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2021年11月03日

続・射撃技能章

以前、『調査中のベトナム軍インシグニア ①射撃技能章』で、謎のまま終わっていた射撃技能章のデバイスの正体が分かりました。

意外な事に、海外のコレクターの人が実物を持っていたので、画像を見たら一目瞭然。


真ん中に付いていたのは武器のミニチュアではなく、銃器の種類を記したバー(デバイス)でした。
またこのサンプルから、射撃技能章は少なくとも6種あったようです。

M.1: M1小銃
ĐẠI-LIÊN: 機関銃
TRUNG-LIÊN: 軽機関銃
TIỂU-LIÊN: 自動小銃
CẠC-BIN: カービン
SÚNG-LỤC: 拳銃

またこのサンプルの中にはありませんが、もしかしたらグレネードランチャー(PHÓNG LỰU)や無反動砲(KHÔNG GIẬT)、対戦車ロケット(CHỐNG TĂNG)等のバーも存在したかもしれませんね。


さらに別の研究者からの情報によると、ベトナム軍の射撃技能章には、以下の3つの世代があるとの事です。

1st (1960年代初頭の短期間のみ?): 黒台布、ピストルのミニチュア
2nd (1960年代初頭-1963年9月): 星無し、ライフルのミニチュア
3rd (1963年9月9日-1975年):星付き、銃器種名のバー




しかし前回の記事に載せたように、星あり(3rd)なのに、2ndと同じくライフルのミニチュアが付いている例も存在しており、本当にこの分け方で正しいのかどうかは、まだ確証が得られていません。

▲上の世代分けに従うと、右は2ndだが、左は謎。



  


2021年11月02日

まったりお食事&撮影会

※2021年11月9日更新


もう10月も終わっちゃいましたか。
よく歳を取ると一年過ぎるのが早いと言いますが、今年は特にそう感じます。

以下、10月末にやった撮影会の写真です。

その1 クメール陸軍 猟兵大隊(1970年)
クメール共和国(=ロンノル政権)成立、カンボジア内戦突入直後の1970年頃の軍装っぽくしました。
すでにアメリカから供与されたM1ヘルメットやタイガーストライプを着用していますが、武器や個人装備はクメール王国(=シハヌーク政権)から使っている中国・ソ連製です。





その2 ベトナム陸軍 国境レンジャー大隊(カンボジア領内 1970年)
同じく1970年、それまでベトナム陸軍特殊部隊(LLĐB)の傘下にあったCIDGキャンプストライクフォースが、LLĐBの解散に伴い陸軍レンジャー部隊(BĐQ)に編入され、『国境レンジャー(BÐQ Biên Phòng)』へと改名されます。
この改編と並行して、キャンプストライクフォース/国境レンジャーは1970年4月から開始されたカンボジア進攻作戦へと投入され、カンボジア領内でベトナム共産軍やクメールルージュ(カンボジア共産軍)と戦いました。
この当時、国境レンジャーの軍装はCIDG時代の物を引き続き使っていましたが、その後すぐに政府軍からホアズン(ARVNリーフ)迷彩服などが支給され、見た目は一般の(キン族で構成された)レンジャー大隊と同一になります。さらに1973年には『国境レンジャー』という名称も廃止され、正式にレンジャー部隊の一部となります。

服は上のFANKと使いまわし。だって実際同じもの着てるんですもん。


その他 ベトナム陸軍第7歩兵師団、レンジャー、人民自衛団、国家警察
僕は上の2つしか着ませんでしたが、友人たちはいろいろ着ていた(と言うか前日までテーマを決めていなかった)ので、みんなの写真を加工。





おまけ 背景合成
僕は行っていないイベントだけど、友人たちの写真を加工たので、ついでに公開。
空軍付き憲兵隊の再現はおそらく日本初じゃないでしょうか。



  


2021年10月28日

外注ネームテープ縫い付け

刺繍屋さんに生地持ち込みで注文していたネームテープが届きました。
実は手元には4年前にまとめて作った分がまだ残っているので、今回自分用に作成したのは4枚だけです。


これらをネームテープ待ちだった服に縫い付け。

その1 ベトナム海兵隊最終型ザーコップ迷彩服(TCU型)第5海兵大隊仕様

民生ハンティングウェアから改造した服です。服の制作記はこちら

これで上着は完成しましたが、まだパンツは何も手を付けていません・・・



その2 ベトナム軍カーキ作戦服(2ポケット型)トゥドゥック歩兵学校予備士官候補生仕様


こちらは服本体は米軍のユーティリティーユニフォームで代用し、ボタンのみクラッシファイド製に交換してあります。
部隊章、襟章は自家製です。


残るRTミシガン用のテープですが・・・
単にテープを付け替えるだけでなく、ベースの服をEA製ではなくドラゴン製にしたくなってきたので、徽章を全て移植する事になると思います。
また服本体もいじりたい箇所があるので、作ったらあらためて記事にします。
  


2021年10月22日

謎のM16A1 w/ XM148

先日、海外の友人が、ベトナムにおける不可思議なM16ライフルの写真を見せてくれました。

写真その1

アドバイサーと思しき米兵がXM148グレネードランチャー付きのM16A1ライフルを持っていますが、なんとハンドガードがXM148専用の物ではなく、通常のM16A1のままです。
なお撮影された場所・年代等は不明ですが、ボートを運転しているベトナム兵の左胸に付いているパッチは情報学校のものです。


写真その2

上の写真と続けて撮影されたと思われるこの写真では、XM148に加えてE4Aらしきサイレンサーまで装着されています。こちらもハンドガードは通常タイプで、スリングベルトも同じように付いているので、もしかしたら銃自体が同じ個体かも知れません。
なお銃を持っているベトナム兵の肩のパッチは第4軍管区内の独立地方軍中隊です。(小区番号は不鮮明で判読できず)
なので撮影場所は第4軍管区(旧・第4戦術区)内のどこかという事になります。

この銃をイラストにすると、こんな感じ。


ベトナム軍(しかも二線級の地方軍)でサイレンサーが見られる事自体驚きですが、こちらは物さえあれば取り付けられるのでひとまず置いておくとして、とにかくハンドガードが謎過ぎます。こんな取り付け方は他に見た事がありません。
XM148を取り付けるために、わざわざハンドガードの下面を大きくくり貫いて穴を開けたとしか思えません。
たまたまグレネードランチャー本体だけ手元にあって、専用ハンドガードが無かったから、無理くり付けちゃったのでしょうか・・・。
なんかNKTで使用例のあった、M79グレネードランチャーを無理やりくっつけたXM177E2を彷彿とさせます。


なおベトナム軍では、XM148やM203といったアンダーバレルグレネードランチャー自体が一般部隊にはほとんど出回っておらず、その支給先は特殊部隊、特にNKT傘下のコマンド部隊に限られていました。
NKTはベトナム軍の特殊工作機関であるものの、1960年代を通じて米軍SOGによる特殊工作の実行部隊として活動しており、アンダーバレルグレネードランチャーを含む最近の火器・装備をSOGから直接支給されていました。
また下の写真のように、1970年代にはベトナム海軍LĐNN(フロッグマン部隊)でもまとまった数のXM148付きM16A1が見られますが、LĐNNは創立当初よりSOG指揮下のNKTシーコマンド部隊を構成していたため、このXM148もSOGがシーコマンドに対して支給した物を引き継いでいるのではないかと思われます。
(1973年の休戦に伴い潜入工作部隊であるシーコマンドは解散となったため、海軍シーコマンド中隊はそのままの装備で原隊であるLĐNNに復帰した)

国軍記念日のパレードにおけるLĐNN隊員(1973年6月19日サイゴン)
  


2021年09月29日

ブル族の人名

 以前、EA製のベトナム軍グリーンリーフ迷彩服リプロをベースに、こちらのNKTコマンド雷虎 CCN RTミシガン隊員が着ている派手派手営内着を再現しました。(過去記事『RTミシガン営内・外出着』)


 この時、右胸には何の気なしに、僕がいつも使っているベトナム人(キン族)名である「Thanh」と刺繍されたネームテープを縫い付けました。
 しかしその後、米軍MACSOG TF-1AE(SOG-35 CCNの後継部隊)が作成した当時の資料から、このRTミシガンはブル族で構成されたチームであった事が判明しました。

 なので名前もブル族のものでないと不自然なので、ネームテープを作り直す事にしました。しかし『デガ(モンタニヤード)の人名』に載せたように、デガの中でも多数派のジャライ族やラーデ族なら既に人名のサンプルを集めてあるのですが、ブル族については把握できていなかったので、一から調べる事になりました。
 するとその中で、思いもしなかったブル族の複雑な境遇を垣間見る事となりました。

 まず、古来よりブル族の人名には姓が無く、名のみで構成されていたそうです。しかし1946年、ベトナム領内に住むブル族に大きな転機が訪れます。
 その前年の1945年9月、第2次大戦における日本の敗戦を機に、ホー・チ・ミンを首班とするベトミンは日本の傀儡政権であるベトナム帝国政府を転覆させ、ベトナム民主共和国の独立を宣言しました。しかし間もなく、インドシナの再統治を目指すフランス軍と、それを支援するイギリス軍、連合国の指揮下に入った日本軍が合同でコーチシナ地方(ベトナム南部)からベトミンを駆逐。フランス軍はそのままベトミン政府の首都であるハノイに向けて北進し、インドシナ全土の再占領を目指しました。

 この時期、ベトナムに住む全ての人々は、多大な犠牲を覚悟の上でフランス軍と戦いベトミンによってもたらされた「独立」を守るか、あるいはフランスに恭順して穏便にフランス連合の枠内での自治権拡大を目指すか、という非常に苦しい選択を迫られました。
 ベトナム人と一口に言っても、それぞれの立場は生まれた場所や環境で大きく異なっており、民族の悲願である独立のためベトミンの闘争に参加する者がいる一方で、ベトミン政府によるテロ・弾圧の対象となった公務員や地主、カトリック信徒など、なんとしてもベトミン政権を阻止したい人々も多く居ました。
 その結果、ベトナム社会はベトミン(共産)派と反共派に大分裂し、以後30年間に渡って一千万人超の犠牲者を出す壮絶な内戦へと突入します。

 そしてこの分裂は多数派のキン族だけでなく、少数民族の中でも起こりました。中でもブル族はこの分裂の結果、一定数の人々が、元々は持っていなかった「姓」を名乗るようなったという特殊な例です。
 事の真相は不明なものの、現ベトナム(共産党)政府のクアンチ省フウンホア地区人民委員会の公式サイトによると、ブル族は1946年初頭までに、その一定数がベトミン派に与していました。そしてホー・チ・ミンとベトナム労働党に「忠誠を誓った」とされる人々は、1946年1月6日のベトナム民主共和国国民議会総選挙において、(多数派のキン族を基準に制度設計されたため)投票用紙に姓を書く必要が生じたため、ホー・チ・ミンの姓「Hồ(ホー)」を自らの姓として記入したのです。そしてこれ以降、ベトミン派のブル族はホー姓を名乗るようになったそうです。
 同サイトには、1947年のフランス軍への攻撃の際に戦果を挙げベトミン軍のブル族兵士として、以下の名前が紹介されています。

・Hồ Ray
・Hồ Tơ
・Hồ Hăng
・Hồ Thiên
・Võ Tá Khỉn
・Hồ Cam
・Hồ Hương

出典:https://archive.ph/inUA (記事リンク切れのためアーカイブ)

 そして現在のブル族についても、僕がネットを検索した限りでは、ホー姓の人物しか見当たりませんでした。(ベトナム労働党/共産党政権下では70年近くに渡って、「融和」という名目で少数民族文化の破壊、キン族への強制同化政策が行われているので、姓だけでなく名もキン族風の人しか見つかりませんでした。)


 一方で、当時はベトミンを支持しないブル族も数多く存在しており、無論彼らが敵の首魁であるホー・チ・ミンの姓を名乗る事はありませんでした。
 彼ら反共派ブル族はその後、ベトナム戦争が始まるとアメリカ軍のCIDG計画に参加し、以後十数年に渡るホー・チ・ミンの軍隊(ベトナム人民軍および解放戦線)との長い戦いに身を投じます。
 1967年頃には、ブル族CIDGの中でも優秀な兵士はSCU(Special Commando Unit)としてベトナム軍NKTコマンド雷虎へと編入され、米軍SOG-35隊員を指揮官とするRT(偵察チーム)が順次編成されていきました。そして最終的に、CCNに所属する約30個のRTのうち、1/3以上をブル族のチームが占めるようになりました。
 そして僕が軍服を再現したRTミシガンも、そのブル族チームの一つです。しかし残念ながらこの服の見本とした写真の人物の名前は不鮮明で判読できず、また他のRTミシガン隊員の名前を記した資料もまだ見付けられていません。しかし他のブル族チームの情報を探したところ、同じCCN所属のRTハブ(Habu)の隊員の名前が一部判明しました。
 
・Loi
・Boa
・Bop
・Too
・Cumen
・Ti
・Noi
・Zu
・Xuan
・Thua
・Ti Ti Loi
・Bang
(声調記号等は不明)


 こうしてようやくブル族人名(男性名)のサンプルがある程度揃ったので、僕はこの中からネームテープに刺繍する名前として「Bop」を採用する事にしました。もちろんホー姓なしで。サンプルの中にはキン族と似たような名前も幾つか見受けられますが、Bopは一目でキン族ではない事が分かるので、気持ちの棲み分けも出来ます。


 余談ですが、たぶん上の「Habu」というチーム名は、琉球諸島の毒蛇「ハブ」の事だと思います。 RTのチーム名は部隊を指揮する米軍SOG-35によって命名されるため、名前のパターンとしてはアメリカの州名の他、アナコンダやサイドワインダーなどアメリカ人にとって凶暴かつクールなイメージの蛇の名前も入ります。おそらく沖縄に駐屯する米兵の間ではハブの事はよく知られており、その危険性は特殊部隊のイメージにぴったりだったんじゃないでしょうか。
  


2021年09月26日

戦技系技能章

※2021年10月28日更新
※2022年6月28日更新
※2022年7月1日更新
※2022年10月23日更新
※2024年6月26日更新


最近技能章関係の記事が続いたので、この機会にベトナム共和国軍の戦技系技能章をまとめました。


・落下傘降下(Nhảy Dù)

訓練施設:ホアンホアタム 空挺訓練センター(ザーディン省タンソンニュット基地内)
降下回数・実戦経験に応じて基礎・中級・上級の三等級があり、中級には星、上級には椰子葉のデバイスが追加される。


・特殊部隊落下傘降下(Nhảy Dù Lực Lượng Đặc Biệt)

訓練施設:ドンバーティン特殊部隊訓練センターおよびクェッタン/イェンテー技術局訓練センター(ともにビエンホア省ロンタン)
(一般)落下傘降下課程に加え、HALOによる潜入や抽出脱出などの特殊作戦に関する技能を学ぶ、事実上の特殊部隊員養成課程。
降下回数・実戦経験に応じて基礎・中級・上級の三等級があり、中級には星、上級には椰子葉のデバイスが追加される。
※作戦服に付ける布製(機械織/刺繍)徽章は、一般の落下傘降下章と同一。


・落下傘降下指導員(Huấn Luyện Viên Nhảy Dù)

落下傘降下教育の指導員たる資格
落下傘降下資格章と同様に三等級あり、ランクが上がる毎に星、椰子葉のデバイスが追加されるが、初級以外の等級名については現在調査集。


・レンジャー基礎(Căn Bản Biệt Động)
訓練施設:ドゥックミー レンジャー訓練センター(カインホア省ドゥックミー)
レンジャー部隊では基本的に、隊員全員がこのレンジャー基礎課程を修了してから部隊配属となる。
またレンジャー部隊以外に所属する者でも訓練に参加でき、修了者には資格章と資格手当が支給される。


・長距離偵察(Viễn Thám)
訓練施設:ドゥックミー レンジャー訓練センター(カインホア省ドゥックミー)
米軍のMACVリーコンドースクールに倣った長距離偵察(LRRP)課程。
レンジャー部隊の他にも、各歩兵師団や海兵隊の偵察中隊隊員候補たちが受講する偵察部隊の登竜門。


・森林山岳湿地戦(Rừng Núi Sình Lầy)

訓練施設:ドゥックミー レンジャー訓練センター(カインホア省ドゥックミー)
こちらもレンジャー訓練センターで受講できる訓練コース。
ただし理由は不明ながら、この徽章に作戦服用の布製は存在せず、着用例もほとんど見られない。



・フロッグマン (Người Nhái)

訓練施設:ブンタウLĐNN訓練センター/海軍訓練センター(ニャチャン カムラン)
海軍フロッグマン部隊(LĐNN)課程。
今のところLĐNN隊員以外での着用例は未確認。
  


2021年09月11日

調査中のベトナム軍インシグニア ②徒手格闘技能章

こちらは射撃技能章とは逆に、当時の使用例は幾つもあるのに、徽章本体の鮮明な画像がなかなか見つからなかった物です。
以前こちらの記事で、ベトナム軍にはテコンドー章(Bằng Taekwondo)なる徽章が存在していた事を書きましたが、その時はまだ画像が不鮮明なため、多分中央の白い図柄は拳(グーパンチ)だろうという事くらいしか分かりませんでした。



しかしその後、もうちょっと鮮明な当時の画像が見つかりました。
ハー・コック・フイ少尉という人物の写真です。

▲第10政治戦大隊 ハー・コック・フイ少尉(左)とズー・トゥー・レ大尉(右) 1973年

画像を拡大すると、今まで読めなかった拳の下の文字がついに読めたのですが・・・
これがまた新たな謎を呼んでくれました。

▲拡大画像(左)と再現図(右)

えー!『KARATE DO(空手道)』って書いてあるじゃん!テコンドー章じゃなかったの!?

しかし空手道と書かれている事自体は、着用者のバックグラウンドと辻褄があっています。
実は写真のフイ少尉は、日本人の鈴木長治が1963年にベトナムのフエで旗揚げしたSuzucho Karatedo(鈴長空手道)に最初に入門した一番弟子の一人であり、当時既にベトナム格闘技界の第一人者として活躍していた、南ベトナムでは著名な空手家なのです。

▲若き日のハー・コック・フイ(左)と鈴木長治(右)

ちなみにベトナム戦争終結後、鈴木長治氏はベトナム共産党政権による外国人追放政策によって、1978年に日本に帰国。
軍人だったフイ氏は逮捕され、再教育キャンプへ投獄されたものの、数年後に脱獄、国外脱出に成功。難民として1979年に米国へ渡りました。フイ氏は渡米後も武道家として活躍し、HANSHI KARATE(師範空手) 9段、Shorin Ryu Karate (小林流空手) 8段、Okinawan Traditional Weapons(沖縄古武術)7段、米国国際武道協会専任理事会議長などを歴任。『グランドマスター』として今なおベトナム人武道家から尊敬を集めています。


さて、話を本題に戻します。
なぜ、『テコンドー章』と呼ばれている徽章に『KARATE DO』という文字が入っているのか?
その答えとして、二つの可能性を考えてみました。

①徒手格闘は何でもKARATE DOだった/文字はKARATE DOのみのだった説
空手の方がベトナムで先に普及しており認知度が高かったため、同じく打撃系の徒手格闘術であるテコンドーは空手の一種と見做されていた、または徒手格闘の総称としてKARATE DOが用いられていた?

[考察]
当時テコンドーでは空手や柔道と同じ日本式の道着が使われており、実際、欧米ではテコンドーは空手の一流派と見做されるなど、長らく空手と混同されていた。
しかし、ベトナム軍にテコンドーを指導しているのは韓国軍の指導員(軍事顧問)であり、自国のテコンドーを日本のカラテ呼ばわりされる事には強い抵抗があったことは想像に難くない。
また当時ベトナムでは、テコンドーは"Taekwondo"の他にも、韓国国旗の太極の図柄から"Thái cực dào (太極道)"とも呼ばれており、それが韓国由来の武術である事はベトナムでも認知されていたと考えられる。


②実際に習得した格闘技の名前が入る説
入る文字は共通ではなく、他にも"TAEKWON DO(テコンドー)"や"JUDO(柔道)"など、実際に習得した武術の名前が入った?

[考察]
①の考察で述べたように、テコンドーの段位に対してカラテという名称が使われたと考え辛い以上、単に実際に習得した武術の名前が入ると考えた方が自然だと思われる。
今回例に挙げたフイ少尉は鈴長空手道の第一人者であり、KARATE DOの文字が入っている事とは何ら矛盾しない。
ただしKARATE DO以外の文字の使用例はまだ確認できていない。



  


2021年09月11日

調査中のベトナム軍インシグニア ①射撃技能章

※2021年11月3日更新


記事が長くなりすぎたので4分割して投稿します。


射撃技能章(Chứng nhận Thiện xạ)については、海外のコレクターが実物とされるものの画像を公開していたので、その存在は認識していたものの、当時の写真や資料でこのバッジを見た事が無かったので、本当にこれらのバッジがベトナム軍の物なのか疑わしく思っていました。


しかし今日、別件でパソコンに保存してあるトゥドゥック歩兵学校(予備士官学校)の写真を見返していたら、このバッジらしき物が写っているではありませんか!


ベトナム軍には他に似たような徽章は無い(はず)なので、おそらく射撃技能章(星付き)で間違いないと思います。
今まで全然気付かなかった。なんだ、前から使用例の写真持ってたんじゃん。

ただし、この写真のバッジには、上のコレクター所蔵品のようなライフルの造形はありません。
画像が不鮮明ですが、バッジの中央にはなんだか黄色い小さな図柄が付いています。


これは推測ですが、僕はこの写真のバッジ中央にある図柄は、ピストルではないかと思ってます。
正体が判明しました。新たにこちらの記事に記載してあります。


こちらはネットで見つけたクアンチュン訓練センター発行の射撃技能章の証書ですが、これにはM16ライフル(Súng M.16)の射撃技能を認定する旨がタイプされており、さらに証書上部には例のバッジの意匠と共に、COLT(=M1911A1ピストル)、M79グレネードランチャー、M60マシンガンと、M16ライフル以外の各銃器の名称も載っています。


つまり射撃技能章には少なくともライフル、ピストル、グレネードランチャー、マシンガンの4種類が存在していたことが推察されます。
そしてこの中で、図柄が比較的小さくなりそうなのはピストルしかないので、おそらく上の写真のバッジはピストル(M1911A1)射撃技能章であろうと考えられます。
とは言え、ライフル以外の射撃技能章の鮮明な画像はいまだ見た事が無いので、引き続き写真を探していきたいと思います。
射撃技能章は最低でも6種類存在しました。新しい情報はこちらの記事に記載してあります。
  


2021年09月06日

飾緒のレストア

昨年12月にベトナム軍の英勇章飾緒のレプリカを入手した際、このレプリカからペンシルを取り外して、手元にあるペンシルが欠損している実物に移植する事でレストアしようと考えていた事をついこの間思い出し、9か月越しの作業を行いました。

このレプリカは、コード本体よりもペンシルが良く出来ています。

左が実物(保国勲章飾緒に付いている物)、右が英勇章飾緒のレプリカのペンシル
よく見比べなければ、一見して違いはわかりません。

このペンシルをレプリカから外し、実物コードにさくっと付け替え。

コードとペンシルは、このように糸で留められています。

はい、これでレストアは完了しました。お疲れさまでした。



とは行きません。

素材にしたレプリカの方も、一応使えるようにしておかないともったいないので、これに付けるペンシルを自作する事にしました。

実は実物コードに取り付ける前に、レプリカのペンシルを「おゆまる」で形取りしておきました。


そしてこの型にプラリペアを流し込み複製。


形を整えて、色をゴールドに塗ったら完成。


僕の技術不足のため、けっこう形が歪んでしまいましたが・・・

服に付けてしまえば目立たないでしょう、きっと。

自分用には実物を使えばいいので、このレプリカは撮影会の際の貸出用にしたいと思います。




  


2021年08月29日

PRUのパッチ(暫定版)

以前から自分用にPRUのパッチのリストを作っているのですが、なかなか情報が集まらず、まだ半分も把握できていません。
また断片的な情報に頼っているため、現在リストに入っている物も、本当に正しいかどうか検証するには至っていません。
なので、ここで暫定版リストを公開して、記事をご覧の方に情報提供をお願いしたいと思います。情報あるいは指摘がございましたら、コメントでお知らせ頂けると助かります。

なお、PRUのパッチ・部隊名は以下の二つの時期で異なるので、リストの方も各省2段ずつで作ってあります。

1966-1972年:省探察隊 (Provisional Reconnaissance Unit / Thám Sát Tỉnh)
VCI(ベトコン組織)破壊を目的とする鳳凰計画(フェニックス・プログラム)の実働部隊として各省政府に設置された準軍事警察部隊。
計画全体の指揮はサイゴン政府の鳳凰計画局および米国CORDS(事実上のCIA)が統括。
PRUは各省政府直属の組織であったため、省の名前が部隊名であり、部隊番号は持たなかった。

1972-1975年:地方軍独立偵察中隊 (Đại Đội Trinh sát biệt lập)
1972年のフェニックス・プログラム終了に伴い、各PRUは同じ省(小区)の指揮下にある地方軍に編入され、「独立偵察中隊」へと改名される。また地方軍の編成に合わせ3桁の部隊番号が割り振られた。また必要に応じ中隊は増設された。
地方軍編入後も引き続きVCI破壊作戦は任務に含まれていたが、この時点でベトナム政府はすでに国内のVCIおよびゲリラ部隊をほぼ完全に壊滅させていたため、PRUも地方軍編入後は、南侵した北ベトナム軍に対する正規の軍事作戦主な任務となった。



おまけ

先日、二郎系ラーメン食べ歩きが150店目に達しました。
150店目は、東京西日暮里の「えどもんど」さん。
実はこのお店にトライするのはこれが3度目でして、最初の2回はコロナのせいで臨時休業&早閉まいで、お店の前まで行って食えず終い。3度目の正直でようやく食べる事が出来ました。


うん、記念に相応しい味とボリュームでした。大満足!!
  


2021年08月26日

黒龍會&タイガー小話

※2021年8月28日更新



プチ撮影会の写真です。
設定は1973~1975年頃の総参謀部技術局作戦部(NKTコマンド黒龍)





僕の個人装備はĐLCH製ホアズン迷彩服と、自作40mm M381HE入りアムニションキャリングベスト、トイテックM203無理矢理装着マルイXM177E2です。


友人が着ている4ポケットタイガー(海兵隊のではなく、街で売ってるMDAPタイガーのコピー品を想定)も70年代っぽくてイカしてます。


ところで、ザーコップ/タイガーストライプパターンには数多くのバリエーションが存在している事が知られていますが、これらは迷彩パターンの違い以前に、まず誰が何のために作ったのかという大本の部分で以下の三種類に分類できます。

①ベトナム海兵隊制式迷彩
当ブログではベトナム名の「ザーコップ(虎皮)」と呼称。大別すると1957年から作られた1stから、1973年頃~1975年まで作られた5thまで5世代あり。

②MDAP発注品
当ブログでは「MDAPタイガー」と呼称。米軍がCIDGに支給するため、1962年にベトナム海兵隊のザーコップ2ndパターンのコピーをMDAPにより日本で生産させる。以後、MDAP発注先の日本・沖縄・韓国・台湾などで、下請けメーカーがコピーのコピーを繰り返しながら様々なパターンを生み出し、1970年代まで作られた。米国政府の予算で作られたので、支給時はちゃんとビニール袋にFSNとコントラクトナンバーが記載してある。

③民間製
当ブログでは「民製タイガー」と呼称。兵士の間でタイガー系迷彩が人気な事から、民間アパレルメーカー各社が自主的にタイガー系の迷彩を製作。ベトナムやタイなどの街の露店で販売された。

それぞれの支給先を見てみると、
①はベトナム海兵隊のみ支給。
②は公式な支給先はCIDGのみ。
③は官品(支給品)ではない。
ただし②③は、現地の米軍・ベトナム軍・その他FWMF(自由世界軍)兵士が自費で(あるいは部隊単位で)購入する事で着用された。

さて、それぞれのタイガー系迷彩の解説は世の中にたくさんあるので割愛して、今回はタイガー好きの間でもなかなか語られる事の無い、と言うかあまりにオリジナリティあり過ぎてタイガー系統と見なされていないベトナム戦争時代の③民製タイガーの亜種をいくつかご紹介します。
(画像は各種海外フォーラムから転載です)


通称「モンスター」パターン。笹の葉っぽい手の込んだ柄



通称「スターバースト」パターン。かなり自由なデザインになる



名称不明。もう完全に別物。



当時は被服に関しては大らか、かつ戦時中だったので、タイガーストライプを含む正式な軍服ではない民製迷彩服を着る事が米越軍ともに黙認されていたようです。
これを日本で例えるなら、自衛隊がAPEや寅壱の迷彩を買って着てる感じかな。
(ただし当時は迷彩服の支給はエリート部隊のみで、支給されない兵士は民製迷彩服を買うしかなかったので、全部隊に迷彩服が支給される現代とは事情が異なりますが)
  


2021年08月15日

TUC型ザーコップ上着完成

前回に引き続き部品作成していきます。

TCU型ポケットのマチを作成。


作ってみて分かったのですが、このTCU型ポケットって物凄い布を消費しますね。
普通のマチなし貼り付けポケットの2倍くらい生地を使いました。


さらにエポレット、ウエストアジャストタブも作成。


今回ボタンホールは家庭用ミシンのボタンホール機能を使って作ったのですが、途中でミシンの調子が悪くなって汚くなってしまいました・・・


こうして揃った部品を上着本体に縫付け。

上側(胸)ポケット



下側(腰)ポケット


ポケットのボタンの留め方はベトナム軍が独自に簡略化したもので、原型となった米軍TCUとはかなり異なります。


今回はお洒落として、師団章と一体のペンポケットも追加。



こうしてなんとか、上着を縫い終わりました。



なお、インシグニアは第258海兵旅団第5海兵大隊『黒龍』という設定にしましたが、まだネームテープが準備できていないので、それが揃ったらこの服の本当の完成となります。


さて、お次はこれのおパンツを作らなきゃですが・・・

もともとジャケットとして縫ってあった本体にポケットなどの部品を付け加えるだけで済んだ上着とは違い、パンツはツナギをバラして、その下半分を通常のパンツ型に仕立て直すつもりなので、上着よりもはるかに手間がかかりそうです。
そのくせインシグニアを付ける訳でもないので、がんばって作っても見た目パッとしないというのがパンツの悲しい所。

  


2021年08月07日

TUC型ザーコップ

ベトナム海兵隊の第5世代ザーコップ迷彩、通称「レイトウォーラージ」パターン生地で出来た民製ハンティングスーツを素材に、海兵隊の作戦服に仕立て直す作業の進捗です。

前回手を付けてから2ヶ月も経ってしまいましたが、先週まで机を占領していた自作40mm榴弾が片付いたので作業再開しました。

今回はTCU型の服を作るので、過去に実物から採寸したデータを基に型紙を作っていきます。

僕はコレクターではないので実物はほとんど持っていませんが、コレクターの友人の手伝いをしていると実物に触れる機会も多いので、その都度細部を採寸、ノートに記録してきました。
このTCU型を採寸したのは、もう5年も前の事ですが、ついに役に立つ日がやってきました。
こういうデータも、この趣味の上では立派な財産と言えるかもしれません。


ポケットの型紙と、生地素材の山



ポケットやエポレットなど、ジャケット本体に取り付ける部品を作成



できた部品を本体に仮置き

おー!かなり完成形が見えてきました!

なおベトナム軍のTCU型作戦服の原型となった米軍TCUのポケットは、『外下がりフタ/内側マチ』ですが、ベトナム軍では反対に、『内下がりフタ/外側マチ』という仕様も多く見られます。
なので今回はベトナム式*TCUとして、『内下がりフタ/外側マチ』仕様で作っています。

米軍TCUとベトナム軍TCU型作戦服のポケット比較

※ただし米軍と同じ『外下がりフタ/内側マチ』や、他にも『外下がりフタ/外側マチ』といったバリエーションも多く存在します。
  


2021年07月31日

40mmダミーカート自作その3

前回は弾頭風防まで塗装したので、次に本体(弾頭弾帯と薬莢)を塗装してきます。

全体にシルバーを筆塗り。



シルバーが乾いたら、弾帯部分にマスキングして、薬莢をエアブラシで塗装。
塗料は基本色のグリーンとブラウンを混ぜてオリーブドラブっぽく調色したもの。
下地の金属感が残るように、通常よりも希釈したものを薄く塗りました。



先に塗装してある風防と、本体をホットボンドで接着。


最後に(風防が発泡スチロール製なので)水性のトップコート光沢を吹いたら完成。
これを20個繰り返すと・・・


こんな感じ!


単体で見るとショボいけど、20個もあると、それなにり迫力がありますね。

もちろんリアルサイズなのでアムニションキャリングベストにもぴったり収納できます。


ダミーカートを自作するきっかけとなった、ポケット上下からのチラ見え問題もこれで解決しました。



・・・しかし実は、まだポケットが4つ空いています。
ベスト最上段の、信号/発煙弾用の長いポケットです。

なんか、もう疲れたよ・・・。せっかく机の上が片付いたのに。

待てよ。そう言えば40mm信号弾って保護用の紙筒が付いてたよな・・・


うん、決まり。
トイレットペーパーの芯を突っ込んでおこう。
  


Posted by 森泉大河 at 15:36Comments(0)【アメリカ】銃器1954-1975自作グッズ

2021年07月23日

40mmダミーカート自作その2

前回の続きです。

20個という数を前に途中で面倒くさくなり、最後に作業してから2週間ほど経ってしまいましたが、連休を利用して作業再開しました。

前回作った木製の本体に、少しでも木目を隠すため全体に溶きパテを筆塗りし、乾燥後にサンドペーパーで研磨。
次に本体に弾帯(砲身内でライリングと密着する部分)の形状を追加。

弾帯はビニールテープを細く切って巻いただけです。

本体の加工はひとまずこれで終わりとし、弾頭風防部分の制作に入ります。
素材としたのはAmazonで売ってたΦ40mmのタマゴ型発砲スチロール。


これの上下をカッターナイフで切り落とし、風防の形状にします。



本体と仮組するとこんな感じ。



これにて形状加工は完了とし、ようやく塗装に進みます。

まず先に風防をクレオスの水性ホビーカラー ゴールド(金)で筆塗りしました。
風防は発泡スチロール製なので、水性塗料で塗らないと溶けてしまうのです。

↑まだ風防と本体は接着していません。
塗料を塗った風防を乾かすのにちょうど良かったので、本体の上に置いてるだけです。

同時進行で本体も塗り始めましたが、6本塗ったところで手持ちのシルバーの塗料を使い切ってしまったので、今日はここまで。
新しい塗料が届いたらまた再開します。
  


Posted by 森泉大河 at 22:23Comments(0)【アメリカ】銃器1954-1975自作グッズ

2021年07月10日

40mmダミーカート自作

先日、米軍のグレネーダーベスト(アムニションキャリングベスト)を買ったんです。


でもこのベストって、ポケットの中に弾薬が入ってないとペシャンコでカッコ悪い。
なので最初は塩ビ管でも切って入れておこうと思っていたのですが、よく見るとポケットのボタンを閉じた状態でも弾薬の上下がチラ見えしているではありませんか。
それでは流石に見栄えが悪いので、ちゃんとダミーの40mm弾薬を入れる事にしました。

まず40mmダミーカートとして一番入手が楽なのが、AMAやTMCなど各社からレプリカが発売されているM433 HEDPです。


しかしこのM433は現用の40mm弾薬であり、ベトナム戦争期には存在していないので、ベトナム専門でやってる僕は使えません。
ベトナム期をやるにはM381やM406など、弾頭先端がフラットになっている初期のHE弾が必要なのです。

ネットで探すと、海外にはそれら旧式のHE弾のレプリカを販売している業者もあります。

 

しかしこのM406は、本来あるはずの弾頭弾帯部分と風防との繋ぎ目がありません。
もしかしたら実物ではなく、エアソフト用のモスカートの形状をコピーしたのかも知れませんね・・・。
数個ならともなく、ベストには20発も詰めなくてはならないので、送料考えたら値段も安くも無い上に出来も微妙では、買う気になりません。


一方、文句なく出来が良いのはこちらのM381。


なんと、ターミネーター2のT-800コスプレ用小道具として販売されているそうです。
しかし出来が良い分、受注生産の為、価格もかなり行きそう。
しかも金属製なため、そもそも税関を通すのが難しそうなので諦めました。


こうして市販品でまかなう事は諦め、結局自作する羽目に。

ホームセンターで40mmの木材丸棒を購入し、長さ66mmに切ってもらいました。
66mmとはおおよそ、弾薬の全長から弾頭風防部分を抜いた長さです。



旋盤加工できれば風防を別に作る必要も無かったのですが、このために旋盤を買うのではコストに見合わないので、他の方法を考えました。
ネット上には電動ドライバーを使う自作簡易旋盤の作例がいくつかありましたが、それも何だかんだ部品を揃えたり加工したりする手間がかかります。
なので僕が考えたのが、木材に全ネジを貫通させ、ナットで固定し、電動ドライバーで回すというもの。
今回のように、加工物に不要な穴を開けてもかまわない状況でしか使えない方法ですが、その分コストはネジ・ナット代しかかかりません。


うまくいくと、こんな感じ。
 

加工するのはケースの下側のグルーブ部分だけです。
形状の再現性はかなりいい加減ですが、どうせベストにしまえば上下がちょっと見えるだけなので、個々の再現度よりも作業効率を優先しました。


20個もあると、もう細かい形状なんてどうでも良くなってきます。

また理論上は上手くいくはずだったこの方法ですが、僕の加工技術の問題から、実際やってみると失敗が幾度もありました。
ちゃんと円の中心に目印を書き、ドリルの先端をそれに合わせたはずなのに、いざドリルを回すとなぜか中心からずれた場所に刃が入ってしまいます・・・


この状態の物をドライバーに接続して回すと、偏心しているせいでグワングワンと揺れまくり、削るどころではなくなります。

これを防止するには、加工物とドリル両方をちゃんと固定して穴あけできるボール盤が必要ですが・・・
旋盤をケチったがためにボール盤が必要になるとか、ドツボじゃんface07
  


Posted by 森泉大河 at 15:43Comments(0)【アメリカ】銃器1954-1975自作グッズ

2021年06月20日

自撮りと縫物

昨日塗ったM9風ガスマスクを付けてさっそく部屋で自撮り。

設定は1965年のサイゴンにおける仏教徒デモ対応に出動したベトナム陸軍空挺旅団です。
ただし写真のように、ベトナム軍が60年代初頭~中盤にライアット装備として使用したボディーアーマーとしては米海兵隊のM52(初期型および普及型)が多く見られるのですが、僕はまだ持っていないので、今回は代わりに米陸軍のM1952Aボディーアーマーを着ています。
銃は先日完成したAR-15モデル601です。






また、迷彩服は以前から持っていた香港パンツァーファウスト製リプロのボンヒュエット(ブラッドケーキ)迷彩服ですが、この服は今まで1962~1964年頃の時代設定にしていたので部隊章などは付けていませんでした。
しかしもう一着別のメーカーのボンヒュエット迷彩服リプロが手に入る見込みが立ったので、そちらを62~64年仕様にする事とし、手持ちのパンツァーファウスト製には部隊章および天使の翼章を縫い付け、1964年末~1968年頃のインシグニアに変更しました。

もともとボンヒュエット迷彩服の裁断はマチ付きの大ポケットが基本であり、パンツァーファウストが再現したこの小ポケット仕様は60年代中盤に登場したバリエーションの一つ(かつジッパーポケットは官給ではなくテラー改造品)なので、やはり1964年以前を再現するなら大ポケット仕様が欲しかったのです。



おまけ

以前作った第81空挺コマンド群第4強襲中隊仕様のホアズン迷彩服(フォクフン製リプロ)にインシグニアを追加しました。
今回追加したのはローカルメイドの米軍ジャンプウィング(ベーシック)と、袖のBiệt Cách Nhẩy Dù(空挺コマンド)タブです。


空挺コマンドは1970年までプロジェクト・デルタの主力として米軍グリーンベレーB-52の指揮下にあり、また同じく米軍MACV-SOGの指揮下にあったNKTからの転属者も多く居るため、米軍からジャンプウィングを授与されている兵士も多くいました。


空挺コマンドは1970年のLLĐB解隊に伴い第81空挺コマンド群として再編成され、その際に部隊章も上の写真の物へと再制定されましたが、それがベトナム軍の部隊章としては珍しい三角形をしているのも、プロジェクト・デルタの伝統を継承している為だそうです。

  


2021年06月19日

M9風ガスマスク

今さらですが最近、米軍のM9ガスマスク(フィールドプロテクティブマスク)が欲しくなってきました。

そろそろライアット装備も始めてみようかと。

なのでさっそくネットでM9を探してみたのですが、もうあまり出回っていないんですね。
数年前、デッドストックの缶入りM9が安く売りに出ているのに気付きながら、ついスルーしてしまったのが悔やまれます。

しかし無い物ねだりしてても始まらないので、今手に入る物で代用することにしました。
フランスのガスマスクマニアのサイトLe Masque à Gazによると、M9はアメリカ以外にも世界各国でコピーが製造されてたそうです。
中でもセルビア製のM-1/MC-1ガスマスクは形状がM9そのまんま、かつ日本国内でも安く出回っているので、これを使う事にしました。

デッドストック品のセルビア軍MC-1ガスマスクを購入。
形状はオリジナルのM9とほぼ同じですが、アイピースリングとフィルターの色だけは違うので、ちゃっちゃと塗っていきます。


アイピースリングはMr.カラーのブラックを筆塗り。


フィルターはホワイト、ブラック、ブルーでそれっぽく調色してエアブラシで塗装。



出来上がり。左がM9風塗装MC-1、右が実物のM9
オーケイ。ぱっと見パチモンとはわからないでしょ。


ちなみに、このマスクを装着して我が家のワンコに近寄ったら、その不気味さに怯えて吠えまくってました。
ちょっと怖がらせ過ぎたのか、その後マスクを外しても、僕から逃げてしまいます。おお、ごめんよハルちゃん。
  


2021年06月06日

自撮りと加工

先日、スマートホン用三脚アタッチメントBluetoothリモコンシャッターを買ったので、さっそく家の中でスマホで自撮りしてみました。



まずは無加工:ベトナム陸軍空挺師団 1975年(左は当時の写真)




続いて、背景の合成にチャレンジしました。
本当はグリーンの背景を使ってクロマキー合成したいのですが、僕のPCに入っているソフトは古いため、うまくクロマキー合成ができなかったので、家の白い壁紙を背景にして、昔ながらの手動切り抜き合成を行いました。


①屋外/カラー:ベトナム陸軍空挺師団 1971年頃

う~ん、やっぱりカラーだと色の調整が難しいです。
また屋外という設定だと、光と影の向きも合わせるのも面倒です。


②スタジオ写真/モノクロ:フランス植民地軍コマンド・ノーヴィトナム 1953年頃

こちらは成功。もともとは合成ではなく、このような写真館にある風景画が描かれた布を探して実際に部屋に設置しようと考えていたのですが、なかなか好みの図柄が見つからず、またオーダーメイドしようものなら結構なお値段になるため、とりあえずは合成で済ませました。


③スタジオ写真/モノクロ+手着色:ベトナム海兵師団第2海兵大隊 1969年頃

当時の写真によくある、モノクロのプリントに持ち主が油性ペンで色を着色した物っぽくしました。


スタジオ写真風は割と手軽に作れたので、買ったのにまだ着て写真撮ってない服を(腹が出て着れなくなる前に)さっさと撮ってしまおうと思っていたのですが・・・
その後、家の中に棚とかが増えたせいで、背景に使える広い壁が無くなってしまいました。
やはり撮影の都度スクリーンを設置できるクロマキーに移行するしかなさそうです。
  


Posted by 森泉大河 at 04:26Comments(0)【ベトナム共和国軍】1954-1975

2021年06月02日

最近縫ったもの

ĐLCH製ホアズン作戦服 NKT作戦部"コマンド黒龍"仕様


以前の記事では、この服にはレンジャー部隊の徽章を付けていましたが、その後気が変わって、徽章を黒龍仕様に付け替えました。
なおボタンは全てクラッシファイド製に交換してあります。


フォクフン製ホアズン作戦服 空挺師団仕様


以前紹介したPhuoc Hung製リプロの2着目を買いました。
こちらの徽章は空挺師団仕様にしています。
フォクフン製のボタンは元々とても出来が良いので、付け替える事なく、そのまま使っています。


ビンテージ・ハンティングウェア ベトナム海兵隊化改造中

まずはパンツに比べれば比較的簡単な改造で済むジャケットを先に片付けていきます。

胸囲や腹囲がブカブカだったので、服の内側を縫ってサイズダウン。


ついでに袖を、ロールアップした時にちょうど良くなるくらいの長さに(半袖)にカット。



ツナギの上半分をバラした布を上前身頃に追加して、前立てを隠しボタン化。
一般論として、ベトナム製のTCU型作戦服の前立ては、必ずしも米軍TCUと同じように隠しボタンになっている訳ではないのですが、今回再現しようとしている海兵隊作戦服の場合は前立てが隠しボタンになっている例を多く見かけるので、それに倣いました。
また原型となった米軍TCUは上前身頃自体が前立てを覆っており、その下に別の布でボタンホール用の前立てが縫い付けられていますが、ベトナム海兵隊のものは前立てを覆う部分も前身頃と別の布になっているのが当時の写真から読み取れるので、幸いこうして自作が可能でした。(前身頃と一体だったら隠しボタン化は無理でした。)

つづく