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2023年07月15日

クメール空挺迷彩来る!

友人が個人でプロデュースしたクメール(カンボジア)軍空挺パターン迷彩服がついに完成し、我が家に届きました!
ちなみに世界限定4着のうちの1着です。
まさかこの超絶無名な迷彩服のリプロを手にする日が来ようとは。
この友人の狂気もとい熱意には敬服するばかりです。


この迷彩は1960年代にクメール王国陸軍で空挺部隊向けに採用され、その後のクメール共和国時代(1970-1975年)も引き続き着用された、第2次インドシナ戦争期のクメール空挺を代表する迷彩服です。
しかし、まだまだ研究が進んでいない分野なので、「クメール空挺パターン」と言うのは僕が勝手にそう呼んでいるだけで、世界的にはまだ呼び名も定まっていません。

▲クメール陸軍第1空挺大隊(1971年)

クメール空挺パターンは、ぱっと見、米軍のフロッグスキン(ダックハンター)迷彩に似ていますが、これは第1次インドシナ戦争期に、フランス軍およびその傘下で創設されたクメール王国軍空挺部隊がフロッグスキン迷彩を多用していた事に由来すると考えられます。
が、実はその、1952年に創設されたクメール軍初の空挺部隊である第1空挺大隊(1er bataillon de parachutistes khmers)の、第1次インドシナ戦争中(つまり1952~1954年の間)の写真が全然見つからないんです。
ベトナムやラオスの空挺部隊ならたくさん写真が残っているのに、なぜかクメール空挺だけは皆無。なんでぇ?
なので「第1次インドシナ戦争期のクメール王国軍空挺部隊がフロッグスキン迷彩を着用していた」というのは、あくまで同時期のベトナム・ラオスに倣った推測であり、当時の写真で確認した事ではありません。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ご一報ください。


  


2023年07月02日

怪しいタイ土産

先日一緒にサバゲーをやったタイの友人に、日本まで運んできてもらった品物です。

その1:タイの土方バラクラバ


別のタイの友人がタハーンプラーン装備用にコレクションしていたものを譲ってもらうことが出来ました。
このバラクラバは民生品であり、タイではよく、建設工事作業員がかぶっているそうです。
友人が「その辺の工事現場からかっぱらってきてあげようか?」と言ってきましたが、汗臭そうなので新品にしてくれとお願いしておきました。

タハーンプラーンでの使用例(1980年代)



その2:ラタン製ライオットシールド(籐盾)


ベトナム戦争期のベトナム軍・警察では、ライオット任務用に、昔ながらの籐(ラタン)製の盾が使われていました。
これを再現すべく、友人の伝手でタイのラタン家具職人に、盾の制作を依頼しており、この度ついに手元に届きました。


コレクター所有の実物を参考に、構造もほぼ完全に再現しています。


▲ベトナム国家警察野戦警察隊の使用例(1974年)
軍ではOD単色塗装も見られますが、どうせなら派手派手にしたいので、これから警察仕様の国旗柄に塗装していきます。

ちなみに友人はタイを発つ際、この盾を空港に持参し、普通に手荷物として預けたそうです。



さすがに空港の係員に「なんですかこれ?」と訊かれたみたいですが、「装飾品です」とだけ答えたら、スルーしてもらえたそうです(笑)
  


2023年07月02日

デンクロVer.3:ナムドン1964

昨年10月の第2回に引き続き、第3回目の『DANGER CLOSE 196X』に参加してきました。
今回はなんと、特殊部隊マニア以外には無名な、1964年の『ナムドンの戦い』がテーマだそうです。
CIDG好きな僕としては願ってもないチャンスなので、戦いの舞台となったナムドン特殊部隊キャンプに駐屯するCIDG部隊=ナムドンCSF(キャンプストライクフォース)役で写真撮影に混ぜてもらいました。


ナムドンCSFと、CSFを指揮するアメリカ軍特殊部隊(グリーンベレー)、ベトナム軍特殊部隊(LLĐB)



ベオガム迷彩がこれだけ一堂に会するのは、1964年という設定ならでは。いや眼福。
(一応ベオガムは1960年代末までCIDGで使われましたが、60年代後半に入るとタイガーストライプの方が圧倒的多数になります)


会場で、ナムドンCSFを構成していたのはどの民族だったのか?とご質問いただいたのですが、事前の勉強不足で回答する事ができなかったため、こちらで改めて考えてみました。
まず、CSFを擁する特殊部隊キャンプは、その地域に住む住民を家族丸ごとキャンプに移住させ、武装村落化したものなので、CSFの構成員はその地域を地元とする住民となります。(ベトナム北部出身のヌン族傭兵を除く)
なので、過去記事『あなたはなに族?』で記したように、キャンプのある場所と、その地域に住む民族の分布(1975年以前のもの*)を照らし合わせば、そのCSFを構成した民族はおおよその予想がつきます。

※1975年以降はベトナム共産党政権による少数民族への弾圧、強制移住などで彼らの住む範囲が大きく変わったため、民族分布図は1975年以前のものである必要があります。

1970年版の民族分布図と、キャンプ・ナムドンの位置


実際には、各民族の住む地域がこの図の通り綺麗に線引きされている訳ではないのですが、少なくともキャンプ・ナムドンのあった場所はカツ(KATU)族が多く住む地域である事が分かりました。


僕はこの日、イベントの大半を手作りのジャライ族衣装を着て過ごしたのですが、同じデガでもマレー・ポリネシア系のジャライ族と、モン・クメール系のカツ族では言葉も民族衣装も全然違うので、ナムドンの再現としては間違いでした。
同じ1964年の、別の特殊部隊キャンプ(プレイク周辺)とお考え下さい。

  


2023年06月06日

56-1式っぽくしたい その3

※2023年6月9日更新

前記事『56-1式っぽくしたい その2』で製作した56式風フロントサイトを塗装しました。

ビフォー



アフター



当初は横着して下地の塗料を落とさず、上からミッチャクロンマルチを塗って、その上にキャロムショットのメタルブルーコートで塗ったのですが・・・
メタルブルーコートが下地を溶かし、剥離剤を塗布した状態になってしまい大失敗。
しかたないのでワイヤーブラシで元の塗装を剥がそうとしましたが、全部は取り切れなかったので、メタルブルーコートは諦めてファイン・スプレーブラッセンで塗装しました。
残る改造箇所であるレシーバーは下地塗装が無いので、あらためてメタルブルーコートで塗りたいと思います。

※その後気が変わり、フロントサイトと同じくマットブラックに塗る事にしました。

つづく



おまけ

装備に何十万もかけるより、布団を綺麗に畳めるようになった方がよっぽど軍人らしく見えるという教えを与えてくれる動画。



  


2023年06月03日

56-1式っぽくしたい その2

前記事『56-1式(後期型)っぽくしたい』で作った部品が届いたので、マルイのAKS-47を改造していきます。
まずはフロントサイトから。

フロントサイト両サイドのガードをノコギリで切り飛ばす。



3Dプリンターで作った56式風フロントサイトガードとマズルを瞬間接着剤で取り付け。
また不要な穴をパテで埋める。



パテが硬化しないと次に進めないので、今日はここまで。



おまけ

地元にハラール屋台村八潮スタンという、パキスタンおよび各国ハラール料理フードコートがオープンしたので、友人と食べに行ってきました。

タンドリーチキン盛り合わせ



日替わりカレー(肉団子)と、マトンビリヤニ(炊き込みごはん)



おいしゅうございました!


  


2023年05月27日

ベトナム空挺の歴代戦闘服

※2023年8月17日更新
※2024年3月7日更新
※2025年3月24日更新
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2025年3月、この記事の内容を含む、
『ベトナム共和国軍の軍装1949-1975 Vol.1』を
発売しました。
歴代の被服・装備・軍装例をまとめたフルカラー図解です。
是非お買い求めください。



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ふと気が向いたので、ベトナム陸軍の華、空挺部隊の歴代の戦闘服をうちにある被服の写真でご紹介。
裁断は別として、迷彩はほぼコンプリートしております。


1948~1954年頃:フロッグスキン迷彩&ウィンドプルーフ迷彩
ベトナム陸軍空挺部隊の前身であるフランス軍インドシナ落下傘中隊(CIP)および、CIPから改変されたベトナム空挺部隊では、フランス人兵士と同様に、米軍フロッグスキン(ダックハンター)迷彩、英軍ウィンドプルーフ(ブラッシュ)迷彩、およびそれらを上下で組み合わせて着用していました。


▲上衣がセスラー製、下衣がリアルマッコイズ製レプリカ


1951~1953年頃:TTA47(一般型)
1951年にベトナム陸軍に空挺部隊が発足した当初は、迷彩服ではなく、フランス軍の全軍共通戦闘服であるTTA47が着用されていました。


▲TTA47一般型上衣の実物


1951~1953年頃:TTA47(軽量型)
TTA47の熱帯地域向け仕様であるTTA47軽量型上衣も、一般型とともに着用されました。


▲TTA47軽量型上衣の実物


1951~1954年頃:TAP47(カーキ)
ベトナム空挺にはフランス軍空挺部隊向けのTAP47降下服も支給されましたが、当初はリザード迷彩ではなくカーキ単色であり、また着用例も僅かです。



1953~1950年代末:TAP47(リザード迷彩)
1953年になると、リザード迷彩のTAP47系戦闘服が広く普及し、TTA47と置き換わってきました。
なお、この服が戦闘服として実用されるのは1950年代末までですが、第一次インドシナ戦争末期の最も戦闘が激しい時期に使用されたこのリザード迷彩TAP47は、空挺部隊の誇りを示す伝統の被服として珍重され、パレード装や個人の礼装として1975年まで着用され続けました。(過去記事いろんなTAP47』参照)


▲WPG製TAP47/52レプリカ


1954~1962年頃:TTA47(軽量型・リザード迷彩)
第一次インドシナ戦争末期の1954年には、リザード迷彩仕様のTTA47が登場し、1960年代初頭まで着用されました。




1961~1968年頃:ヒュエット迷彩
1961年にウィンドプルーフ迷彩を原型とするベトナム国産のヒュエット(ブラッドケーキ)迷彩服が登場し、以後リザード迷彩に代わって空挺部隊の標準戦闘服となります。なお空挺部隊の戦闘服に部隊章・胸章の縫い付けが始まるのは1964年末からです。




1964~1969年頃:ホアズン迷彩(初期ERDL/インビジブルリーフ)
米軍が1948年に開発したERDL迷彩は、当の米軍では不採用になった一方、その生地は軍事支援物資として1964年からベトナム軍に供与され、空挺・レンジャー・海兵隊・特殊部隊共通の迷彩服として大々的に着用されるようになりました。なお、ベトナムではその後に登場する色違いによる区別はなく、ERDL系迷彩は全てホアズン(Hoa Rừng)と呼ばれます。
また服の裁断はヒュエットと同じ(空挺型)が主でしたが、一部で海兵隊ザーコップ(タイガーストライプ)迷彩と同じ裁断(2ポケット迷彩服型)が採用され、これが陸軍での2ポケット迷彩服型被服の最初の例となります。




1967~1972年頃:ホアズン迷彩(66年型ERDL/グリーンリーフ)
米軍はかつて不採用としたERDL迷彩を1966年に改良し、改めて自軍の熱帯用戦闘服(TCU)に採用するとともに、ベトナムに送る迷彩服用生地もこの新型ERDL迷彩に切り替わりました。この新型ERDL迷彩は1967年以降ベトナム軍に広く普及し、インビジブリーフと置き換わりました。また裁断は最初から2ポケット迷彩服型が主です。


▲東京ファントム製レプリカ


1968~1975年:ホアズン迷彩(ベトナム国産ERDL/パステルリーフ/レンジャーエアボーンパターン)
それまでベトナム軍は迷彩服の生地を米国からの輸入に頼っていましたが、1968年になるとベトナム軍はERDL迷彩をコピー、配色を変更した国産迷彩服を採用し、以後この服が全軍共通の標準迷彩服として1975年の終戦まで多数着用されました。
なお裁断は当初は2ポケット迷彩服型でしたが、1972年には全軍の標準的な裁断として4ポケットやTCU型上衣が採用され、ホアズン迷彩もそちらに移行します。


フォクフン製2ポケット迷彩服レプリカ
  


2023年05月22日

5月のプチ撮影会

日曜日は仲間内でプチ撮影会を行ってきました。

その1:フランス植民地軍植民地歩兵連隊のベトナム兵 1950年代前半

これまで何度かフランス連合時代の歩兵部隊という設定で集まってきましたが、実は今まで特定の部隊を設定してきませんでした。
というのも、フランス連合軍はどの組織も(植民地軍も外人部隊もベトナム国軍も)皆同じフランス陸軍式の被服を着ており、また作戦中は部隊章を身に付けなかったので、軍装はほとんど同じだったからです。
そこで今回は作戦中だけでなく、略帽をかぶって植民地軍ですよアピールしてみました。
本当は階級章もあればなお良いんですが、この時代の仏軍の兵下士官級の階級章はレプリカが存在せず、自作も大変、と言うか材料が手に入らないので、まだ入手出来ていません。


合わせは上記のみで、あとはソロのコスプレです。

その2:ベトナム陸軍第3空挺大隊 1954年頃


こちらの写真がカッコ良かったので真似して撮ってみました。
でも後になって、TAP50ピストルベルトを付け忘れた事に気付く。完全再現ならず。トホホ・・・


その3:ベトナム陸軍空挺師団 1964-1967年頃



服は先日購入したĐLCH製のインビジブルリーフ(裁断は特注の空挺型)で、ライフルはJAC製M16A1改造のAR-15(コルト601)です。
この時期、空挺部隊の小銃はM1カービンやM1ガーランドが主でしたが、空挺部隊にはかつて1961~1962年にかけて米国より約400丁のコルト601が供与されており、この時の物が1960年代中頃まで散見されます。



  


2023年05月07日

ゴールデンウイーク撮影会

ゴールデンウィーク終盤の今日は、少人数ながら撮影会を行ってきました。
今回は全体としてのテーマは設けず、服装は各自自由です。



僕は二つの衣装を持っていきましたが、両方ともタイ王国のものです。

その1:タイ王国義勇連隊クイーンズコブラ(ベトナム, 1967-1968年)

タイ兵が二人に増殖しました。
当時のクイーンズコブラで着用されていた戦闘服は大きく分けて4種類あり、いずれも米陸軍の物をそのまま使用、もしくは同型のタイ国産品と思われます。
・ユーティリティ・ユニフォーム四角フラップ
・ユーティリティ・ユニフォーム五角ポケット
・トロピカル・コンバット・ユニフォーム1stモデル(露出ボタン)
・トロピカル・コンバット・ユニフォーム2ndモデル(隠しボタン・エポレットあり)
なお、将校は自費で仕立てた服を着ているので、上記以外にもかなりバリエーションがあります。


その2:タイ王国タハーンプラーン第513計画管理調整部隊(タイ東北部, 1980年代前半)


ついに一式着て写真を撮る事ができました。長かった~!
いや実際は、長年この計画をほったらかしにしてきて、それを今年になって一気に被服を揃えたので、その気になればとっくの昔に揃っていたのかも知れませんが・・・。
[過去記事]

ちなみに今回の写真は、とりあえず人様に見せれる最低限は揃ったので撮りましたが、被服・装備については今後もブラッシュアップしていくつもりです。
手始めにAKS47で代用しているライフルをちゃんと56-1式にしなくては。


もうすでに、次に写真撮りたい服の候補が渋滞しているので、できるだけ早く次回の撮影会を開催したいと思います。お楽しみに。
(こんなの見て喜ぶ人間なんか居るのかよと思う一方、このブログは毎日200~300回くらい閲覧されてるみたいなので、案外定期的に読んでくださる方が居る模様。有難いような気恥しいようなface10)
  


2023年04月22日

軍装の進捗

その1:ベトナム陸軍空挺部隊(1964~1968年頃)



前回紹介したĐLCH製インビジブルリーフ迷彩服の上衣(空挺型)にインシグニアを縫い付けしました。
部隊設定は空挺部隊にしましたが、服のカットが『空挺型』だから空挺部隊にした訳ではありません。
服のカット名は僕が勝手に名付けただけであり、また部隊によってカットが決まっていた訳でもありません。
なのでレンジャー部隊でも、インビジブル迷彩の上衣主に空挺型が使用されていました。


その2:ド・カオ・チ中尉の夏季勤務服(1951~1954年頃)


過去記事『作成中の服』で書いた、1950年代前半のド・カオ・チ大将(当時中尉)の夏季勤務服再現のために、ベトナム陸軍中尉の階級章(略式肩章)を自作しました。
当時の階級章は、ベトナム陸軍で最初に制定されたもの(1949~1955年)で、将校はフランス軍と同一のデザインでした。(過去記事『ベトナム陸軍の帽章・階級章』参照)


その3:タイ王国タハーンプラーン513部隊(1980年代前半)


すでに被服・装備類は最低限は揃っていますが、それに加えて、当時使用例の多い止血用ゴム管を56式弾帯のベルトに追加しました。



おまけ:ベトナム陸軍第3空挺大隊(1954年)

このカッコいい写真、昔から持っていたけど、よく見たら手持ちの物だけですぐに再現できる。
今度この軍装で写真撮ろっと。
  


2023年04月15日

祝リプロ・インビジブル発売

※2023年4月22日更新

先日、ベトナムのリプロメーカーĐồ lính Cộng Hòa(以下ĐLCH)が、恐らく史上初のベトナム軍インビジブルリーフ(初期ERDL/ホアズン)迷彩のリプロを発売しました。
正直、過去のĐLCHの迷彩服はただ値段が安いだけが取り柄で、僕の感覚では再現度は60~70点くらいのレベルだったのですが、今回のインビジブルは、宣伝写真を見る限りなかなか良さげでした。
しかし当時インビジブルのジャケットは主にヒュエット(ブラッドケーキ)と同じ空挺型で生産されたのにも関わらず、ĐLCHのラインナップには当時少数派である2ポケット迷彩服型(あるいは海兵型)しかありませんでした。
そこでĐLCHにお願いして特注で空挺型(風)を作ってもらっちゃいました。
そして届いた品がこちら。この日が来るのを20年近く待ってたよ!


これは良い!期待以上!
60点メーカーとか言ってゴメン!
迷彩の再現度的にはほぼ100点満点。
生地は相変わらず薄手のポリ混紡だけど、値段を考えれば十分。
生地に関しては、ĐLCH店主自身も努力したけど良いコットン生地が手に入らなかったと悔しがっていたので、今後良い生地が手に入れば改善するそうです。

また、当時インビジブルのパンツは空挺型ではなく普通のベイカー型が主だったと思いますが、今回はあえてベイカー型+カーゴポケット付きで作ってもらいました。



カーゴポケット付きはあくまで少数派ですが、使用例が一定数見られます。


僕はすでに以前、民生ハンティングウェアを改造した2ポケット型ジャケットベイカー型パンツインビジブル迷彩服を1セット作っているので、今回はまだ持っていなかったカーゴカーゴポケット付きをĐLCHに依頼した次第です。

早くインシグニアを縫い付けて写真撮りたいなface02
  


2023年04月05日

タハーンプラーン計画その3

前記事

その後いろいろ物が集まり、80年代タハーンプラーン計画が大詰めを迎えました。

まずは先日来日したタイの友人にお願いしてタイで買ってきてもらったNanyangのスニーカー。


タハーンプラーンは国軍ではなく、タイ王国政府に所属する独立した準軍事組織なので、必ずしも国軍と同じ装備を使っているわけではありません。特にタハーンプラーンが発足して間もない1980年代は、予算が少なかったせいか、民生品が多く使われていました。
その中の一つが、タイの靴メーカーNanyangのスニーカーです。特にこの白一色のものは、タイでは一般的に『学生靴』と認識されているそうです。また同じものが日本ではセパタクロー用として売られているようですね。
靴はこれ以外にも、中国軍キャンバスブーツ(解放靴)やアディダスのスニーカー、サッカー用スパイクシューズの使用例も多々見られます。


その2 サッカー用ソックス


当時のタハーンプラーンで多く見られるのが、パンツの裾をサッカー用ソックスに入れるスタイルです。
これも民生品なので様々な色の物が用いられましたが、僕はコスプレするにあたり、単に色合いがカッコいいからという理由で紫色を着用する事にしました。
しかしこの紫色が曲者で、意外な事に、どんなに探しても当時と同じ白3本線の紫ソックスが見つかりません。もう海外のAmazonとかも探したのに全然売ってません。
諦めかけたその時、とある日本のスポーツ用品メーカーのサイトに、僕が探し求めていたデザインの紫色ソックスを発見!しかしそのサイトには、個人への直販は行っていないと書いてありました。でも諦めきれない僕は無理を承知でその会社に頼み込み、なんとか売ってもらうことに成功しました。
ご迷惑をかけてはいけないので会社名は控えさせていただきますが、感謝の念に堪えません!(先方も、なぜそこまで紫色にこだわるのか不思議だっただろうな)


その3 ファーストエイドドレッシング(包帯)


これはまだ確定ではないのですが、当時の写真にはファーストエイドドレッシングと思われるOD色のビニールに包まれた長方形の物体を、中国軍の56式弹匣袋の紐にテープで取り付けている例が多数見られます。
このドレッシング、売ってれば数百円で買える物なのに、なかなか在庫が見つかりませんでした。困って友人に相談したところ、友人から90年代の米軍の物を譲ってもらいました。ありがとう!

理想のスタイルにかなり近づいてきました。


ちなみに当時のタハーンプラーンは、中国に支援されたタイ共産党軍の討伐に投入されていましたが、一方で使用する火器・装備は56-1式自動歩槍(AKS)、56式機槍(RPD)、56式火箭筒(RPG-2)など、中国製の物が制式装備とされていました。なかなか矛盾していますよね。
(その後1990年代に入ると陸軍と同じM16A1やHK33の配備が進みます)
  


2023年04月02日

春のインドシナ撮影会

先週末予定していた撮影会が雨で延期となり、今日ようやく開催できました。
こうしてみんなで集まって軍装で撮影を行うのは去年の10月以来半年ぶりです。
そう考えると、この遊びができる期間って結構短いんですね。

今回のテーマは第一次インドシナ戦争におけるフランス連合軍ベトナム人部隊の空挺および歩兵部隊です。
(所属が植民地軍でも外人部隊でもベトナム国軍でも、軍装はほとんど変わらないので、細かい部隊設定はしていません)

①空挺部隊(1954年頃)


②歩兵部隊(1950年頃)

やはり4人も居ると、写真にした時に絵になりますね。
良い写真が沢山取れて大満足です。
前日の土浦駐屯地に続き、久しぶりに遊び倒した二日間でした。
  


2023年03月11日

タハーンプラーン計画その2


上着に続いて、タハーンプラーン用のネッカチーフを作りました。材料費300円。


まだ一式は揃ってないけど、前回作った上着と合わせて自撮り。



僕が再現しようとしているのは1980年代のタハーンプラーンPCCS513(第513計画管理調整部隊)でして、その513部隊では隊員のほとんどがこの黒服と黒/赤のネッカチーフを着用しています。

PCCS513

一方、同じタハーンプラーンでも、第514部隊では、隊員は陸軍と同じタイ国産リーフ迷彩服を着ており、またネッカチーフは無しか、もしくは緑単色を着用している写真をよく見ます。

PCCS514

という事は、黒/赤ネッカチーフは513部隊の制服/識別色という事なのかな・・・。
まだ調べが足りないので結論は出さないでおきます。

  


2023年03月05日

王妃陛下の毒蛇

推奨BGM:クイーンズコブラ行進曲



先日の記事『作成中の服』の中で紹介した、ベトナム派遣タイ陸軍義勇連隊クイーンズコブラ仕様の戦闘服が完成しました。.

服はセスラー製米軍TCU(1stパターン)をそのまま使っています。

そもそもクイーンズコブラを始めようと思ったのは、2018年にタイのリエナクター仲間と軍装撮影会をした際、クイーンズコブラの部隊パッチをプレゼントされたのがきっかけなので、あれから5年かけて、ようやく形になりました。

▲2018年、バンコクのナショナル・メモリアルにて

クイーンズコブラ連隊はベトナム派遣FWMF(自由世界軍)の一員として臨時に編成されたタスクフォースであり、またFWMFの盟主であるアメリカ軍(第9歩兵師団)の作戦指揮下に組み込まれたため、その徽章類は通常(国内)のタイ軍とは大きく異なります。
以下は今回の為にタイで購入したり、友達からもらったり、オーダーメイドしたクイーンズコブラ連隊仕様の徽章類です。

1. 帽章:タイ陸軍
2. 兵科章:歩兵科
3. 部隊章第21歩兵連隊*1
4. 国籍タブタイ王国
5. 部隊章アメリカ陸軍第9歩兵師団
6. 部隊章クイーンズコブラ連隊
7. 近衛徽章: シリキット王妃栄誉章*2
8. 軍種章:タイ王国陸軍
9. 名札:パヤック(友人に命名してもらいました)

※1:クイーンズコブラはタスクフォースであるため、原隊(この場合は第21歩兵連隊)部隊章も佩用される。
※2:第21歩兵連隊は近衛部隊(王妃近衛)であるため、シリキット王妃栄誉章を佩用する。ちなみにクイーンズコブラの「クイーン」もシリキット王妃(現・王太后)陛下を意味している。



また、タイ軍では布製徽章類はジグザグ縫いで縫い付けられる事が多い(全てではない)ので、そこも再現しています。

これは上手く縫えた部分であって、他の部分では僕の技量不足で縫い目が汚くなっちゃったのもありますface07

ともあれ、これで被服・装備はほとんど揃いました。
あと足りないのは・・・プラクルアン(仏像・高僧像のお守り)。


現時点で友人からお土産としてもらった分の3個持ってますが、プラクルアンは「タイ軍のボディーアーマー」と揶揄されるくらいジャラジャラ首に下げられているタイ兵のソウルアイテムなので、少なくともこの倍は欲しいです。

  


2023年03月01日

80年代タハーンプラーン計画

※2023年3月15日更新

前回の記事で3着作成中と書きましたが、さらにもう一着、作成が進みました。

素材はアルファ社の米軍ユーティリティ裁断の黒い服。


これのポケットを四角く改造して、2015年にタイの友達にもらったパッチを縫い付け。


1980年代のタイ王国タハーンプラーン部隊(陸軍の傘下にある準軍事国境防衛組織)という設定です。

ベレーは現在タイ売っているPX品の陸軍/警察ベレーを使用。



現状で全体の7割くらいは揃いました。


ライフルは中国製の56-1式(プレス加工タイプ)が主だったようですが、当面はAKS-47で代用するつもりです。

僕はこの20年くらい、「1946-1975年のインドシナ諸国」と範囲を決めて軍装を集めてきましたが、今回この枠を初めて超えて、80年代のタイ軍装に挑戦しています。
僕にとってはかなり新しいチャレンジなので、久しぶりにウキウキしています。
早く一式そろえてタイの友人たちに写真を送ってやりたいです!
  


2023年02月15日

作成中の服

こう寒いと外で撮影会をする気にならないので、冬は物品収集に専念してます。
その中で、まだ一式は揃っていませんが、完成する目途が立った軍装を予告的に公開。

①ベトナム陸軍第1空挺大隊 副大隊長ド・カオ・チ中尉 夏季勤務服(1951-1954年)

▲左から2番目がド・カオ・チ


僕の一番好きなベトナム軍人であるド・カオ・チ大将の中尉・第1空挺大隊時代の夏季勤務服を作成中。
上着は米軍半袖チノで代用。第1空挺大隊の徽章・ベレー章は過去記事ステホ10の時に揃えてあるので、あとは階級章を自作すればすぐにできそうです。


②ベトナム陸軍特殊部隊(1963-1964年)



発足当初の特殊部隊(LLĐB)の軍装です。
LLĐBはジエム総統直属の特務機関として仏教徒危機で学生とかお坊さんをボコボコに殴ってたら、ミン将軍のクーデターでLLĐB司令タン大佐はジエム総統もろとも暗殺発足から1年経たずしてLLĐB本部は解体。翌年には新体制下で再スタートできたけど、ベレー・徽章類はその時変更となったので、この黒ベレーはとても短命に終わったスタイルです。(過去記事『LLĐBのベレー』参照)
服は民生ハンティングウェアですが、60年初頭の特殊部隊は同型の米国製ハンティングウェアが多数使われていたので、無改造で使うものありだと思っています。


③ベトナム派遣タイ陸軍義勇連隊クイーンズコブラ(1967-1968年)




タイの刺繍屋にオーダーしていた徽章一式がようやく完成したと知らせが来ました。ここまでの道のりは長かったんですよ。
バンコクにベトナム戦争時代に実際にこれらの徽章を作っていた刺繍屋があるので、そこに頼もうと思っていたら、店主が高齢で、コロナが怖くて店を閉めてしまったそうなんです。なので店を探すところからやり直し。
幸いタイの友人がバンコクではない他の街に古い刺繍屋を見つけてくれたので、そこに頼むことが出来ました。到着が待ち遠しい!

  


2023年01月22日

癸卯年元旦節

※2023年1月24日更新

黄暦(中国暦)元日の今日、友人たちとアオザイを着てベトナム寺に初詣してきました。
このお寺は、僕が毎年初詣に行っているのとは別の場所で、今回初めて来ました。


新年に相応しい、良い写真が撮れました。

また、こちらのお寺でもブンをご馳走になりました。


お寺なので肉類は一切入っていません。
肉っぽく見えるものは豆腐を加工したもので、ハムも(おそらく)大豆から作られています。
精進料理は日本にもありますが、ベトナムのは肉を再現しようとする努力がすごい。
本当は食いたくて仕方ないんでしょうね(笑)


ちなみにベトナムの十二支は日本や中国とも少し違くて、今年はネコ年。
ベトナムではテトを祝って、その年動物の巨大な像が全国各地に設置されますが、同時に毎年、ベトナムのネット民の間で開催されるのが「残念な十二支像選手権」。
だいたいの動物は、とても精巧か、そうでなくてもまぁまぁの出来映えなのですが、中には「どうしてこうなった」と言いたくなる残念な像が毎年必ず出現します。
今年もいくつもの作品がノミネートされましたが、その中で今年断トツで一番キモいのが、サイゴン北東部の複合テーマパーク スォイティエン(Suối Tiên)に設置されたこの像


さすがにネットの話題をかっさらって大騒ぎになったようで、設置からわずか3日後には目の部分だけ差し替えられました。


テーマパーク側は「最初から目は二種類用意していた」と弁明しているそうですが、それはそれで意味不明な気もします。

その他のノミネート作品はこちら
Thanh Niên
  


2023年01月21日

オンドーごっこ

黄暦大晦日は、おうちでオンドー(Ông đồ)のコスプレ。


このために100均で筆と墨汁を買ってきました。字が下手なのは許して・・・

オンドーとはベトナムにおける伝統的な書道家・儒学者・教師で、オンドーの書いたおめでたい書を人々が買い求めるのがベトナムの新年(テト)の風物詩となっています。

しかし実際のオンドーは老師といった感じの髭を蓄えた老人なので、こんなに若い人はいません。
なのでスマホアプリのFaceAppで老人化!

なんかベトナムと言うよりテュルクっぽい顔になった。

オンドーの書は、20世紀後半以降クォックグー(ローマ字)表記も広く用いられるようになりましたが、伝統的な漢字もまだまだ現役です。
逆に言うと、現代のベトナムでは、オンドーくらいしか漢字を読むことも書くことも出来ません。
なのでほとんどのベトナム人は、20世紀前半より前に書かれた(漢字およびチュノムで書かれた)自国の書物を理解することが出来ません。
クォックグーの普及による識字率の向上は確かに有益ではあったものの、同時にこの漢字文化の断絶は、文化面では本当にもったいない事だと思います。
ベトナム国内でも識者の中にはそういう声もあるようで、韓国同様、ベトナムでも漢字学習を再考する機運は少しずつ高まっていると聞きます。
明治時代のファン・ボイ・チャウみたいに、日本人とベトナム人が漢字で筆談できる日がいつか・・・来ないだろうけど、来ることを夢想してしまいます。


それでは皆様良いお年を。
  


2022年11月13日

野戦警察の迷彩ヘルメット その2

その1で筆塗りしたものがこちら。


これをペイントリムーバーで全部洗い落としてやり直し。
前回は筆塗りだったけど、今回は紙で迷彩模様のステンシルを作ってエアブラシで塗っていきます。


その結果がこちら。


ベースの色をミスりました。これでは緑色過ぎます。
でも迷彩模様は悪くないので、ステンシル作戦自体は成功。

そして、また塗装をやり直したのが、こちら。


ようやく自分的に合格点に達しました。このウグイス色を出すのが難しかったんです。

今回見本にしたヘルメットはこちら。




  


2022年11月07日

野戦警察の迷彩ヘルメット その1

ベトナム国家警察野戦警察隊では、迷彩服と同じホアマウダット(クラウド)迷彩柄の塗装が施されたヘルメットの使用例が散見されます。

色合いは迷彩服同様、茶系から緑系まで様々だったようです。

前々からこの迷彩ヘルメットを作ろうと思っていたのですが、つい最近押し入れから、買ったきり使っていないM1系ヘルメット(北欧のどっかの国)が出てきたので、これを素材に塗る事にしました。

まずは手持ちの迷彩服を見ながら、模様を鉛筆で下書き。



そしてMr.カラーで塗るとこんな感じ。今回は僕の好みで緑系に塗装しました。


う~ん、なんか気に食わない。
僕は迷彩服のパターンを見本にしたので5色使ったけど、写真の例をよく見ると4色(うち茶色は1色)しか使ってない!?

やめだ、やめ。
こうなったらペイントリムーバーで全部落としてやり直します。

つづく