただし肩当ては、背中側には無いのが一般的だったようです。(自爆工兵様から貴重な情報を頂きました。)


良いものを入手出来てテンション上がったので、部屋の中で自撮りしました。


ライフルは昨年作ったJAC製M16A1改造のAR-15(モデル601)です。


これまで使っていたパンツァーファウスト(香港)製との比較

▼パンツァーファウスト製

ベース生地の色がかなり明るい。それになぜかテーラー改造ジッパーポケット仕様のみ発売され、通常の官給(大ポケット)型は無かった。


▼フォクフン製






おまけ:空挺型上衣

今回フォクフンが再現した官給ヒュエット迷彩服上衣の裁断の事を、僕は『空挺型』と呼んでいます。
この空挺型はヒュエット迷彩服の裁断として1961年頃に採用されたもので、落下傘降下の際に空気の侵入を防ぐため前合わせが隠しボタンとガスフラップで二重に閉じられるようになっており、さらにポケットも隠しボタンの大きなものを備えていました。

また1965年頃に米軍1948年型ERDL迷彩(通称インビジブル)がベトナム軍で採用されると、このインビジブル迷彩服もその多くが空挺型の裁断で生産されました。
ただしヒュエット迷彩が落下傘降下を行う空挺部隊および特殊部隊にしか支給されなかったのに対し、空挺型インビジブル迷彩服は空挺・特殊部隊に加えて、落下傘降下を行わないレンジャー部隊や海兵隊にも支給されました。

空挺型インビジブル迷彩服を使用するレンジャー部隊(1966年)


  


2022年01月10日

インシグニア縫い付け

祝日の今日、予定していた事が急にキャンセルに。暇を持て余した僕がやる事と言えば、やっぱり軍服いじり。


黒豹中隊

フォクフン製レプリカその2、ベトナム陸軍第1歩兵師団『黒豹中隊(Đại Ðội Hắc Báo)』のベレー章とパッチを手持ちのベレーと迷彩服に取り付け。

▲ベレーはずいぶん昔から家にある裏地無しの謎のベレー

▲服は実物生地を再縫製したベトナム製リプロです。


長年、黒豹中隊のベレー章は、その存在は知られていたものの鮮明な画像が出回っておらず、(少なくとも僕の周りでは)詳細は謎に包まれていました。
ところが2019年に当時の鮮明な写真や、コレクター所有の実物の画像が広く知られるようになり、その翌年にはフォクフンがレプリカを発売するという驚くべき早さの展開がありました。



▲1971年のラムソン719作戦に際しラオス領内に出撃する黒豹中隊



②第1偵察中隊

次のイベントで着る予定の第1歩兵師団第1偵察中隊(Đại Ðội 1 Trinh Sát)の服も作り直しました。
(以前にも作ったけど、そのあと徽章を別の設定に付け替えていた)

▲服はヒューストン製TCUをベトナム軍2ポケット風に改造したものです。



▲1971年のラムソン719作戦に際しラオス領内に出撃する第1偵察中隊

黒豹中隊と第1偵察中隊はどちらも第1歩兵師団本部直属の精鋭部隊なので、よくベトナム人の間でも混同されますが、その役割は異なっています。
黒豹中隊はレンジャー部隊のような軽歩兵/コマンド部隊であり、まとまった戦力でヘリボーン強襲などを行います。
一方、第1偵察中隊はその名の通り、米軍LRRPに倣った偵察専門部隊であり、10名に満たないチーム単位で活動します。(過去記事『偵察中隊/ベトナム軍LRRP』参照)




③レンジャー部隊

これまでレンジャー部隊の設定で使う服は、上のヒューストン改やドラゴン製など移り変わってきましたが、このEA製で最後にしたいと思います。

  


2022年01月09日

コルト45ガンベルト

今日、オーストラリアのベトナム共和国軍専門レプリカメーカーフォクフン(Phuoc Hung)に注文していた品物が届きました。




その中の一つが、コルト45(M1911ピストル)用ウェスタン・ガンベルト。
このガンベルトはこれまで複数のメーカーからレプリカが販売されていましたが、その度に(優先度は低めのアイテムなため)買い逃していたので、今回ようやく入手することが出来ました。




やっぱ弾がむき出しで挿してあるとカッチョえぇ~!

しかし元祖コルト45のシングルアクションアーミーなら、カートリッジを一発ずつシリンダーに装填するので、このようにカートリッジを直接ベルトに挿して携帯する事に実用性があったでしょうが、M1911の場合はまずカートリッジをマガジンに入れる必要があるので、ベルトに挿している弾は完全に飾りですね。

なお上で「優先度は低め」と書いたように、このガンベルトは軍の正式な装備品ではなく、民間で販売されている物を将兵が個人的に購入したオシャレアイテムでした。

このような皮革製品屋や露店で売られていたようです。戦時中なので軍・警察向けのホルスターやナイフシースがたくさん売られています。

こうした民間製ホルスター/ガンベルトの中でも、特にウェスタンスタイルのガンベルトはM1911用および各種リボルバー用ともに、空軍での使用例が多く見られるタイプになります。
これはおそらく、陸軍や海兵隊では拳銃を携帯するのは限られた高級将校のみだったのに対し、空軍では航空機搭乗員全体が不時着時の自衛用として拳銃を携帯する事が多かった事、またカートリッジによる光の反射や泥汚れに気を使う必要が無かったためと思われます。

▲空軍H-34ヘリコプターのクルー。リボルバー用ウェスタン・ガンベルトを着用している。


▲式典に臨む空軍の高級将校たち。4人中3人がウェスタン・ガンベルトを着用している。
  


2022年01月06日

銀色ガスシリンダー

以前から気になっていたのですが、第2次大戦からベトナム戦争期の写真を見ていると、ガスシリンダー部分だけが銀色に輝いているM1ガーランド小銃を時々見かけます。

▲第2次大戦期のアメリカ陸軍および海兵隊

▲ベトナム戦争期のベトナム共和国軍

▲こちらのラオス王国軍のポスターでは、M1小銃のガスシリンダー部分がわざわざ銀色に塗り分けて描かれています。


これはいったい何なんだろうと思ってネットを検索してみたら、掲示板にその答えらしき書き込みがいくつかありました。

書き込みによると、M1小銃のガスシリンダーアッセンブリーはステンレス鋼でできており、その表面は他の鋼鉄製パーツのようなパーカライジング処理/リン酸塩被膜ではなく、耐熱性エナメル塗料によって黒く塗装されているだけでした。しかし当時の塗料は性能が良くなかったため次第に塗装が剥がれ、ステンレスの下地が丸見えになっている個体が数多く存在するそうです。

▲コレクター所有のビンテージM1小銃

なお全てのビンテージM1小銃が同じような状態になっているわけではなく、ちゃんと黒いままの物も多く存在しているので、生産時期やメーカーによって塗料や表面処理が異なっていたのかもしれません。


とまぁ、謎が解けたところで、こんなの簡単に再現できそうなので、さっそく手元のマルシン製ガスガンを分解。
ガスシリンダーアッセンブリーをMr.メタルカラーのステンレスで塗装しました。



組んでみると、まぁカッコいい!


組みなおす際にガスシリンダーを手で触ったらステンレス塗装が剥がれて黒い下地が出てきてしまいましたが、それがむしろ、自然に塗装が剥がれたリアルな感じになってくれました。(本来は黒塗料が剥がれてステンレス地が出てくるので逆ですが)

あとは、このガスガンのいじるポイントとして、ストックの色にちょっと不満があるので、オイルステインで塗りなおそうと思います。
オイルステインの場合、まず全体をペーパー掛けして今の塗装を全部落とす必要があるそうなので、けっこうな手間暇がかかりそう。
いずれやる気が出たら(あるいは辛抱たまらなくなったら)やろうと思います。
  


2022年01月02日

レプリカ海兵ベレー

※2022年1月8日更新
※2024年2月24日更新

先月アメリカのショップに注文していた3ピースベレーとベトナム海兵隊ベレー章のレプリカが年末に届いたのですが、それぞれ気に入らない部分があるので手直ししました。

まずはベレー章。1956年~1966年まで使われた、兵および下級下士官(二等兵~一等下士)用です。
(ベレー章の変遷については過去記事『ベトナム海兵隊のインシグニアについて:ベレー』参照)


しかしこのレプリカ、八角形なのはまだ許せるにしても、刺繍の中心がずれていやがる。
モール刺繍部分が良くできているだけに勿体ないです。


なので一旦バラして中の八角形の芯を外し、中心が合うように新しい円形の芯を入れて接着しました。


次にベレー本体ですが、こちらは1950年代から1960年代前半に多く用いられた3ピース構造で、全体的な雰囲気はとても良いのですが、なぜかサイズを絞るリボンが付いていません。


仕方ないので針金を曲げて作った紐通しで、スエットバンドの中にリボンを通しました。

こうして海兵ベレーが完成。


当時の着用例




おまけ:最近見つけたスタイリッシュ海兵

①いろいろと変

▲年代不詳なものの、階級章は1967年以降のタイプ

本来左袖に付ける海兵隊の部隊章(SSI)をベレーに付けてる中佐。しかもベレーは通常とは逆の左立て(英米式)。
さらに本来右胸ポケットに付けるはずの海兵隊胸章(1966年タイプ)も左胸という規定ガン無視状態。
さすが中佐ともなると叱る人が居ないのでやりたい放題といったところでしょうか。


②イキるとはこういう事

▲年代不詳なものの、徽章・ネームテープから1971年頃と推定

情報過多なので箇条書きにします。
・ベレー章は非公式な小型の金属製バッジ
・ベレー章の下に下士(伍長)の布製階級章。襟用か?
・ネームテープはベトナム語をフォネティックコード表記したもの(SƠN→SOWN)
・名前の後ろに大隊中隊番号の「3」(非公式だが稀に使用例あり)
・迷彩服はテーラーで大幅に改造された2ボタンポケット+ジッパーポケット

もうこれ以上のオシャレ海兵は見つからないと思います。
もしこれが現代の軍装コスプレだったら、僕は「こんなやり過ぎの改造軍服ありえない」と非難するでしょう。
それくらい、一枚の中にいろんな要素が濃縮されている写真でした。
  


2021年12月18日

TTA47

先日フランス人が売りに出していた中古のフランス軍迷彩服のレプリカが、長い旅を終えて今日我が家に届きました。
TAP(リザード)迷彩のTTA47戦闘服です。メーカータグはありませんが、おそらく香港のパンツァーファウスト製のようです。恥ずかしながら、今回この中古を買うまで、こういったレプリカが存在したことを知りませんでした。




TTA(Traité toutes armes=一般兵科)という名前の通り、基本的にはTTA47は一般部隊向けのカーキ単色生地で作られました。
一方、空挺部隊用のTAP47降下服は落下傘降下専用の被服なので、降りた後の行動や生活には不便だったようで、結局空挺部隊でも軽便なTTA47の需要が高まり、空挺部隊(TAP)用のリザード迷彩生地を使ったTTA47が第一次インドシナ戦争末期の1954年ごろに誕生します。
このTAP迷彩TTA47はその後も迷彩パターンの変化を伴いながらアルジェリア戦争まで使われましたが、今回入手したレプリカは、その中でも初期の第一次インドシナ戦争期のパターンを(少なくとも雰囲気は)再現したものです。
そしてこの服はフランス軍のみならず、フランス軍の傘下で発足したベトナム国軍の空挺大隊(BPVN)にも支給されており、その後も1960年代初頭までベトナム共和国軍の空挺部隊で着用されていました。

▲ベトナム国軍陸軍第5空挺大隊 [1954年7月, ハノイ]

▲ベトナム共和国軍陸軍空挺旅団[1961年8月, モクホア]



TTA47について

フランス軍の戦闘服はファッション業界でも人気なので、ファッション業界ではよく『M47』という名称が使われますが、フランス軍には『Mle(モデル)47』という名前の戦闘服が色々あるので、一口にM47/Mle47と言ってしまっては、どれの事かわからないのです。
なのでフランス軍ファンの間では、Mle47と称される各種戦闘服はまず、服の形状によって一般兵科(TTA)と空挺部隊(TAP)用の2種類に大別され、それぞれ『TTA47』、『TAP47』という通称が付けられています。
またさらにTTA47の上衣には、基本(4ポケット)の『一般型(modèle général)』と、熱帯地域向け(2ポケット)の軽量型(modèle allégé)』の2種類があります。
その上で、1952年には一般型・軽量型上衣ともにデザインの改良がおこなわれ、それぞれ『TTA47/52』と呼ばれています。
今回僕が入手したリザード迷彩TTA47の上衣は、この中のTTA47/52軽量型のカットです。


なお下衣に一般・軽量の区別はなく共通です。
また下衣は上衣とは別のタイミングで改良が行われており、初代の『TTA47』、1950年改良の『TTA47/50』、1953年改良の『TTA47/53』と三種類に大別されています。

▲TTA47下衣(まだ全種類イラスト化してないけど、違いと言えばウエストのボタンが隠れてるか露出か、およびその数くらいで、全体のデザインは変わりません。)


一応、うちに実物のTTA47(カーキ)があるので、写真を載せておきます。

▲TTA47一般型上衣

▲TTA47/52軽量型上衣

▲TTA47下衣


おまけ

12月12日にオープンしたラーメン二郎ひたちなか店に、オープンから5日遅れで行ってきました。


午前8:20に整理券をもらい、12:20に入店。
4時間待ちは今までで一番長いけど、整理券制のためマンガ喫茶で時間潰せたので苦にはなりませんでした。

 


麵量も豚の量もすごいなぁ。
美味しゅうございました。
  


2021年12月08日

ザーコップ:ベトナム海兵タイガーの分類

※2021年12月11日更新
※2021年12月18日更新
※2024年2月24日更新


ホアン・トゥウン 「海兵隊顕彰歌 (Bản Hùng Ca Thủy Quân Lục Chiến)


ベトナム海兵隊の制式迷彩であるザーコップ(Da Cọp)は、その派生であるタイガーストライプ迷彩に多くのファンがいることから、タイガーストライプの一種としてマニアによって研究・分類が行われてきました。
もちろんこのブログでも過去に何度かザーコップについて取り上げてきましたが、それらはザーコップという迷彩が最初に導入された時期についての考察であり、以後十数年の間に起ったパターン・カットの変遷についてはまだ取り上げていませんでした。と言うか、僕自身分かっていない部分が多くありました。
そこで詳しい先輩コレクターに教えを乞いながら、ザーコップについて自分なりにまとめを作ってきました。そしてある程度で発表できるボリュームにまとまったので、ここに記します。
なお、これらはあくまで、現時点で僕が持っている情報のまとめであり、内容は今後更新される可能性があります。
また、ご指摘や追加情報がありましたら、コメントからお知らせいただけると幸いです。



I. パターンの分類

現在、ザーコップ迷彩の分類の仕方は人によってバラバラなので注意が必要です。

パターンの分類(計4種)

・VMS
・VMS亜種
・VMD
レイトウォーラージ/タイランド


パターン+色で細分化した場合(計5種)

・1st: VMX/エクスペリメンタル
・2nd: ベトナムクラシック
3rd: トランジション
・4th: シーウェーブ
・5th: レイトウォーラージ/タイランド

※色は同系列の中でも生地の生産ロットや個体の色落ち具合によって様々なので、あくまで目安。
レイトウォーラージにはタイランド」という通称もあるが、実際には生地は韓国製、縫製はベトナムであったと考えられている。

この中で、これまでNCHSイリュージョンミリタリアがリプロを製作してきたのは4th / VMD
先日僕が民間のハンティングウェアから改造したのがレイトウォーラージです。


II. カットの分類

服のカット(裁断)についても、タイガーストライプのマニアたちがVNMCタイプ1~タイプ3と分類したり、ジョンソン式分類コードがあったり、さらに日本限定で『M59』という呼び方もあったりします。
しかしこれらのカットは実際には3タイプ以上あり、また早い段階で陸軍と共通となっているので、僕はそれらの分類法は使わないようにしています。
特にM59は資料の乏しかった時代に名付けられたもので、現在では2ポケット肩当て(エポレットなし)型の上衣は1958年製が確認されています。さらに肩当てとエポレット両方を備えるカットが登場するのはボンヒュエット(ブラッドケーキ)なら1961年頃ザーコップは1964年頃なので、M59という呼称は間違いだったことが確定しています。

そこで僕が使っているカットの分類・呼称は以下の通りです。

【上衣】

・軽量型TTA47/52: フランス軍のMle. 1947/1952 TTA "modèle allégé" (略して軽量型TTA47/52)戦闘服上衣のカット。1957年に開発された初代サーコップ迷彩はこのカットで生産された。


・2ポケット肩当て型: 1958年にザーコップ用として登場したカット。エポレットなし。60年代初頭からは全軍共通のカーキ作戦服にも用いられる。


・2ポケット迷彩服型: 1964年頃に登場した、肩当て型にエポレットを追加したモデル。ザーコップ以外にもERDL系などベトナム軍迷彩服の基本カットとなる。ただしカーキ作戦服には用いられない。


・4ポケット型: 1973年に登場した全軍共通の最終モデル。


・TCU型: 1973年に登場した、米軍TCUを模したカット。こちらも4ポケット型と同じく全軍共通。TCU型には複数のバリエーションが存在するが、海兵隊では特に隠しボタンタイプが多い。



『パターン66』と呼ばれるカットは、海兵隊のVMS(ベトナムクラシック)生地製が存在しているが、実際に海兵隊に支給されたかは未確認。


【下衣】

・TTA47: 上衣と同じくフランス軍TTA47戦闘服のカット


・ベイカー型: 1958年にザーコップ用として登場したカット。アメリカ軍のユーティリティユニフォームを模したベイカーポケット付き。60年代初頭からは全軍共通のカーキ作戦服や迷彩服にも用いられる。膝当てやウエスト調整ストラップは省略されている場合あり。


・ベイカー・カーゴ型:1960年代中盤に登場した、ベイカー型にカーゴポケットを追加したタイプ。ただし使われたのは主に陸軍のカーキやERDL系であり、海兵隊での使用例は少ない。


・カーゴ型: 1973年に登場した全軍共通の最終モデル。ベイカーポケットを廃止し、カーゴポケットのみとなる。カーゴポケットの形状はバリエーションあり。



【特殊な例:TAP47】

TAP47降下服(カーキ及びリザード迷彩)はもともと、第一次インドシナ戦争中にフランス軍およびその傘下のベトナム国軍空挺部隊で用いられた戦闘服でしたが、1960年代に入るとベトナム軍では、TAP47は実用する戦闘服ではなく、フランス時代から続く空挺部隊伝統のアイコンと見做され、晴れ着礼装として重用されるようになります。
こうして実戦で着用されなくなった事で、いつしかTAP47は「エリート部隊の礼装」と見做されるようになり、ついには歴史的にはTAP47と関係がない海兵隊も、礼装としてザーコップ迷彩版TAP47を新たに製作するに至ります。
(※第369海兵旅団長グエン・テー・ルウン大佐の着用例もありました。ただしこちらは個人で仕立てたものと思われます。
またその後、海兵隊でも陸軍のホアズン(ERDL)系迷彩服の使用が始まると、海兵隊でもアズン迷彩のTAP47が用いられている例があります。

▲仏軍TAP47/53のカット
ただしTAP47には複数のバリエーションがあり、TAP47型ザーコップがどのタイプだったかは判別できていない。

ベトナム軍で用いられたTAP47のバリエーションについては過去記事『いろんなTAP47』参照
  


2021年11月23日

キャンバスブーツのコントラクト/調達局コード

ベトナム戦争期に米軍がインドシナ諸国向け軍事支援物資として日本・韓国で生産させたキャンバスブーツおよびそのコントラクトナンバー(契約番号)について過去記事『キャンバスブーツ』に書きましたが、あの後先輩研究者たちと情報交換していく中で、僕がいろいろと勘違いしていたことがわかりました。
そこで今回はOlivier Bizet氏およびDavid Levesque氏に提供していただいた貴重なデータを基に、僕が改めて情報をまとめたものを発表します。

I. 極東向けコントラクトナンバー

1. DA-92
『DA-92』から始まるコントラクトはアメリカ陸軍の極東(Far East)向けコントラクトナンバーであり、同様にヨーロッパ向けには『DA-91』が用いられます。


そしてDA-92に続く三桁の数字が調達局コードとなります。(それぞれの調達局コードについては『DAJB』の項参照)
調達局コードの後ろの『FEC』は『極東司令部 (Far East Command)』の略で、1947年からGHQと同じ東京の第一生命ビルに本部を置き、1952年に市ヶ谷に移転。FEC自体は1957年に発展・解散しましたが、その後も極東地域におけるコントラクトには引き続きFECのコードが使われた模様です。

なおブーツではありませんが、FECとは異なる発注パターンのDA-92ナンバーも存在し、一例として米陸軍工学司令部(Army Engineer Command)が韓国で結んだコントラクトには『DA-92-800-ENG-xxxx』というコードも存在するそうです。


2. DAJB
1966年5月または6月の間に、極東向けコントラクトナンバーの様式はDA-92から『DAJB』に変更され、DAJBに続く二桁の数字が調達局コードとなります。

調達局コードの例】


II. キャンバスブーツのコントラクトナンバー実例


この表のように、キャンバスブーツは1966年前半までは日本製・韓国製両方が存在したものの、DAJBナンバーに切り替わった1966年後半以降は韓国製しか確認されていません。
キャンバスブーツの製造は1975年の第2次インドシナ戦争終結まで続いたと思われ、またこのブーツを使用したベトナム、カンボジア、ラオス各国の軍も年代が進むにつれて兵力(=ブーツの需要)を拡大させていたっため、最終的にはキャンバスブーツ全体の生産数のうち、かなりの割合が韓国製だったと考えられます。


おまけ

上の表で何度も社名が登場している韓国『Dong-Shin (Tong Shin) Chemical Industry (東信化學工業)』のキャンバスブーツ工場を映した当時のニュース映像がありました。


戦後日本が朝鮮戦争特需で経済を復興させたように、韓国にとってもベトナム戦争による特需の恩恵は計り知れないものがあったそうです。
ブーツに限らず、インドシナ軍事援助用の個人装備や被服(タイガーストライプ等)は60年代前半は日本製が多かったですが、その後韓国がベトナムに派兵を進めると、その見返りとして米軍からの発注は韓国へ集中していきました。
第2次インドシナ戦争終結後しばらく、韓国軍が(戦争が終わったせいで送り先がなくなった)大量の韓国製ARVNラックサックを自国で使用していたことを考えると、もしかしたらキャンバスブーツのデッドストックもまだ韓国国内に眠ってるかもしれませんね。
  


2021年11月21日

今度こそRTミシガン服完成

以前『RTミシガン営内・外出着』で作った服がなんだか気に入らず、作り直しました。
前回はEA製のベトナム軍ホアズン(グリーンリーフ)迷彩服をベースにしましたが、今回はより再現度の高いドラゴン製を使いました。

まず、再現目標とした当時の写真では、複数の人物が肩当無し、エポレットのみのタイプの迷彩服を着ています。
(この裁断は60年代末以降のベトナム軍野戦服でカーキ、迷彩ともに多く見られます。)



なのでドラゴン製迷彩服から肩当を撤去。ついでに袖を折り畳みやすいよう、肘当ても撤去して七分袖化しました。
いつもは横着してポケットを潰して縫い付けてる胸ポケット上のパッチも、今回はちゃんとポケットを一度剥がしてパッチを縫い付け、ポケットとして機能するようにしています。
またボタンは戦中同型の戦後ベトナム製ボタンに交換しました。

そして完成したのがこちら。



肩当を剥がした跡が残っていますが、これは何回か洗濯すると目立たなくなります。
胸のネームテープは、ブル族の人名』の時に決めた『BOP(ボプ)』です。
左胸の米軍SFパッチは、以前与野の大正時代祭りにシャム王国軍装で参加したタイの友人からもらったタイ製リプロです。実際にベトナム戦争当時米兵向けにパッチを作っていたバンコクの徽章屋が当時と同じ刺繍ミシンで作った物なので、滅茶苦茶リアルです。



おまけ:パッチとバッジ

 この記事で「肩当て」、「肘当て」と呼んでいる補強用の布は、本来の服飾用語では『パッチ(patch)』と呼ばれます。しかし軍服の世界では、服に直接縫い付ける布製の徽章もパッチと呼ばれます(こちらは『当て付ける布』の意から派生した使い方)。両方の意味の言葉が混在すると紛らわしいので、当ブログではあえて軍装マニア的視点で布製徽章のみを『パッチ』と呼称しています。
 なので、洋裁やってる人に「パッチを付けてほしい」と言う場合、それは「補強布を付けてほしい」という意味になるので、徽章を差し出しても意図が通じないでしょう。それを回避するには、『アップリケ』と言えば間違いなく通じると思います。ダサいけど(笑)
 また『バッジ(badge)』でも通じると思います。徽章業界においてバッジは金属製徽章を指す場合が多いですが、元々は『インシグニア(insignia)』同様、材質に関係なく単に『徽章』を意味する言葉だそうです。そういう意味では、布製も含めた徽章全般をバッジと呼ぶ服飾業界の方が、当の徽章業界よりもバッジという言葉を本来の意味で使っているというパラドックスですね。
  


2021年10月28日

外注ネームテープ縫い付け

刺繍屋さんに生地持ち込みで注文していたネームテープが届きました。
実は手元には4年前にまとめて作った分がまだ残っているので、今回自分用に作成したのは4枚だけです。


これらをネームテープ待ちだった服に縫い付け。

その1 ベトナム海兵隊最終型ザーコップ迷彩服(TCU型)第5海兵大隊仕様

民生ハンティングウェアから改造した服です。服の制作記はこちら

これで上着は完成しましたが、まだパンツは何も手を付けていません・・・



その2 ベトナム軍カーキ作戦服(2ポケット型)トゥドゥック歩兵学校予備士官候補生仕様


こちらは服本体は米軍のユーティリティーユニフォームで代用し、ボタンのみクラッシファイド製に交換してあります。
部隊章、襟章は自家製です。


残るRTミシガン用のテープですが・・・
単にテープを付け替えるだけでなく、ベースの服をEA製ではなくドラゴン製にしたくなってきたので、徽章を全て移植する事になると思います。
また服本体もいじりたい箇所があるので、作ったらあらためて記事にします。
  


2021年10月22日

謎のM16A1 w/ XM148

先日、海外の友人が、ベトナムにおける不可思議なM16ライフルの写真を見せてくれました。

写真その1

アドバイサーと思しき米兵がXM148グレネードランチャー付きのM16A1ライフルを持っていますが、なんとハンドガードがXM148専用の物ではなく、通常のM16A1のままです。
なお撮影された場所・年代等は不明ですが、ボートを運転しているベトナム兵の左胸に付いているパッチは情報学校のものです。


写真その2

上の写真と続けて撮影されたと思われるこの写真では、XM148に加えてE4Aらしきサイレンサーまで装着されています。こちらもハンドガードは通常タイプで、スリングベルトも同じように付いているので、もしかしたら銃自体が同じ個体かも知れません。
なお銃を持っているベトナム兵の肩のパッチは第4軍管区内の独立地方軍中隊です。(小区番号は不鮮明で判読できず)
なので撮影場所は第4軍管区(旧・第4戦術区)内のどこかという事になります。

この銃をイラストにすると、こんな感じ。


ベトナム軍(しかも二線級の地方軍)でサイレンサーが見られる事自体驚きですが、こちらは物さえあれば取り付けられるのでひとまず置いておくとして、とにかくハンドガードが謎過ぎます。こんな取り付け方は他に見た事がありません。
XM148を取り付けるために、わざわざハンドガードの下面を大きくくり貫いて穴を開けたとしか思えません。
たまたまグレネードランチャー本体だけ手元にあって、専用ハンドガードが無かったから、無理くり付けちゃったのでしょうか・・・。
なんかNKTで使用例のあった、M79グレネードランチャーを無理やりくっつけたXM177E2を彷彿とさせます。


なおベトナム軍では、XM148やM203といったアンダーバレルグレネードランチャー自体が一般部隊にはほとんど出回っておらず、その支給先は特殊部隊、特にNKT傘下のコマンド部隊に限られていました。
NKTはベトナム軍の特殊工作機関であるものの、1960年代を通じて米軍SOGによる特殊工作の実行部隊として活動しており、アンダーバレルグレネードランチャーを含む最近の火器・装備をSOGから直接支給されていました。
また下の写真のように、1970年代にはベトナム海軍LĐNN(フロッグマン部隊)でもまとまった数のXM148付きM16A1が見られますが、LĐNNは創立当初よりSOG指揮下のNKTシーコマンド部隊を構成していたため、このXM148もSOGがシーコマンドに対して支給した物を引き継いでいるのではないかと思われます。
(1973年の休戦に伴い潜入工作部隊であるシーコマンドは解散となったため、海軍シーコマンド中隊はそのままの装備で原隊であるLĐNNに復帰した)

国軍記念日のパレードにおけるLĐNN隊員(1973年6月19日サイゴン)
  


2021年08月26日

黒龍會&タイガー小話

※2021年8月28日更新



プチ撮影会の写真です。
設定は1973~1975年頃の総参謀部技術局作戦部(NKTコマンド黒龍)





僕の個人装備はĐLCH製ホアズン迷彩服と、自作40mm M381HE入りアムニションキャリングベスト、トイテックM203無理矢理装着マルイXM177E2です。


友人が着ている4ポケットタイガー(海兵隊のではなく、街で売ってるMDAPタイガーのコピー品を想定)も70年代っぽくてイカしてます。


ところで、ザーコップ/タイガーストライプパターンには数多くのバリエーションが存在している事が知られていますが、これらは迷彩パターンの違い以前に、まず誰が何のために作ったのかという大本の部分で以下の三種類に分類できます。

①ベトナム海兵隊制式迷彩
当ブログではベトナム名の「ザーコップ(虎皮)」と呼称。大別すると1957年から作られた1stから、1973年頃~1975年まで作られた5thまで5世代あり。

②MDAP発注品
当ブログでは「MDAPタイガー」と呼称。米軍がCIDGに支給するため、1962年にベトナム海兵隊のザーコップ2ndパターンのコピーをMDAPにより日本で生産させる。以後、MDAP発注先の日本・沖縄・韓国・台湾などで、下請けメーカーがコピーのコピーを繰り返しながら様々なパターンを生み出し、1970年代まで作られた。米国政府の予算で作られたので、支給時はちゃんとビニール袋にFSNとコントラクトナンバーが記載してある。

③民間製
当ブログでは「民製タイガー」と呼称。兵士の間でタイガー系迷彩が人気な事から、民間アパレルメーカー各社が自主的にタイガー系の迷彩を製作。ベトナムやタイなどの街の露店で販売された。

それぞれの支給先を見てみると、
①はベトナム海兵隊のみ支給。
②は公式な支給先はCIDGのみ。
③は官品(支給品)ではない。
ただし②③は、現地の米軍・ベトナム軍・その他FWMF(自由世界軍)兵士が自費で(あるいは部隊単位で)購入する事で着用された。

さて、それぞれのタイガー系迷彩の解説は世の中にたくさんあるので割愛して、今回はタイガー好きの間でもなかなか語られる事の無い、と言うかあまりにオリジナリティあり過ぎてタイガー系統と見なされていないベトナム戦争時代の③民製タイガーの亜種をいくつかご紹介します。
(画像は各種海外フォーラムから転載です)


通称「モンスター」パターン。笹の葉っぽい手の込んだ柄



通称「スターバースト」パターン。かなり自由なデザインになる



名称不明。もう完全に別物。



当時は被服に関しては大らか、かつ戦時中だったので、タイガーストライプを含む正式な軍服ではない民製迷彩服を着る事が米越軍ともに黙認されていたようです。
これを日本で例えるなら、自衛隊がAPEや寅壱の迷彩を買って着てる感じかな。
(ただし当時は迷彩服の支給はエリート部隊のみで、支給されない兵士は民製迷彩服を買うしかなかったので、全部隊に迷彩服が支給される現代とは事情が異なりますが)